田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

神田紅の講談 八幡製鉄の宿老(2012/6/20)

2012-06-20 23:52:18 | ルーツはここに?
飲み仲間に八幡でバンド(ギオン夢一座)をやっている皆さんがいて、6/23(土)に講談の第一人者の神田紅の芸道35周年記念の独演会を準備している。(冒頭がビラ) 前売り券は600枚売れて、200枚を当日券で販売見込みとか。
 演題は「高炉の神様、田中熊吉(98歳宿老人生、ものづくりニッポンの魂)」等。講談はいままで聞いたことが無かったが、神田紅のお弟子さんのデモンストレーションをひと月前に聞いたところ、リズム感があり、とても心地よい。
 私は、4枚購入、妻と友人4人で繰り出す予定。
宿老と言う言葉、確か中学生の時、理科の先生が雑談で、八幡製鉄に素晴らしい職人さんがいて、この方が、高炉の出銑を「今!」と指示したとおりにやると、一番鉄が取れ、大学出の技術者が最新の計器と理論で出銑指示するよりもたくさん鉄が取れ、この職人さんに「宿老」という職位を設けて、定年後も働いてもらっている、といった話を聞いた記憶。
 この宿老の詳しい話しを、講談を楽しみながら聞けるというので、迷わず前売り券を買った次第。

 日時 6/23(土)14:00~16:00 13:30から入場 全席自由席
 場所 北九州市戸畑区のウェル戸畑の大ホール
 費用 当日券 3500円 前売り券3000円(セブンイレブン、チケットぴあスポット等)

宿老という言葉、北九州の方に聞くと、ほとんどの方が初めて聞く言葉。
 この神田紅の講談、北九州にお住いの方は、聞いておくと、北九州への愛着が増すかも。
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子供の日(2011/5/5)

2011-05-07 19:43:01 | ルーツはここに?
東京の長男家族、横浜の長女家族、それぞれ1.5歳の子供に恵まれ、子供の日にいっしょに遊んだと写真。
広い森の中に家が点在する自然いっぱいの横浜の長女の住まいの近くを散歩しているらしい。
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フィリピンのヤーコン茶(2011/3/10)

2011-03-09 22:08:45 | ルーツはここに?
先日、冒険家のM先生から、フィリピンのバギオ土産のヤーコン茶をいただきました。
バギオは、M先生のお祖母さんが亡くなった地で、先生の93歳の父上と、毎年命日の2月末に墓参りで出かけている。
 1年前、バギオの面白い話をビールを飲みながら聞いていましたら、竹田農園やM先生宅の畑で栽培、糖尿病予防やダイエットにいいぞと思っているヤーコンがフィリピンでもブームで、バギオの何人かのフィリピン人から、「ヤーコンは日本の原産」と聞かされたとのこと。
 日本で、健康食としてもてはやされているので、そのように、解釈されたんだろうと二人で納得。
 フィリピンでも、日本と同じヤーコンとそのまま呼んでいる。
 ネットで調べてみたが、ヤーコンは南米で広く使われるスペイン語らしいが由来は私にはよくわからない。

 一年越しで、実物を届けてくれたもの。
 なるほど、ティーパックの箱には、YACON TEA とあり、高血圧や癌にも効くぞと書いている様子。
 ためしに飲んでみると、口当たりの良い薬草を飲んでいる感じ。
 ヤーコンの球根、昨年秋、農園でもたくさん取れて、「くれよ、うちの畑でも作る」という糖尿病予備軍の飲み仲間に差し上げる予定。

 なお、ヤーコンはキク科で南米アンデスが原産地とのこと。
 竹田農園には、埼玉に住む友人から、球根のたくさんついた株を送っていただいたのが始まり。
 5月の連休時に植えると、12月頃、地下に芋ができる。
 生でもキンピラでも食べておいしい。
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絵馬(2010/11/12)

2010-11-12 21:33:49 | ルーツはここに?

 先日、不良爺さん8人で、水木しげるロードにドライブした際、中の海の海峡を挟んだ対岸の、美穂神社に。
ラーメン屋錦龍のIさんの言うには、全国のゑびす神社の総本山とか。
美穂ケ関の港に面した立派な神社。
社務所の売店を覗くと、魚の絵の入った絵馬。
2つ、購入。
一つは私、もう一つは、コーラル丸川端船長に土産。
今、裏に「祈 安全」と書いて書斎の机の前にブラリ。
(冒頭の写真)
安全、楽しく、釣りができますように。
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風邪の功名 八つ頭(2009/1/19)

2009-01-19 11:15:10 | ルーツはここに?
昨日の朝から、妻風邪か、食欲無く、夕方まで寝たきり。
今日予定していた関門アラカブ釣りは止め、久しぶりに掃除・洗濯・味噌汁作りの家事専念。
昨日夕方には、私の作った味噌汁を「これは旨い」と平らげ、妻全快。
軽度の嘔吐下痢症だったか。

(八つ頭)
2年前、埼玉の友人から、ヤーコンと八つ頭の種イモをたくさんもらっていました。
両方とも竹田農園に植え、ヤーコンは初年度から豊作で、糖尿病にもよいということで、引き取り手も多く、農園の主役に。
八つ頭は、初年度、葉っぱが毛虫に食われ、哀れな姿。
食べることなく、少しなった小さい八つ頭の芋を、あまりやる気もなく、畑に再度植える。
今年もどうせ駄目だろうと、妻は目もくれず、試しに掘っても、作り慣れた子芋が鈴なりの、里芋と比べ、中央のズングリした親芋しかなく、「たべるところがないのでは」とがっかり。
3株だけ掘って、ためしに親芋を食ってみようと、我が家の台所に放置。
久しぶりの味噌汁作りに昨日夕方から着手。
この八つ頭を思い出し、取り出す。
親芋に分株しそこなった子芋がくっついたゴツゴツしたソフトボール大の大きさ。
以前新聞で、1センチ厚に輪切りにして煮ると八つ頭の解説があった気がして、そのように。
10分あまりシイタケと煮て、2年ものの自家製味噌をたっぷり。
試食してみると、芋の舌触りがきめ細か、実に旨い。
朝から絶食で、やっと夕食の妻も、「これはおいしい」2ハイ、べろり。
風邪もすっかりよくなりました。
今朝、インターネットで八つ頭について調べると、元々、親芋と子芋が分株しない里芋で、カリウムが多く、高血圧の予防になる(ワカメみたい)、高級里芋とのこと。
農園の畑には、春には捨てようと放置した八つ頭、まだ10株ほどあり、今日の午後、掘りに行くことに。

(半自給自足)
冒頭の写真は、我が家の今朝の食卓。
左が主食のサツマイモの焼いたもの。
竹田農園でイノシシから守って収穫。
真ん中が、農園のカブの糠みそ漬け。
とても美味しい。
右が昨日私が作った味噌汁の残り。
味噌と八つ頭とネギは自家製。

自然の恵み9割、私と妻の汗1割の産物です。

 
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ビオトープ

2008-07-28 22:22:48 | ルーツはここに?
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
この週末は昨年の夏相次いで亡くなった父母の一周忌で、故郷の四国今治に二泊してきました。
一族のリーダーのT叔父と二日間ゆっくり昔話やら今の生活やら見聞きしてきました。

(ハスの花の開花)
T叔父は私の一回り違いの71歳。
50年前は香川大学の学生で、悪友と掛けをしたそうな。
悪友はハスの花が開くとき、「ポン」と音がする、叔父は、音などしない。
次回の居酒屋での支払をかけ金に、勝負で、高松にある栗林公園に夜中もぐりこみ、明け方まで池のハスの花のつぼみを前に、目と耳をこらしたとか。
藪蚊が襲来で、かゆいかったこと。
結論は、花は静かに音もなく、開いたで、T叔父の勝ち。

(ビオトープ)
T叔父は祖父の事業を引き継いで、軍手の製造販売を50年近く。
最近工場を郊外に建て、息子さんに仕事を譲り、今は、市街地にある旧工場の跡地(300坪程?)に残る大木(50年前近くの中学校の木の実を食べた鳥が運んできた種から大きくなった)を中心に、地下水を15分間隔でポンプでくみ上げ、7メートル四方の泉を作り、その周辺に畑や芝生、生垣をせっせと構築中。
もう2年になる。
透明な泉の中には、メダカがスイスイ。
この夏は蛍を繁殖させようと、友達が川二ナ(蛍の幼虫のえさ)を3000個持ちこんで放流。
蛍の幼虫はネットで見ると一匹160円で販売していたので、それを100匹ほど購入して放流。
川二ナを食べにくるシラサギ防止のネットを張ったりして苦労するも、誰も蛍を見たもの無し。
立派なビオトープだが、T叔父はそれがビオトープというものと知らずに始めた。
殺風景な更地だったが、周りは病院で長期入院の患者さんが退屈そうにしているので、目に楽しい庭にして喜んでもらおうと始めたとか。
一人で、石ころや瓦を除いてやっていると、知り合いやら、そのまた知り合いが次々やってきて、手伝ったり、真土を100袋持ち込んだり、アイデアを出したりで、賑やかなたまり場になったとのこと。
病院の窓から泉や美しい緑の芝生を楽しそうに皆さんみているとのこと。(下にビオトープの写真)

(人に喜んでもらう)
私の父やT叔父の父親は、喜平という名で、私の祖父。
T叔父はこの喜平氏を尊敬していて、「オヤジは、周りの人がよろこんでくれるのが、一番の生甲斐で生きる目的であったようだ」と。
難病の若い人の手術費用に寄付したことがあり、それを聞いた、見ず知らずのお坊さんが「喜博菩薩」(喜びを広げるという意味)という名前を送ってきてくれたことがあり、面白がった祖父は、この名前を石に刻んで自宅の庭に立てていたが、荒れ果てていた。
これをこのビオトープにT叔父は移設、昨日私が訪ねて行くと、ちょうど祠を自分で建てている最中(冒頭の写真)。
T叔父もこのような「人に喜んでもらうのを一番の楽しみにする人生の境地になりたいもの」と。
禅宗では、最後の境地を牛に例え、この境地に至る第一ステップを「尋牛」というそうで、T叔父かビオトープ内に最近建てた2階建の可愛いたまり場に「尋牛小屋」と命名、85歳の叔母に大きな門札を書いてもらい吊るしている。
来る人は「何で、牛小屋か?」と尋を飛ばして読むと、ブツブツ。

 楽しい2泊3日の今治行きでした。
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2008/6/9

2008-06-09 21:08:59 | ルーツはここに?
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日、今日と久住高原に一泊二日で遊んできました。
M画伯が知り合いのK社の保養所に部屋を10人分とってくれ、格安で泊まれるというもの。
飲み仲間の小倉室町のラーメン屋のI氏、冒険家のM先生、焼き鳥屋のIY氏、長老格のY氏ら10名。
I氏以下、飲み仲間の5名は、酔っ払い運転をしないため、JRで鈍行列車で久住まで。
M画伯は運転手役を買って出て、他の4人と車で。

(長老Y氏)
Y氏はラーメン屋のI氏を紹介してくれた仕事紹介の会社に勤務の方で、4年来のつきあい。
私が、T社をリストラで退職する際、再就職のお世話をしてくれた。
Y氏の他にも2社の担当と面会。
その際、「釣りが好き、畑仕事もやりたい、山登りも好き、これをしながら、金をくれる仕事をしたい」とA4用紙に書いて渡す。
2社の担当者は、ニコニコしているものの、「そんな仕事はありません」という表情。
私も、「そりょそう。自分でやろう」と。
しかし、Y氏に会って、そのA4の書面を渡すと、じっと読んで、
「わかりました。探しましょう」と。
その結果、私に紹介してくれたのが、北九州市の若い人の就職支援の事務所。
結構な報酬も。
仕事を若い人に紹介するのに地元の企業を知った方がよかろうと、Y氏が紹介してくれたのが、ラーメン屋のI氏。
I氏の人柄を慕って、たくさんの人が集まってビールを飲んでいると。
M画伯、焼き鳥屋のIY氏、居酒屋のT氏、薩摩隼人のO氏、郷土史家のT氏等、愉快な面々をI氏が紹介してくれ、遊び仲間に事欠かない毎日。
また、若い人の仕事探しのセンターにいたら、ラニーニャ号のN艇長や世話好きのS女史とも意気投合。
そうこうしていると、N艇長とI氏、柳川出身で幼馴染とか。
N艇長から、「Iさんとは、幼馴染。彼は郷土の誇り」と教えられて、事実は小説より奇なりの、言葉を思い出す。
世話好きのS女史は、おでん屋大太鼓のS氏と家族ぐるみの付き合いで、S氏はそのご縁でコーラル丸友の会のなくてはならない(誘えば必ず来る)仲間。
振り返ると、まず道を開いてくれたのはY氏で頭が上がらない。
長老。

(イビキと寝言)
K社の保養所にJR、タクシーと乗継、夕方着。
広大な緑の庭に囲まれた山小屋風の建物。
空気もおいしい。
例によって、夕食は10人で御馳走とビール、焼酎でいい気分。
温泉も満足。
晩の10時前には、「眠たい、もう寝よう」とI氏。
I氏もIY氏も夜中過ぎまで仕事で、3時間しか寝てないとのこと。
私の両隣りはIY氏と77歳の大工の棟梁のT氏、その隣は、I氏とM画伯。
小一時間寝た頃、騒音のような左右からのイビキに目が覚める。
合間にM画伯の寝言。
なにか、絵を描いているつもりらしい。
結局空が白み始めるまでイビキと寝言を聞く羽目に。
眠たい。
冒険家のM先生、眠れたかと聞くと、熟睡したとのこと。
谷川の音や、鹿の鳴き声を子守唄にしている人は違うと感心。

(ミヤマ霧島)
10人は、それぞれ山登り、長者原の温泉組、壁湯温泉組と3コースに分かれ、遊びに。
私と長老のY氏は、冒険家のM先生にくっついて、牧ノ戸峠まで。
M画伯の運転の車で運んでもらう。
朝から快晴、梅雨の晴れ間、初夏の日差しに新緑の針葉樹、見事なミヤマ霧島がピンクの花のカーペット。
3時間ほど、山歩きを楽しみ、ミヤマ霧島に見とれ、新鮮な山の空気を吸い、休憩しては、ビールを飲みでいい汗をかきました。
長者原の温泉組のラーメン屋のI氏と焼き鳥屋のIY氏とバスで合流、別府まで、山なみハイウェー、JR特急で北九州まで。
いい旅でした。

(デジカメ)
ミヤマ霧島をカメラに納めようと思っていましたが、持っていくのを忘れる。
そんな訳で写真なし。
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ロデオ 2007/7/23

2007-07-23 18:23:54 | ルーツはここに?
田舎生活実践屋の竹田です。2007/07/23

田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
週末は父の葬儀、生まれて初めてお骨を持って、飛行機で九州に戻り、今日は草ぼうぼうの竹田農園の休耕田の草刈り。
晩は、四国の母の見舞いに新幹線と東奔西走というところ。

(ロデオ)
先週末、父の葬儀で喪主挨拶をする段になり、小学一年か二年のこじんまりした我が家での裸電球の揺れる居間での夕方の風景を思い出しました。
 父が馬になり、身長1メートルちょっとの私は父の背にロデオよろしくまたがり、父のお馬がどんなに、暴れようが、はねようが、脚でしっかりお馬の胴を締めて、落ちない。
いま振り返ると手加減をしてくれたのだと思うが、「なに、まだ参らんのか」「しぶといねやー」とか、初めて聞く父のほめ言葉が嬉しくて、面白くて、体全体で「キャーキャー」笑い声。
生まれてからこの方、こんなに楽しかったことはない。
それ以来、「最後にしぶとく生き残るのは私だ」という、絶対の自信。
つい昨日のようにいつまでたっても消えない遊び・笑いの余韻。
 こんな思いで話を、ボソボソとしたのですが、釣りで船が波を切って走り、船の揺れを足を踏ん張ってこらえているとき、いつも、愉快な気分になるのは、この時の父のロデオを体が思い出していたらしい。

(草刈り)
三日間、かしこまって、お通夜・葬儀で体がなまって、妻と今日は、竹田農園に。
草ボウボウの600坪の休耕田の草刈り。ところどころ、お笑いのようにミカン、イチヂク等の苗木を植えて2年、雑草に囲まれ、かろうじて生息しているのを救出に。
3時間ほど、炎天下草刈り。合間に、塩を混ぜた水をペットボトルに入れて水分補給。
相変わらずの虎刈りで、あちこちにセイタカアオダチソウの群落が、視界をさえぎる。
これが自分の仕事でなければ、笑える仕上がり。
しかし、半分は刈り、やらないよりマシと納得。
先週のお通夜の時のお坊さん、大変懐の深い方で、私が田舎生活実践屋の名刺をお渡しすると、「都会から、田舎を憧れて、田舎暮らしを始める人が多いが、大半いやになって失敗。畑に草一本ないように頑張って、疲れてしまうため。草が少々はえてもOKと割り切りのが本当の田舎の人。」とのお話。
全くその通りと竹田農園の粗放農業に改めて自信。
帰りにトーモロコシを収穫して畑でパチリ。(冒頭の写真)
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2007/3/3(リストラ体験記)

2007-03-04 02:51:23 | ルーツはここに?
田舎生活実践屋開業のいきさつ、リストラ体験記                               
 大学入学が1968年、東大紛争の時で、四国の田舎の高校から東京に上京の田舎者の若造の私には、政治の話も、経済の話も、ピンと来ず、うろうろしているうちに、カトリックから無教会までのクリスチャンの学生の暮らす同志会という小さい学生寮の門をくぐりました。
就職の段になって、2社受けて、北九州のT社という、メーカーに入社しました。

入社5年で結婚、妻が農家の末っ子で、実家の両親は既に亡くなり週末は空家の妻の実家に泊まり、畑で野菜を作って面白がっているうちに、子供も3人授かり、気が付くと既に50歳近く。仕事も自分では、会社の役に立っていると実感、そのうち役員ぐらいにはなるだろうと思っていました。

47歳の時、初めて日本列島から出て、アメリカ出張、アメリカ人も面白いと思っているうちに、52歳で中国に出向となりました。中学生の次男がおり、進学を考えて単身。給料はふんだんにあり、物価は日本の四分の一、高級外車で送り迎えという、様変わりの生活は、面白く、学生時代に日本が高度経済成長で活気に溢れていたのと同じ、高度成長と若々しい北京の中国人の若者達と仕事をしたり、遊んだりの毎日で、中国人はアメリカ人によく似ている、これは5、6年は北京で仕事と決め込んだものです。

 赴任して1年、仕事にも慣れてきました。中国の正月の春節直前の1月末、中国の会社も10日間の休みで、一時帰国して、久しぶりに家族に会い、好きな船釣りを思い描いているころ、北京のアパートで何の気なしに、「主よ、私をお守りください」と心の中で、唱えました。
次の日、出勤し、明日一時帰国でウキウキしていると、現地法人の責任者より、ちょっと来て欲しいとのこと。この一年、よくやったと、ねぎらいだろうくらいに思って出向くと、3月末で日本帰国とのこと。面食らったり、ガッカリですごすご九州の我家に。留守を守る妻は拍子抜け、次男は会社をお払い箱かと一言、四国の母は、大事な仕事が日本にあるのだろうとのこと。
九州の本社に出向くと、お前は来年55歳、リストラ対象で、身の振り方を考えるようにとの冷たい一言。

 暗い気持ちで我家に戻り、私の寝室に入ると、一冊の本が目にとまる。30年前、友人夫婦からプレゼントされた、内村鑑三の「続一日一生」。もらったものの全く手付かずで、そのまま寝室に飾られていたもの。手にとると、苦難は恩恵、荒野で神の声に耳傾けよ、等々、心に染みる内村の言葉が目に飛び込んでくる。中国で残り3ヶ月の仕事を終え、サーズ騒ぎの4月末の北京に別れを告げ帰国するまで、毎日、1ページずつ、この「一日一生」を読むことになりました。

 帰国後のT社では55歳の誕生日まて1年あるものの、まともな仕事もポストもあるわけでもなく、それまで、好意的に仕事に協力してくれていた、同僚も、後輩も、気の毒そうに、係わりを持ちたくないといった表情で、遠めに眺めているだけ。さらしものでした。「続一日一生」を読むのが最大の慰めの一年となりました。合わせて、司馬遷の史記・屈原の伝記、松永安左エ門全集で日々これ好日の随筆を読み直しました。初めて作者の真意が分かった気がしました。

 妻にT社での私の立場を概略状況説明すると、2秒ほど考えて、あんたなら会社を辞めるだろう、最後はご飯に塩をかけて食べようとのありがたい一言。

またじっくり考えてみると、身の回りの先輩達は65歳前後で亡くなる方が多い。生きていても健康を害してベットに寝かされておしめ生活。退職金と貯金をかき集めると、10年間、つまり65歳までは好きな釣りやら、畑仕事、山登りをしていても経済的には何の支障もない。10年後、蓄えは0だが、そのころ生きているやら大いに疑問ということで、もし生きていれば、改めて考えたので十分と気づきました。2年前の5月、めでたくリストラとなりました。

それ以来、2年半、釣り人生を決め込んで、北九州で船釣りに興じています。電気工事をしながら毎週小倉の漁港から船釣りに出かける、川端船長とは、意気投合、毎週日曜日、関門海峡に繰り出しています。また、元銀行員のNさんは、クルーザーを玄界灘に出して、アジ・ヒラメを追いかけていますが、こちらもいつでも希望すれば一緒に竿を出してくれます。T社の元同僚達には、漁船とクルーザー各一隻私は手に入れたと煙に巻いています。

また、若い方の就職支援センターを北九州市が始め、相談員をリストラ直後から始めました。若い求職者も私も失業の憂き目にあっているもの同士で、意気投合の日々です。北京でいっしょに仕事をしたり遊んでいた中国の若者達と全く遜色ない、気持ちの純で、若々しい日本の若者と泣き笑いの日々です。就職の斡旋で、地元の小企業経営者と会うことが増えましたが、お互いの心の琴線に触れる会話を毎日のようにさせてもらっています。私の子供達も、頼りない父親を見て、これなら勝てると自信をもったようで、すっかり親離れです。

春節前の北京のアパートで、「主よ、私をお守りください」と何気なく、気持ちとしてはいいかげんに呟いた事が、私の意に反した、北京からの帰国、リストラと続き、つらい、さらし者のような、1年を経て、釣り、畑、山に興じる生活がスタートし、フリーター、ニートと軽蔑される生き生きした若者の仲間に入れてもらい、家族の絆も強めてもらいで、北京でのいいかげんな祈りは、全く私の予想外の形で聞かれたと実感している昨今です。中国では、新年は1月末ですが、私にとっての正月も中国の春節同様、北京帰国を告げられた、1月28日で、「続一日一生」「一日一生」(共に内村鑑三)「眠られぬ夜のために」(ヒルティ)とこの日をスタートに、毎年、この日に本を取り替え毎日1ページ読んでいます。
(下に愛読書の写真 2007/3/3 愛読書)

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2007/1/22

2007-01-22 10:50:48 | ルーツはここに?
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。

昨日の日曜日、朝7時、まだ日が昇るには30分早い小倉の船だまりからコーラル丸で出港。
この日が初釣りのグループ3人に、合流で、釣り人6人と大賑わい。

(熱燗の日本酒)
 ラーメン屋の大将のI氏と数学のM先生と同行。
3人とも先週日曜日、中洲での新年会に出かけて、行きの電車の中で、I氏が持ち込んだ缶に入った日本酒の発熱装置(生石灰を使っていると思われる)付きを飲んだ味が忘れられず、M先生、朝のコンビニで3本購入。
一本づつ配給してチビリ、チビリ。暖冬とはいえ、冬の盛り、熱燗を飲みながらの釣りは格別。

(天狗の鼻)
 アラカブポイントで数匹のアラカブを釣り、タコ仕掛けに。
一分ほどで、中型のマダコ。
しかしこの後がサッパリ、二匹目が直ぐにかかり、途中まで上げたところでバラスとその後は、あたりもない。
隣で釣っている釣り人や、後ろ甲板で釣っている川端船長には、次々タコが上がる。
30分程で仕掛けも根掛りで無くしてタコは諦め。
船長が、今日はダメねと慰めてくれる、ばらしたタコが「この餌危険食うな」と私の仕掛けにマークを入れたのではと言い訳をするも、最近タコを快調に釣っていた天狗の鼻も折れてしまう。トホホ。

(釣り方)
 M先生、アラカブをI氏、私がコンスタントに上げているがサッパリ。
M先生何匹?とI氏が聞くと、まだ、0との返事。
しかし、潮が早くなり始めると、良い型のアラカブを我々を尻目に次々と上げる。
何か釣方を変えたのか?と聞くと、あせらないようにした、との返事。
仕掛けがもつれると、早く直さなくてはとあせると余計、仕掛けがもつれてしまい、このとき、コタツに入って仕掛けを直してるようにイメージしてもつれを直すと直ぐ良くなる。
これと同じ原理らしい。
次回私もこのM先生考案の技を使ってみよう。

(薮入り)
 明けて、今日は、妻運転の車で竹田農園に。
先週遣り残した、甘柿の周辺の蔓やら藪を切り払う。
1月16日は、江戸時代奉公人が田舎の親元に帰る風習があり、これを薮入りというらしい。
語源は諸説あるそうで、旧暦の1月16日の寒い時期、スズメバチの巣も蜂が死に絶え、マムシも冬眠で、藪も危険で無いので、藪に鎌片手に入り込んで、甘柿や栗の木の手入れをしたことに由来するに違いないと思った次第。
農園内の3本の甘柿の木、周辺の藪を切り払ってもらい、根元に柔らかい冬の日差しを浴びて、気持ち良さそう。
この秋の大収穫を確信。
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