田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

夜の中禅寺湖でボート(2015/12/19)

2015-12-19 22:43:08 | 忘れがたい釣りや山
先日、テレビで無人島での自給自足生活を写していたので、面白がってみていると、出演者が夜の海に潜って、クロやカワハギを銛で突いている映像。
 次の朝、私が21歳、45年前の記憶がよみがえってきました。
 同志会という学生寮の秋旅行があり、日光に10人ほどの学生で出かけました。
 中禅寺湖側の宿に落ち着き、くつろいでいると、気のいい水田氏が、湖にボートがおいてある、あれに夜暗くなったら乗ろうとのこと。
 付き合いのいい、清水氏がそれはいい。
 ボート漕ぎには自信のある私が、僕が漕ぐ。
 四国今治の出身で、高校にボート部があり、クラスマッチで6人乗りボートでのボートレースが毎年あり、いつもボートを漕いでいた。
 真っ暗になり、湖畔の宿の明りと時々通る車のヘッドライトが唯一の明り、水田氏の案内で、湖畔に行くと、ロープで簡単に係留した貸しボート風の木製ボート。
 私が真ん中でオール、水田氏と清水氏が前と後ろ。
 オールを快調に漕いでドンドン沖へ。
 いいところに来て、ボートを止めて、雑談、気分いいねーと。
 しかし、どうも具合が悪い。
 真っ暗のため、水面とボートの縁の長さが分からず、ちょっとボートが揺れると、水が入るのではと不安に。
 見えると、オールと体を動かして重心を調整するのだが、それが出来ない。
 やばい、やばい、帰るぞと、ゆっくりヒヤヒヤしながら、元来た係留地点に接岸。
 水は冷たく、よく生還できたと「ぞーっ」としました。
 清水氏と水田氏はノー天気風。
 翌朝、気のいい水田氏が私と清水氏にいうには、あのボート、厳重に南京錠をつけて括り付けていたと。
 3人で、笑って、そしらぬ顔で、係留していた浜辺で記念撮影(冒頭)次の予定地の日光白根に。

 それ以来、夜の暗闇でボートを漕いだことはない。
無断で貸しボートに乗ったこともない。
 楽しくもヒヤヒヤの思い出でした。

 その後、私は、北九州で釣りと畑に遊び、水田氏は厚労省で、清水氏は文部科学省で活躍した。
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初秋の汐巻で釣り(2015/9/27)

2015-09-27 23:52:51 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
汐巻に船釣りでした。
幹事の工務店のSZ氏宅に前日の晩から、冒険家のM先生と宿泊。
明け方4時に、木工職人のSG氏、瓦屋のIC氏ら、6人の釣りバカ。

(矢玉沖での釣り)
波はさほどないが、風が台湾に向かっている台風の影響で、結構強い。
船長の判断で、風の影響の少ない、矢玉沖に船は走る。
 このポイントはベテランのSG氏のはなしでは、イトヨリが沢山釣れる。
 根掛りはほとんどない。
 イトヨリ、大型エソが多いが、30センチ前後の真鯛も釣れる。

アオナも上がり、アマダイも釣れる。


 初秋の汐巻を堪能できました。

(昔と今の汐巻)
帰りの車中、昔と今とどう変わったかと話題に。
40年以上、汐巻での釣りを楽しんでいるSG氏の話では、昔はいい魚がたくさん釣れ、ボリュームもクーラーボックスに入りきれないこともしばしば。
 魚影は、昔の方が濃かった。
とのこと。

 私には、帰宅後の魚の処理が待っているので、今くらいの釣果が具合がいい。
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久住に登る(2013/11/6~7)

2013-11-07 21:10:14 | 忘れがたい釣りや山
大学時代の同級生のWT氏、尾瀬、北アルプス登山に誘ってくれ、一緒に登山を楽しんだ友人。
 社会人になって、私は北九州、WT氏は主に東京住まいで、年賀状のやりとりはしてきたが、42年間会っていない。
 定年退職で時間の余裕が出来、今度、九州の阿蘇・久住・祖母に登山とか。
 山登りの先輩のST氏、75歳と同行とのこと。
 私も、久住に登りたくなり、久住の法華院温泉で合流することに。

(別府のバス停前の温泉)
別府駅まで電車で行き、九州横断バスに乗るため、バス停に。
 まだ時間が40分ほどあり、ふと見ると、バス停の前に温泉。(冒頭)
 営業中とある。
 ためしに建物に入ってみると、200円。
 これを見逃す手はないと、ザブン。
 温泉の街、別府、どこでも温泉が湧いている。
 かけ流しで、朝の眠気が吹っ飛びました。

(久しぶりの久住)
久住山は13年振り。
 これも大学時代の友人のF氏とS氏と登って以来。
 一番楽なルートと、牧ノ戸峠から、テクテク。

登山客は大半65歳以上のお年寄りと聞いていたが、結構若い人もいる。
極め付きは保育園園児60名の登山。
毎年登っているそうで、しっかり先生の指示に従って歩いていました。
すれ違う登山客、私も含めて目をまんまる。
日本もまだまだ捨てたものでないかも。
 久住山には登らず、久住別れから法華院温泉と考えていたが、欲が出て、結局久住山の頂上まで。
 気分爽快。




(42年振りの再会)
 夕方、法華院温泉に着くと、山小屋の窓から、男性が、「takeda君かい」と。
WT氏でした。
 42年の歳月でお互い、老いは隠せないが、確かにWT氏。
 一風呂浴び、部屋でビールを酌み交わし、42年前の北アルプス登山で、私が写した写真、渡しそこなっていたものがあったので、WT氏に渡し、とうとう宿題を終えた感じ。


(法華院温泉)
法華院温泉は、名高い坊ガつる、の山懐にある山小屋で、かけ流しの温泉が評判。
 山好きのスタッフが揃っているようで、建物の随所に、嬉しい工夫。
 安楽椅子に腰かけて、坊ガつると、大船山の絶景をあきるまで堪能できる部屋や

毎月の楽しい山小屋の企画も。

 翌日は、もみじの美しさに、写真をパチリパチリしながら、終点の長者原に到着。



 WT氏とS氏はレンタカーで、次の目的地の南阿蘇に。
 私は、またバスで由布院経由別府に。

(83歳の登山家)
由布院行きのバスを待っていると、かなりご高齢の登山客が同じくバス待ち。
 言葉を交わすと、50歳のころから、本格的に久住登山を始め、20人ほどの仲間と九重連山の登山を楽しんできたとのこと。
 聞くと、83歳。
 昨年も、私が苦労してたどり着いた法華院温泉に泊まったとか。
 今回は、登山口に遅く着いたので、長者原を1人でブラブラ散策したとのこと。
 20名の仲間は、男性は自分以外は亡くなったり、体を壊したり、家庭の事情などで山に登れるのは自分ひとり。
 女性のメンバーは、80過ぎのお婆さん4人が健在とのこと。
 この5人、週に一度は、弁当を作って外に出よう!が合言葉とのこと。
 このようなアウトドア人生を送りたいもの。

 由布院に着き、散策。
駅前からパチリ。
通りの名前は、由布見通りというそうで、なるほど、雄大な由布岳が正面に。


この通りをブラブラ歩いていくと、金鱗湖まで通じ、しゃれたお店や喫茶店や民芸村や手軽な温泉が続いている。
 観光客の半分は中国か韓国からの旅人で、仲のよい子供連れの夫婦もあり、皆さん、マナーがよい。

帰宅してから、WT氏と42年前登った北アルプスでの写真と、今回の二人を比べてみると、あまりの変わりように、笑えました。
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汐巻での釣りに再登板(2013/9/15)

2013-09-15 22:03:13 | 忘れがたい釣りや山
この夏の猛暑で、いつも釣りに連れて行ってくれる船長達、体のあちこちをオーバーホールを兼ねて、釣りはもうちょとしてからと。
 この1年、楽しく、よく大物が釣れる若松からの船の船長さんも目の調子が悪いので、しばらく休業と。
釣り仲間の工務店のS氏、つてを手繰って、汐巻に釣りをする遊漁船を見つけ、今日、その初乗船。
台風18号が接近中だが、風はあるが、波はなんとかなりそう。

(久しぶりの汐巻)
油谷湾にある、粟屋漁港に到着、予定の6時船到着。
ひょうひょうとした、長身の老船長で、息子さんは別の船で遊漁船をやっているとここと。
第六魚神丸という船。
風がつよくなる、どうするかねと開口一番、船長。
5人の釣りバカの皆さん、しょんぼり、釣り中止かも。
 しかし、頭のいい船長さんで、特牛の漁港からだと、今日の風でも接岸は容易。
しかし、この粟屋漁港では昼過ぎに予報されている強風では、接岸はむつかしい。
提案だが、乗ってきた車(瓦職人のIさんの車に5人便乗)を特牛まで回し、帰りは、特牛港にしたら出れると。
皆さんホッとして、船長の提案通りに。I氏と鉄工所のF氏が車を特牛まで回送し、私と工務店のS氏ら3人は、特牛に向かう、第六魚神丸にそのま乗る。
昨晩釣ったという150匹程の新鮮やりイカも全部持って行っていいとありがたい船長のお言葉。

釣りも中止にならず、イカもたくさんもらえ、思わず頬がゆるむ。

(釣果はグッド)
特牛港から30分程沖に出て、角島が遠くにかすんで見えるところで、船長の仕掛け投入イイヨーの声。
さすが汐巻、真鯛の40センチが釣れたり


アオナの35センチが来たり、

真鯛のダブルまで。

大型のエソ、カナトフグも次々。
あいにく、台風の風で、10時半には、納竿。
汐巻釣れるねーとご機嫌の帰港でした。
また、来たいもの。

 釣果は、刺身で食卓を賑わし、イカも新鮮で美味い。冷蔵庫は海の幸でいっぱい。




楽しい一日、今晩は爆睡の予感。
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鯛やヒラメの舞い踊り(2013/6/2)

2013-06-02 18:38:25 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
日曜日、コーラル丸で関門に釣りでした。
釣り好きのST氏、ベテランのHT氏、割烹屋のSR氏ら6名の釣りバカ。

(アジ釣り場で高級魚)
新日鉄の埠頭近くのアジポイント、今日は小雨交じりの天気でコーラル丸のみ。
アジがポツポツ釣れていたが、突然強い引き。
リールのドラグを緩めて、ゆっくりと上げると、この時期関門でよく釣れるアコ(キジハタ)30センチ。
安物のサビキの仕掛けにアコが掛るとは、ラッキー。
ビールを飲みながら、ぼんやりしていると、突然また強い引き。
竿を絞り込む。
今度もリールのドラグをユルユルに緩めてゆっくり上げていくと、今度は50センチのヒラメ。
タモでヒヤヒヤしながら取り込む。

6月はこのアジポイント、高級魚が安物のサビキ仕掛けに釣れるらしい。
アジの当たりがなくなったので、場所移動。
アジはさっぱりで、25センチのアコが一匹。

(次は鯛)
今日は、評判のセブンスライドで鯛を釣ろうがテーマ。
関門では、3年前から、セブンスライドにエビをつけて、竿を上下させて大きな鯛やマゴチやアコを釣るようになった。
私は、昨年初めてやってみたら、通常の一本ばりの釣りより3倍釣れる。
コーラル丸では今まで、セブンスライドで鯛釣りはやったことがなく、今回初トライ。
潮の流れがまだ早いので、彦島近くで竿を上下。
ST氏、HT氏に35センチ程のマゴチが上がる。
潮が緩んできたので、大里沖まで船移動。
本当に釣れるのかねと、私以外は半信半疑。
釣れんねーとぼやいていたら、突然私の竿が引き込まれる。
鯛に違いない、それも大きい。
ドラグをユルユル、5分ほどやり取りして、20メートルの海底から上がってきたのは、50センチ程の立派な真鯛。

今日は、鯛やヒラメの舞い踊りの日。

 あいにく、妻は横浜で孫と遊んでいるので、私は、アジやアコを持ち帰り、鯛とヒラメはほかの釣り人にさし上げる。
50センチの鯛やヒラメは私の調理の腕ではもてあます。
雨が一日中降り、寒かったが、嬉しい大漁で、ご機嫌で我が家に戻りました。
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不良爺さん達と高知の柏島旅行(2013/5/19~20)

2013-05-21 01:01:46 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日、今日と四国高知の西部にある柏島に一泊旅行でした。
年2回、不良爺さん8名程で一泊旅行しており、今回は柏島となったもの。
ラーメン屋のI氏が大将で、工務店のS氏、大工のM氏、世話好きのMT氏等7名で。
常連のM画伯は、南アフリカに旅行中とか。

(柏島)
私が柏島を知ったのは、正岡子規の病床6尺を読んでから。
島の素朴な水産学校の紹介があり、そんなに素晴らしい学校があった島に行ってみたいと思ったもの。
ラーメン屋のI氏に話すと、よし行こうとなったもの。
 調べると土佐藩の初期の名家老の野中兼山が、この島に、防波堤を築き、それでこの島が豊かな漁港になったとも知り、これは行ってみなくてはとなったもの。
 行きはあいにくの雨で、佐伯から宿毛までのフェリーも結構揺れる。(冒頭の写真)
宿毛から一時間ほどして着いた柏島の民宿(はまゆう)に荷物をおろし、観光パンフレットにあった野中神社への道を宿の女将さんに聞いて、爺さんたちとブラブラ。
 漁港の近くには、野中兼山が築いた石垣の上に、顕彰の碑。

 廃校になった中学校に隣接して野中神社はあり、神社の横は、野中兼山が中心になって築いた、島と四国の間の防波堤は今も残っており、西からの高波を防いでいる。



 さあこれから宴会と宿に戻ると、なんと、宿の隣に、正岡子規が褒めた水産学校跡地との石碑。

来たかいがあったというところ。

(柏島の釣り)
翌日は、晴れたものの、風が結構あり、計画していた民宿のご主人に案内していただいた釣りは、苦戦。
せっかく遠くから来たのでと、風を避けながら、船を船長操ってくれる。
工務店のS氏とラーメン屋のI氏、薩摩隼人のO氏と私の釣り自慢4人、北九州ではやっているセブンスライドを持ち込んでビシヨマテンヤで釣り。
大鯛が何枚も上がっていると聞いていたので、もっと大きいクーラーボックスをもってくるべきかと、思ったり。
結果は、アラカブやカワハギが皆さん3、4匹といったところで、苦戦。

柏島では、フロロカーボン100%の重い糸に針と餌だけ錘なしのシンプルな仕掛けで、大鯛を釣るとのこと。撒き餌もたくさん。
ふかせ釣りと言うそうで、アンカーを打って。
ポイントは港のすぐ近く。水深は50メートルもある。
私たちの仕掛けに合わせて、船を流してくれるも、4人とも天狗の鼻を折られて、「釣りは奥が深い、修行が足りん」と言い合ったことでした。
 港のすぐ近くでは、ハマチ、鯛、マグロの養殖。

マグロの生簀は、フェンス状囲んでいるとか。土佐は豪快です。
見るもの聞くもの全て珍しい。
昨日の野中兼山が指導して築いた防波堤のおかげで、島の東側がいい港になっているのが海から眺めるとよく分かる。

 軽いクーラーボックスを気の毒に思って、船長さんから60センチ程の立派な鯛を2匹プレゼント。

(不良爺さん)
遠路はるばる、北九州から宿毛のさらに南の柏島まで、喜々として旅行に出てくる不良爺さん達皆さん遊び心があるーと感心しました。
食欲も旺盛、ビールもしこたま、いびきもすごい。
親切にもてなしてくれた民宿の大将(スキューバーダイビングと釣りの船長)と爺さん達でパチリ。


 帰りのフェリー、海はすっかり波静かになり、夕陽に見とれました。

楽しい旅行でした。
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釣り納め後宴会(2012/12/29)

2012-12-30 14:40:13 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の土曜日、コーラル丸で関門に釣り納めでした。
冒険家のM先生、コンビニのMZ氏の3人の釣りバカ。
なお、MZ氏はセブンスライドの考案者で北九州では名高いMZ船長の父上。(左のブックマークのMZジュニア名人)

(いい型のアジ)
  今日は、夕方、飲み仲間の不良爺さんたちを我が家に招待して、盛大な宴会の予定。
当然、今日釣ってくるはずのアジはメインディッシュになっている。
釣れるかしらんと少々心配。
 まだ薄暗い、小倉港を船は出港、アジポイントの新日鉄の埠頭近くに快調に船は走る(冒頭の写真)。
アジポイントを3箇所、移動しながら、いい型のアジが結構上がる。
ヒラメもあわよくばと、釣れた小あじを餌に、置き竿にするも、これは空振り。
最後のアジポイントは、小倉港にコーラル丸と並んで船を止めている、2隻の釣り船。
このあたりのアジポイントをよく知っている船長たちで、エンジントラブルがあったりすると、お互い救援に駆けつける仲良しの船長さん達。
コーラル丸で釣りをしていて、2度、救援してもらった経験。
その一隻をパチリ。

(宴会)
先日、酔った勢いで我が家で宴会をすることに。
夕刻、冒険家のM先生、小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏、絵描きのM画伯、ご意見番のY氏ご夫妻に薩摩隼人のO氏ご夫妻で、総勢11名。
今日釣った、20センチ余りのアジ、15匹程を私が3枚に下ろし、妻が刺身に仕上げて皆さんに振る舞うとこれは美味いとお褒めの言葉。
M画伯は関アジの刺身と変わらんと。
妻が簑島で運よくゲットした牡蠣6キロを室内で炭火で焼く。
残念ながら、今の時期、客が殺到し、小しかなかったが、小さいが味はこの方がいいぞ、と皆さん美味い美味いで満腹。
アジのフライ、農園のジャガイモ、ヤーコンをふんだんに使った、料理に皆さん、もう食えん。
お開きになり、パチリ。

M画伯、こうした会合を3カ月おきにやってくれとヨタを飛ばして宴会終了。

 楽しい一日でした。
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命拾いした昔話・猪突猛進男万歳(2012/5/31)

2012-05-31 23:36:45 | 忘れがたい釣りや山
 このごろ、高齢者の山での遭難のニュースをよく耳にする。
私も、あわや遭難して凍死しかねないことになった経験がある。

21歳、大学3年目の春のゴールデンウィークに仲の良かった5人で気楽に東北旅行に出かけ、ついでだと会津磐梯山に登ったのがその危ない経験。昭和45年、今から42年前。
私は四国愛媛の出身で、高校生の頃、3月の春休み、1800メートルくらいの山に登ったことがあり、雪も無く、道もしっかりしていてただ美しい自然が一杯という登山。それより一月後だから、似たようなもんだろうと、磐梯山に登ろうとなったもの。5人とも、キャラバンシューズとリュックに雨具は用意したが、山は素人に近い。麓のユースホステルで一泊、雪が減り営業の終ったスキーのゲレンデをスタートに地図を見ながら登山開始。

歩き始めて1時間ほどしてから様子がおかしくなった。雪が深く積もり、道がところどころ見えない。何とか頂上について、記念撮影をして裏磐梯に下りることに。道は所により2メートルはあろうかという積雪。おまけに深い霧。どこにいるのかさっぱり分からない。先頭をあるいていた私が立ち止まって、地図や磁石でオロオロしているが、引き返しても進んでもうまくいくとは思えない。だれかベテランの登山家が来ないかと思うも人の気配がない。5分ほど立ち往生していると、自衛官の息子だという角田氏がよし、行こうとさっさと雪に覆われ道なき道をどんどん歩き始めた。成り行きで残りの4人もただ角田氏の後に付いて歩くこと30分、どうにでもなれと思いながら角田氏のどんどん進む後をついていくと、突然霧が晴れ、今どこにいるか分かる。裏磐梯に下りる鞍部の近く、正しい道を歩いてきたのだ。

そこで先頭を替り、鞍部まで歩き、やはり休業中のスキーゲレンデの雪の原を尻スキーで1キロ近く一挙に滑り下り裏磐梯の麓まで。スキーロッジで一休みして、留守番のお婆さんが、「あんたらどこから来たの」と尋ねるので、あの磐梯山を越してきたと指さして答えると、なんとバカな事をと絶句の表情が今も鮮明。

 その後、S氏とN氏は銀行員になり、F氏は官庁勤めのあと、立命館大学の先生になり、私は田舎生活を不良爺さんたちと楽しみで63歳の今まで愉快な人生を送っている。俺に続けと雪と霧の磐梯山を先導した角田氏とは音信不通。しかしその時の仲間と会って話すのは、生き延びてここにいるのは角田氏のおかげと。

 角田氏除く4人は、常識の人で平和な時なら、やっていける。しかし、磐梯登山のような非常時には、角田氏のような猪突猛進タイプがいないと生き残れないと痛感。今の時代、豊かさと平和が続いて、角田氏のような猪突猛進タイプの人は、やりにくい。丸っこい常識人の型に押し込んで、抵抗したら、アスペルガー症候群だ、自閉症だとレッテルを貼って気取ったり、得意顔。せめて、猪突猛進型と呼び名を変えて、心ある人はこのタイプの猪突猛進の人は世の宝と大事にすべきと思う。

 磐梯山遭難直前の日の私の日記。
「(昭和45年4月28日 takeda21歳。) 磐梯山登山。霧が濃く、しかも残雪深し。登山路はほとんど見分けのつかぬ所もあり。とても寒い。それでも、角田の好リードのおかげで無事頂上を極め、裏磐梯に着く。五色沼は雪解けの増水のため五色ではなかった。この日は裏磐梯ユースホステルに泊まる。」

冒頭の写真は明日はあの山に登るぞ列車の窓からとパチリ。
登山前、私がエラソウに地図でルート確認。

ちょっとヤバそうとtakeda不安の山登り。

磐梯山にたどり着き、記念写真。角田氏がいなければ、軽装無謀・親不孝登山のバカモノとお笑いの最後の写真になるところ。

角田氏のおかけで下山口の鞍部に到着、有名な爆裂火口を背景にパチリ。

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松永安左エ門の尾瀬登山 平野長蔵氏と対面

2011-02-24 22:30:09 | 忘れがたい釣りや山
 田舎生活の暇に任せて、松永安左エ門著作集を読んでいる。松永安左エ門は戦後の電力民営化を実現した気骨の実業家であり、傑出した茶人、登山家、文筆家、歴史家、遊び人。尾瀬の自然を守ったことで知られる平野長蔵氏と尾瀬登山の際に、意気投合した様子が、尾瀬登山の紀行文に描かれていた。今から90年近く前の話だが、生き生きとして新鮮。


松永安左エ門著作集 6巻p49

大正14年8月31日
 朝6時半戸倉を立ち出ず。片品川の流れを谷深く見下ろしながら野萱原の中を進む。朝露衣を潤し、靴は中まで透る。秋草の尾花、苅萱萩、桔梗全部咲き揃う中を行く身は風流画中の人。約2里半もこの萱野を通って、道はだんだん樺、楢の茂林のうちに入る。
 萱野原半日の旅花に飽く
これより道は三平峠にかかる県道なれば自動車も通れる勾配だが、如何にも手入れが悪く幅も狭く、群馬県が道路に力を入れぬのを残念に思う。三平峠大分上り詰めて立て札がある。この上には清水なしと。札の側に岩間よりトクトクと清水が流れ出ている。ここにしばらく休息して白根、燕巣の連峰を見る。一面の山々谷々、広葉樹林の碧の波。幾十億本の自然林、雲に入り天に接している。一同相省みて、日本もこれだけ木があれば当分大丈夫と感嘆した。
やがて栂、唐松を交えたる針葉樹林に来たので、頂上の近きは察せらるるもなかなかのダラダラ登り。容易に頂に来ず。そのうちようやくに達したる辺に尾瀬沼の国立公園の主唱者であり、この沼の主と称せらるる平野長蔵氏の制札がある。
 曰く「一草一木大事にすべし。紙屑などを人目につく所に捨つ可らず。斯くして尾瀬沼の自然美を保つ事に一同協力せよ」
 なる程老木の茂林を徹うして、尾瀬沼は燧岳を背景に一面の碧波を湛えている。底の余り深からぬ水の清き穏やかなる沼である。沿岸は針葉樹広葉樹を交えた森林で突き出せる半島となだらかな曲浦とを飾っている。間もなく長蔵小屋に辿り着き、ここにて弁当を開いた。時まさに午後一時。非常に面白い旅だけに腹も減り、小屋より与えられた岩魚に舌鼓を打ちつつ長蔵翁と語った。翁は52、3なれども鬚髯茫々として白を交え、一見六十有余。若くよりこの沼に来り、今では鱒の養殖は沼に適せぬため失敗し、岩魚の人工養殖をしている由。この人なかなか英気あり、尾瀬沼を「ダムアップ」するということに反対し、その風景を破壊し、水の利用率も大ならざることを主張する。これにはわれらも同論だ。
 国の富と誇りは種々あるが、物質に走りて余り益もなきに、天下無二の好風景を破壊するには反対せざるを得ぬ。
 長蔵翁は学生夏季宿泊用の家を建つるため資金を集めつつあるというので、われらもいささかの醵金をしてなお翁が東京へ来って募集する折には手伝いする約束をしておいた。学生は深山大沢にいくべきである。篤志の人は、その方法を立ててやるべきである。予は翁の成功を心から祈るものである。
 この沼は半分は群馬県であるが、半分は福島県で一部は新潟県に属している。いわゆる三県に関係している。沼から会津に出る県道は立派についている。
 長蔵翁の若い娘さんが、船を艤して向こう岸まで渡してくれることになり、予らは翁と小屋とに別れを告げ、この沼の乙女に送られて湖上に出たのである。あたりの風光はなかなか見事だ。櫓の音は静かに響を伝えている。われらも代わりやって手伝う。・・・・・


(このとき、松永安左エ門は51歳 東邦電力を率いて、九州をスタートに関東を席巻し日本の電力の1/3を配下に治めつつある頃。)

 なお、この話の70年後、今から20年前、我が家で尾瀬に家族登山で写した写真下に。尾瀬沼の沼尻で多分、平野長蔵氏のお嬢さんに、伝馬船で沼を運んでもらった終着の波止場。この尾瀬沼での松永安左エ門と平野長蔵氏との偶然の対面がなかったら、尾瀬沼も尾瀬ヶ原もダム湖の底で、この家族写真もなかったかも。

 今度の日曜、汐巻に鯛釣りの予定。
今度こそ、波静からしく、今からソワソワ。

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汐巻で鯛テンヤ・手釣り開眼(2010/10/10)

2010-10-12 00:47:02 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、山陰の名高い漁場の汐巻に釣り。
今日は、妻と妻の卓球友達の3人で耶馬渓のなかま温泉、晩は、昨日の獲物の鯛の刺身片手に、M画伯のアトリエで、宴会。
愉快な2日間でした。
冒頭の写真は汐巻鯛釣りで、出港して間もなくの日の出。


(手釣り、分かってきた)

 汐巻は真鯛の宝庫で、これまで何回か連れて行ってもらったが、皆さん60センチ代の見事な鯛を釣りあげる。
私は無縁。
水深90メートルで先輩方のような手釣りは自信なく、もっぱら竿釣り。
汐巻釣りの先輩の工務店のS氏、鯛テンヤという鉛の錘の先に直接釣り針2本ついた、仕掛けで手釣りを勧めてくれる。
しかし、道具をそろえてトライするもいつも失敗。
手前祭りに魚の当たりも分からず。
鯛テンヤの名人のHPでの解説を読むと、なんとかやれそうな。
今日は、3時間ほど竿釣りの間に工務店のS氏、60センチの見事な真鯛(下の写真)。

リーダーの木工職人のSG氏は、鍋にすれば絶品のアラ50センチをゲット。(下の写真)

お二人とも鯛テンヤの手釣り。
私の方は、20センチ程のかわいい真鯛やら、ぺらの仲間のハトポッポという釣れても嬉しくない魚ばかり。
エエイと、持ってきた鯛テンヤの手釣りに切り替え。
HPで学習した釣りのイロハ(左のブックマークの鯛テンヤのイロハ)どおり、2、3メートル底からさらに糸を出して、その後少しずつ糸を手繰っ引き上げてていくと、なんと、手先に微妙な手ごたえ。
思い切りしゃくって、糸を手繰ると、糸先で魚が糸を引き込む強い手ごたえ。
以降、4時間、釣れるは釣れるは25センチから44センチまでの真鯛が30匹程釣れる。
下は30センチ程の鯛がダブルで釣れたところ。

カナトフグとか、ウマヅラハギ、アラカブといった美味しい魚も次々。
赤ヤガラというテレビでは見たことがあるが、釣ったのは初めての珍魚も。下の写真。

木工職人のSG氏は、おいしいから、持って帰れと。
鯛テンヤの手釣りが優れているのは、広い範囲を魚から見て自然に誘え、微妙な当たりも感じることができることのよう。
納竿時、30リットルはいる私のクーラーボックスは満タン。
船長の釣った魚を、4人の釣り人で均等割するのだが、入れるスペースがなく、鬼カサゴだけいただき、後は大型のクーラーボックスを持っている
工務店のS氏に謹呈の余裕も。
帰りの船でパチリ。


(たまげた)
この日は、驚きが2回。
まず出港で朝粟野から船に乗ろうとすると、別の釣り船のグループ。
おひとり足を一歩づつ引きずりながら歩いて船に向かうお年寄り。
足元がおぼつかない。しかし、周りの人が抱きかかえて、1メートルほど段差のある船に乗り込む。
聞けば、88歳。
こんなに体力が落ちても釣りに出てくるとはとあきれるやら、驚くやら、うらやましいやら。
次のたまげたは帰宅のためS氏運転の車で角島近くの山道(国道)を走っていると、突然、大きな鹿が飛び出してくる。
立派な角の雄鹿。
あわやのところで、逃げて行ったが、ぶつかっていたら、こちらの車(軽自動車)もフロントガラスも割れて、危ないところ。
自動車がイノシシやら鹿とぶつかって乗っていた人がえらい目にあったとは他人事としか思っていなかったが、まさか、自分が遭遇するとはとこの日2度目のびっくり。

(宴会)
 夕方6時過ぎに家に帰りつき、珍魚のアカヤガラと、船長にいただいた鬼カサゴ(オコゼに似ている)を
刺身。
特にオニカサゴは絶品。
この日の晩御飯は刺身と竹田農園の宿敵イノシシから取り上げた山栗を栗ごはん。(下の写真)


(良いことの後は失敗 私、妻、S氏)
 意気揚々の後、私も大鯛を釣った工務店のS氏、悪夢。
私は、妻と友達のY夫人とで温泉。ひなびた良い温泉に。
釣りで荒れた手もスベスベ。
風呂からさあ出ようと、貴重品ロッカーから財布・携帯電話を出そうと、手首につけたはずの
鍵を見ると、鍵がない。
あわてて、服を着て管理人のおばさんに、合いかぎをお願いするも、合いかぎが効かない。
騒ぎに気の付いた、風呂に居合わせた、人たちが浴槽内から、最後は排水溝の蓋まで持ち上げて探してくれる。
入浴前、温泉の入り口のベンチで足を伸ばして大声でしゃべっていたので、生意気なやつらだと、思っていた、ドライブ中の若者2人、自分のことのように、心配してくれて、人は見かけで判断してはいけないと反省。
ロッカーの中身が盗まれていないか確かめたく、ロッカーの扉の隙間から覗くも暗くて分からない。懐中電灯貸してと受付の女性に頼んでいると、この若者の一人、「持っています」と渡してくれる。
やれやれ、荷物は取られていない。
65歳程の温泉好きの男性がリーダー格になってくれて、どこにキーは行ったのかと私と一緒に探したり、思案してくれる。
荷物はなくなっていないので、明日にでももう一度来ますと、キーの捜索は切り上げる。
脱衣場から出ようとすると、この65歳程の男性、「これは何!」と大きな声。
なんと探していたキーがこの男性の脱衣籠の中に。
キー捜索をあきらめて、服を着はじめて気が付いた。
一緒に探してくれた別の男性は、「よくある。自分の脱衣籠の隣に、何気なくキーを置いて、そのままにしていた。ほかの人がその上に衣服を入れているので、そこまで剥いでみないから、分からない」 
皆さんよかったよかった。
休憩室にいた数人のお年寄りのグループの人も騒ぎに気が付いていて一斉に、良かったねー。
ほっとして、地獄から天国と思いながら、休憩室で新聞を読んでいると、65歳程の男性、受け付けのおばさんに「よかったね、この人(私のこと)は、正直そうな顔をしてるので、よかった、よかった」と言いながら、出て行かれました。
この話を、休憩室にやってきた妻に話すと、「あんたもね」と。
聞くと妻も貴重品入れのロッカーキーが見当たらなくなり、5分程して、窓の桟に置いてあるのを見つけてほっとしたとのこと。
 失敗は、大鯛を釣った工務店のS氏も。
M画伯のアトリエでの宴会の帰り、S氏宅に寄り、コーヒー。
S氏の奥様の言うにはS氏の救命胴衣が汚れているので、水道の水をジャブジャブかけて洗ったとのこと。
突然、救命胴衣の袋が開き大きくなったとのこと。
このタイプの救命胴衣は夏、かさばらず、暑くないので、大半の釣り仲間が着用。
いつも話題になるのは本当に海に落ちたら救命胴衣は膨らむのか。
誰か、海に飛び込んで試せと言うも、誰も飛び込まないし、他のグループの釣り人からも、試したという話は聞かない。
S氏に、膨らんだ救命胴衣を見せてもらう。下の写真。

結構厚手の丈夫そうなビニールで事故の時、なんとか役に立ちそう。
なお、開いた救命胴衣釣具店に持っていくと、カートリッジを取り換えてくれるそうな。3000円。
コメント
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