田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

手釣りデビュー 汐巻で手釣り(2010/9/19)

2010-09-19 23:57:18 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
朝晩、過ごしやすくなってきました。月の一度の名高い漁場、山陰汐巻での船釣りでした。
冒頭の写真は、出港時の日の出。
40年続いている、木工職人のSGさんの釣りグループに欠員要員として仲間にいれてもらっているもの。

(手釣り初歩コース)
 SGさん、工務店のS氏等、皆さん水深90メートルの汐巻で手釣り。
鯛テンヤという鉛の錘の先に針のついた仕掛け。
私は関門のような水深20メートルの海では手釣りは慣れているが、90メートルはおじけついて、一人竿釣り。
手釣りの方が、道具がかさばらず、特に大物の鯛がよく釣れている。
あちこちで聞いて、仕掛けを作り、お昼前から手釣りに切り替え。
ちょうど、「潮が動かん、移動するぞ」との船長の一声で、水深50メートルの角島近くのポイントに移動。
いい練習になりました。
竿では、私はもっぱら、ハトポッポと皆さん呼んでいるぺらのなかまの大きな魚がたくさん釣れる。(下の写真)

 ヌルヌルするので、釣り人は、釣れてもあまり喜ばない。
しかし、手釣りににすると馬面ハギ、イサキ等お刺身にちょうどいい型が次々釣れ、手釣り初心者コース、まずは無難にスタート。(イサキを片手にパチリ)


(61才は青年)
 木工職人のSGさんたちの釣りグループ、皆さん40年来の釣りのなかまとのことで、ガツガツせず、喜々として釣りを楽しんでいる。
1月と8月は休むが、それ以外の月は、2回/月のペースで釣り船を借り切って汐巻で釣り。
今日は総じて釣果は今一で、甲板上でにぎやかにおしゃべり。
木工職人のSGさんが、私に、何歳かと聞くので、「61歳です」と答えると、「私より11歳年下ですな」とSG氏。
別の方が「61歳は青年じゃ。後10年は釣りできる。そのあとは・・・・」
工務店のS氏に「Sさんは何歳?」と聞くと、55歳。
「あと、15年は大丈夫。しかし、そのころ私たちは、どうなっているやら。」と木工職人のSG氏。
「悪いが、家に迎えに来て、釣りにつれていってくれんじゃろか」と言うかもと。
「95歳まで、釣りに行っている人がいた」とか、
「車いすで釣り船に乗っているのを見たことがあるぞ」とか話題は尽きない。
私とコーラル丸の釣り仲間の工務店のS氏以外は、船長含め、70歳を軽く超える。
最近、SGさんの釣り仲間、目が悪くなったり、脳こうそくで倒れたり、心臓が悪くなったり、で健康が万全とはいかない。
それでも、釣りに出てくるのだから、恐れ入る。
帰港し、73歳の壮年組と61歳の青年で記念写真。



(調理)
 夕方6時過ぎ、我が家に帰りつき、イサキ、馬面ハギは妻が刺身に。なかなかの味。(下に写真)

重量級のハトポッポ(イラ)は私が夕食後11時近くまで、3枚に下し、皮を剥ぎ、きれいなブロックの魚肉に。
冷凍し、フライにして食べるとおいしい。
今晩は爆睡の予感。
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それから40年(2010/9/9)

2010-09-09 22:35:39 | 忘れがたい釣りや山
長男から尾瀬の燧岳に友達と登ったと楽しそうな写真。(冒頭の写真)
この山なら私も20歳の時登ったはずと日記を見ると、尾瀬を囲むもう一つの山、至仏山頂近くで友人と写した写真。(下の写真)


あれから40年、釣りと畑に夢中で、しばらく登っていない山にまた行きたくなりました。
手軽なところで、九重山から法華院温泉。

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汐巻で船釣り(2010/1/25)

2010-01-25 11:36:51 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、名高い漁場の汐巻(山陰角島沖)に工務店のS氏に連れて行ってもらい、船釣りでした。

(天秤釣り)
汐巻は、日ごろコーラル丸で出かける関門海峡と違い、日本海の外海。
水深は関門海峡が20メートル弱のところが多いが、ここは80メートルが平均。
数年前、私の釣りの師匠のG氏に時々、福岡の鐘崎から沖釣りに沖の島近くまで釣りに連れて行ってもらっていたが、その時の海とよく似ている。
沖ノ島沖では、胴つき仕掛けより天秤仕掛けの方がよく釣れていたので、今日は天秤仕掛けで釣り。
投入して30分程して、40センチ余りのアマダイが釣れる。
これは幸先いいとニコニコしていたが、後が続かない。
隣でテンヤ仕掛けで手釣りの船長は、「潮が動かん、魚はおるが、食わん」と。
しかし、船長は、事もなげに、鯛やらタカバやら大型のアラカブを次々上げる。
工務店のS氏やらS氏の師匠のSW氏(腕のいい木工職人)は鯛ねらいとのこと。
沖ノ島より汐巻の方が鯛は魚影が濃い感じ。
帰港して帰りの車中でS氏が言うには、今日は私が天秤で釣っているので、大鯛は食わんと船長が話していたとのこと。
普通なら、天秤はやめて別の仕掛けに変えてと、いうところだが、皆さん、新参の私の自主性を尊重してくれて、おとがめなしだったと知った次第。
これはまずいことをしたと、恐縮。
(港に戻って、パチリ。魚の7割は船長が釣ったものをいただいたもの)

(船酔い)
汐巻には、北九州市から車で1.5時間の粟野漁港から出港。
朝4時車で港に向かう。
私は車の免許がないので、通常の釣りは電車だが、朝が早すぎ始発の電車はまだ動いていない。
そのため、工務店のS氏の家に晩、妻運転の車で押しかけそのまま泊めてもらう。
寝る前にビールで釣り談義。
昨年秋、このビールが多すぎ、翌日の釣りは二日酔いと船酔いで苦しかったのを反省。
今回はビール2缶に控える。
しかし、出港し船の揺れに足を踏ん張って竿を出していると、胃の辺りがムカムカ。
吐くほどではなく、昨年秋より軽症。
次回は缶ビール1缶にしよう。

(ヤズ大漁)
お昼間過ぎ、納竿まで後2時間になるも、生けすの中は、魚影が薄い。
船長の提案で、ヤズ(35センチ前後のブリの子供)が近くでたくさん釣れているので、それを釣って土産にしないかと。
皆さん、船長のおっしゃることなら、お願いします、で、カモメが乱舞する海域に。
この下に、ヤズの群れがおり、ヤズに追われた小魚が海面近くに来るのをカモメが狙っているということらしい。
仕掛けは専用の漁師仕掛けがあり、これからは船長の独壇場。
20メートル程の幹糸にゴム製のイカの姿をした疑似餌付き針が20個程。
これを投入して手釣り。
私がこれを扱うとたちまちお祭りは確実。
船は揺れるので、私は足を踏ん張って座っているのが安全。
船長は素晴らしい手際で次々ヤズ、時々、鯛やらホウボウの35センチ前後を上げる。
サワラも。
仕掛けをもう一個、出してくれて前甲板にいる、工務店のS氏ら3人で格闘。
この3人お祭りになり、10分程糸をほどこうと苦労。
船長が見かねて、2分で複雑に絡まった糸と針を難なく解く。
皆さん釣り歴30年のベテランぞろいだが、脱帽。
後ろ甲板で船長の手際に目を見張っていたら、針掛かりした、ヤズをこれを外しなと、私と作業着屋のH氏に手渡してくれる。
少し釣りに参加している気分に。
船長の釣ったヤズを持って、パチリ(下の写真)


船長の心使いだが、釣り名人の船長の横では、私もH氏も幼稚園の子供。
ヤズは全て5人の釣り人のにいただき、一人15匹前後に。
35年間、この船長の船を毎月2回の年間予約している木工職人のSG氏、新参の私とH氏と工務店のS氏に、
「こんな釣りをしてくれるのは、初めて。あんたらはラッキーよ」と。
感激。
帰港途中の船の船尾からパチリ(下の写真)



この汐巻での船釣り、長年のメンバー、月2回の釣行が体力的にきつくなったので、時々、行けないことも。
毎月の第四日曜日、これから私を誘ってくれることに。
いいグループとお近づきになれた。
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初めての汐巻 汐巻で船釣り(2009/9/27)

2009-09-28 15:40:12 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日は、山陰の名高い漁場の汐巻(しおまき)に船釣りに行きました。
飲み仲間の会、「黒ラベルの会」のメンバーの木工ろくろ職人のSG氏の釣りグループに飛び入り参加したもの。
コーラル丸の釣り仲間の工務店のS氏も一緒。

(二日酔い)
 車で2時間弱のところに港があり(粟野)朝は4時に車出発。
工務店のS氏のお宅に泊めてもらうことに。
晩妻運転の車で、S氏宅に着くとコーラル丸の釣り仲間の服屋のH氏夫妻も来ていて、宴会の最中。
H氏は明日の釣りに行かないが、S氏の御近所でよく宴会するらしい。
汐巻での釣りの経験がH氏にあり、いろいろと釣り方や釣れる魚の話を聞いているうち、ハッと気がつくと二人の間に缶ビール10本が空に。
S氏は既に白川夜船。
布団にはいると酔いが回って頭クラクラ。
港に着き、沖に出て、魚を釣っていても、二日酔いと揺れる船に、気持ワルーがお昼まで。

(連子鯛) 
古いカルデラらしい油谷湾の奥深くの粟野港6時出港、湾の入り口にさしかかると、朝日が山間から顔(冒頭の写真)。
陸地がやや小さくなると、船長「魚探に少し反応があった」とエンジンを止めパラシュートアンカーを海に投入。
深さは90メートル。
程なく小さな当たり、しかし針掛かりすると素晴らしい引き。
リールも時々余りの重さに空回り。
連子鯛。(下に写真)



(ハトポッポ)
 連子鯛の当たりが遠のき始めると、場所移動。
真鯛が前日たくさん上がった場所らしい。
S氏が大物といいながら釣り上げた魚を見ると、不格好な40センチ余りの魚。
確かTVの釣り番組でハトポッポと呼んでいたベラの仲間で、イラが正式名。
S氏あまり喜ばず。
次にSG氏にハトポッポ、立て続け。
S氏と私の生けすに、やるよと、大きなハトポツポを投げ込む。
私にも素晴らしい引きでハトポッポ次々。
合間に、大型カワハギとかタカバとかホウボウ、アラカブと聞きなれた高級魚も竿を曲げる。

(30年余り) 
釣りの合間に、背中合わせで釣っていたSG氏に汐巻での釣りはいつからやっているのか等聞く。
30年以上になるとのこと。
毎年、この船を3月から12月まで毎月2回のペースで年間予約。
客定員は、5名で、固定のメンバー。
時々、メンバーの都合が悪い時、私のように飛び入りもできるらしい。
皆さん、お人柄もよく、見かけたところ70歳は超えている。
仕事も自営でマイペースらしい。
大型クーラー満タンの魚を船から降ろし、港でこのベテラン釣り師達と記念写真。(下に写真)


 帰宅して妻とハトポッポと格闘。長さ40センチ前後あるのが5本で、うろこは大きくてはがしにくい。
うろこを付けたまま、3枚におろし、皮をはぐと、きれいな白い切り身たくさんとれる。
フライにすると美味しいらしい。
全て終わったのが晩の11時で、後は今朝まで爆睡。
SGさんには、また欠員が出たら、飛んでいきます、声をかけてくださいとお願い。
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関門で五目釣り(2009/9/24)

2009-09-24 22:40:37 | 忘れがたい釣りや山
仕事休みなので、コーラル丸で関門に釣りに行ってきました。
薩摩隼人のO氏、歴史家のT氏、M画伯の4人の釣り人。

(アコ、バリ)
 20センチ余りの、良い型のアジが次々上がり、船上は余裕。
M画伯が突然真剣にリールを巻く。
高級魚のアコ。
但し小型。
皆さん心から感心。(冒頭の写真)
そのあと、T氏がタモ出せと。
竿が大きくしなっている。誰かが「バリじゃ」。
夏によく釣れるというバリ。
私は釣ったことは無いが、味はいいらしい。
しかし、オコゼ並みの毒針。
一番の若手(60歳)の私が、毒針を切り落とす係りに。
オコゼの針は何度か切ったことがあり、同じ要領でやると結構簡単。
内臓が臭いので生きているうちに、調理が原則とのことで、頭を落として、内臓の塊をそのまま海に捨てる。
肉を海水で洗うと、美味しそうなバリ出来上がり。
秋が近付き、魚も多彩に。



(カワハギ釣れた)
 10月になるとおいしいカワハギが毎年釣れる。
そろそろ釣れるのではと思っていると、私の竿に強い引き。
カワハギゲット。
「おー、カワハギの先遣隊じゃ」と船長。(写真上に)


(アジ一夜干し)
 ジリジリと熱い日差しの中を、自転車を押して我が家に。
大振りのアジは、さばいて、一夜干しに。
釣ったアジ、写真上に。今日はたくさんアジが上がった。

 今度の日曜日、山陰の潮巻きという沖にアマダイ、レンコ鯛釣り。


 
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定員オーバー始末記(2009/8/5)

2009-08-05 21:20:24 | 忘れがたい釣りや山
先日の日曜日、定員オーバーでおでん屋のS氏が「私が抜けましょう」と言ってくれて、無事、出港しました。
今日、お詫びに、竹田家自家製味噌、熟成1.5年をタッパーに入れてもらって(妻から)S氏のおでん屋(堺町の大太鼓)に行ってきました。

(私しかいない)
 味噌を渡して、カウンター越しにS氏と雑談。
S氏が抜けてくれたおかげて、無事出港できた。
Thank you と言うと
「他の皆さん、それぞれの友達やら、息子さんと来ていたので、ひとりで来た自分が抜けるのがいいと思った。」とのこと。
この判断を0.1秒の瞬時に行って、実行してしまう、S氏、素晴らしい。
大太鼓がいつ行っても大入り満員の訳がよくわかる。
(エライ)
 このやり取りを横の席で聞いていた、年配の常連と思われる紳士、
「エライ、それができるのは、マスターだけ。」
と。いや、全く。
(大漁で良かった)
 S氏、この紳士に、この日は、皆さん大漁で、良かった。
紳士は不思議そうに、「他の人が釣れたら、ますます、残念でしょうが」
と聞くと、
「自分が抜けて、釣りに行った皆さんが釣れないと、甲斐が無い。
抜けて、たくさん仲間が釣れて、抜けた甲斐があるというもの」
S氏には、当分頭が上がらない。
(元を糺せば)
 このおでん屋のS氏、飲み仲間のマドンナの世話好きのS女史の昔からの知り合い。
 S女史が私をこのおでん屋に連れていってくれて、引き合わせてくれたもの。
 まさか、定員オーバーを予知していたわけではあるまいが、今回も、S女史に危ういところを救ってもらった。

 おでん屋のS氏の雄姿、冒頭に。
 
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四国の旅(2009/7/21)

2009-07-21 19:33:56 | 忘れがたい釣りや山
この4日間、四国で2年前無くなった父母の3回忌と、そのあと、今治、徳島市、大歩危(おおぼけ)、大洲市と遊んできました。
私と妻の還暦祝いも兼ねる。

(桜井海岸)
 私が18歳まで過ごした今治市は、花崗岩質の地質で海岸は石英、長石が砕けた米粒を敷き詰めたような白い海岸で、海での水泳は快適。
法事の翌日、妻、長男、次男の4人で徳島に住む長女夫婦の家までの道中、今治の桜井海岸で途中下車。
男3人、海岸の松林の中で海水パンツに着替えて、海にザブン。
澄んだ海水の冷たさに震えあがったが、すぐ慣れて3人でスイスイ。
シャキとして、目が覚めました。
海岸でパチリ(冒頭の写真)。

(吉野川急流下り) 


旅行3日目は、長女夫婦と次男と分かれて妻、長男の3人で一路車で吉野川上流の大歩危に。
妻がガイドブックで「トーチャン、吉野川の急流下り、面白そうよ」の一言で、長男と二人で申し込んだもの。
大型のゴムボートで大歩危の急流を下るらしい。
ガイドブックを読むと、身長130以上で特に年齢制限はない。
写真を見ると、若い女性ばかり。
おそるおそる、電話で、60歳でもいいのか、と聞くと、病気でないならいいですよと。
着くと、ウェットスーツとヘルメットを渡され、早速着替える。
上流までマイクロバスで10分程走り、下車、谷底に降りると、10個程の大型ゴムボート。
私が予約したポートは25歳前後の若い女性7人と30歳の長男に60歳の私の男2人。船長は男性。
若い女性の園に迷い込んでどうなることやらと思うも、瀬で落ちたら足を浮かせて流れるに任せろ立ち泳ぎすると足が岩にぶつかり怪我する、とか、オールで隣の人の鼻を間違って折った人がいた等など恐ろしい注意の数々に全員戦闘モード。
急流はオールを漕いで乗り切り、淀みではゴムボートから落ちて、救助の練習をしたりで、水も適度に冷たく、あっという間の2時間。小学校6年の時、山間のため池で友達と孟宗竹の枯れたのを集めて筏を作り乗って遊んだ時以来の爽快感。
童心に帰りました。(主催の会社のガイドさんが、カヤックで伴走、パチリ 私は右端)

(大洲の鵜飼)

 長男とは川之江で別れ、徳島から九州の我が家に戻ることになり、大洲まで走り、ここで一泊。
どうせなら、有名な鵜飼を見ながら、屋形船でビールと船宿予約。
大洲を流れる肱川の清流に夕方6時半、河原で待機中の屋形船に。
船頭さんが櫓で船を漕ぐ。
弁当は船宿から渡され、ビールは持ち込み。
川面を渡る風は涼しく、御馳走とピールで極楽極楽といったところ。
お向かいの男性と言葉を交わすうちに、地元大洲にお住まいの方で、家族で鵜飼を楽しみにきたとのこと。
鵜飼や鮎に詳しい方で、
「鵜は海鵜で野生のものを訓練する。
15年間生きた鵜もいる。
気性が荒く、初めての人には飛びかかり目を狙う。
くちばしは、鋭く噛まれると剃刀で切られたような傷になることもある。」
これを根気よく訓練する鵜匠には尊敬。
あたりが暗くなると舳先にかがり火を赤々と燃やした鵜飼船が近づいてくる。
その先に鵜匠が紐であやつる鵜が5匹程。
川に潜ってはアユを狙う。
「今日はあまりあがらん」と、船頭さん。
時々アユを捕まえるらしく、目のいい妻は、「あっ、捕まえた」と。
迫力がありました。(上に写真)
翌日、大洲の「おはなはん通り」という、古い町並みを歩くと、歩道横の澄んだ用水路にアユが数匹。聞くと、肱川で捕らえたアユを放流しているそうな。
用水路で泳ぐアユを見たのは初めて。

 楽しい4日間でした。
今度の日曜日、久しぶりのコーラル丸。
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大津島への旅(2009/3/15、16)

2009-03-16 18:11:33 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日、今日と徳山市の沖合の大津島に一泊二日の旅でした。
小倉室町のラーメン屋錦龍のI氏と、小倉駅前の焼鳥屋のIY氏に世話好きのS女史の息子さん19歳の4人。
大津島の回天記念館を見てこようとなったもの。
天気よく、鈍行列車でのんびりの旅でした。

(チヌとアサリ)
大津島の港(馬島)に着き、記念館を見学して、港に戻り一休み。
島全体が花崗岩からできており、砂浜は、石英・長石がくだけた真白。
孟宗竹が50本ばかり、規則正しく、港近くの入り江に立ててある。
I氏がこれを見つけて、「これは何じゃ」と。
皆、頭をひねるがさっぱり分からない。
民宿に行く時刻にまだ時間があるので、港の前でサザエ・アムール貝を焼いて食べさせる店があるので、ここに腰をおろす(写真)。
サザエ屋のご主人とすっかりうちとけて、
「あの孟宗竹、何のためにあるのか」と聞くと、
「以前あさりを養殖しようと、稚貝をあそこに撒いた。
竹はそのための道具立て。
しかし、大きなチヌが沢山やってきて、あさりを食べてしまい、失敗。
群れをなしてチヌが泳いでおり、網でも捕まえれそうだったが、味の悪い時期で、あきらめて放置した」とのこと。
魚影の濃い、いい島。

(島の人親切)
ここでサザエ、アムール貝をたらふく食べて、ビールを飲んで腹いっぱいに。
すると軽自動車が止まり、
「竹田さんですか?」と運転の女性。
港から船を使って民宿のある集落(刈尾)まで移動する予定だったが、迎えに来てくれたもの。
4人は乗れないし、すでに船の切符を買っていたので、荷物だけ運んでもらうことに。
すると、それを見ていたサザエ屋のご主人、
「私がみなさんを宿まで車で運んであげよう、切符は払い戻してもらいなさい」と。
切符を売っているのがこのご主人の奥さんで、払い戻ししながら、
「どうせなら、島の裏側の夕陽の沈む光景をみせてあけなさいよ」とご主人に。
おかげで、見事な瀬戸内海に沈む夕日を高台から堪能できました。
島の人、皆さん親切でスレテいない。

(鈍行の旅)
山陽道をJRで移動するときは、いつも新幹線。
しかし、I氏の発案で、鈍行列車は沿線の景色が堪能できていいぞと。
3月も半ば、田んぼや畑は緑の草に覆われ、モモの花があちこちにピンクの彩。
行きは缶ビール3本、帰りは2本、楽しい旅でした。

(回天記念館)
関係者により大切に資料が管理・保存されており、下にご紹介。
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釣り船でピクニック(2009/2/8)

2009-02-08 22:51:23 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
日曜日、風もなく、うらうらとした春のような陽気。
コーラル丸でアジ釣りに出掛けました。

(ピクニック)

今日は大潮で、流れが速くアラカブポイントでの釣りは無理があるので、関門海峡の日本海側に船を走らせ、アジ狙い。
A級ポイントを何箇所か試すも、あたりなし。
最後に、川端船長の釣り仲間の船長から電話で、
「三井コークスの埠頭近くで、ボチボチ釣れている、まだ一隻船を停泊させる余地があるので、来ないか」と。
お言葉に甘え、船を横にとめさせてもらい、仕掛け投入。
この日初めての当たりで、15センチ程のアジが上がる。
7、8匹釣れたところで、あたりがパッタリ止まる。
群れがどこかに行ってしまった。
釣り仲間の一人が、持ってきたパナナを配り、私は、この日5本目の缶ビールを開け、暖かい日差しを浴びて、ピクニック気分。
盛り上がったところで、パチリ。(冒頭の写真)

(今日は空振り)
この後、馬島の前、彦島横と船を流して魚を求めるも、当たり無し。
「2月はなかなかアラカブ以外釣れないもんよ」と、同行の釣りのベテランのM氏。
前日、川端船長は、アジ釣りに出て、釣れたアジを生けすに入れていたのを、お土産にと呉れて、今日のオカズは確保。

(風邪吹き飛ぶ)
この一週間、風邪で体が重かったが、魚を追いかけて一日過ごすと、シャキッとして、風邪吹き飛ぶ。
帰港後、小倉室町で、食の祭典(食市食座)の一環で、バザーをやっているというので、寄る。
バザーは終わって、室町の皆さん、炭火を囲んでくつろいでいるところ。
上手に焼けた、地鶏の炭火焼とビールをいただいて、ラーメン屋のI氏やら、釣り仲間のT氏やらと、話に花が咲く。
気分よく我が家にたどりつくと夜空に満月でした。
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関門でアラカブ(2008/12/23)

2008-12-23 22:55:54 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
今日はコーラル丸で関門海峡にアラカブ釣り。
大漁でした。
薩摩隼人のO氏、飲み仲間のH氏、パソコン屋のI氏におでん屋のS氏の5人の釣り仲間。

(一人で62匹)
おでん屋のS氏、4年前に釣りを覚えたとおもったら、今では、毎週、玄界灘にジギングでカンパチ、シラスといった大型青物を追いかけ、一日中、リールを巻き続けるように、体力トレーニングまでやっている。
3カ月ぶりにコーラル丸に登場。
腕前が一段と上がったようで、私やH氏がモタモタ一匹釣ったときには、早7匹。
後甲板で操船している川端船長に、S氏がハゼ釣りのようにアラカブを次々釣ると都度「Sさん、今42匹」等と大声で知らせる。
船長の意見では、
「いつもジギングで釣っているので、餌釣りの時も、休みなく魚を誘っているのがあんたらとの違い」とのこと。
いろいろマネしてみるも、納竿時には、とうとうS氏、62匹のアラカブゲット。
時々釣り新聞で、アラカブ50匹釣ったなどの記事があり、別世界と思っていたが、今日は間近で見ることができた。
我々は、30匹前後。
それでも日頃の10匹も釣れれば大喜びとは大違い。
12月の若潮でアラカブを釣るには一番よい潮だったのが、勝因か。
(S氏を62匹のアラカブを前に、パチリ。下に写真。)


(タコ)
もうすぐ正月、お節料理に使う、タコを釣りたいと、アラカブ釣りの合間に、タコ仕掛けを投入。
前回の釣りで釣った、大きなベラを3枚に下ろし、頭付きの中骨をタコ釣り仕掛けに括りつける。
大きな餌に、「これならタコも食いつく」と皆さん笑う。
「チュウチュウタコカイナ」と口ずさみながら、仕掛けを海底で上下すること、30分、丸まると太ったタコ2匹釣り上げる(下に写真)。
一匹は、アラカブトップ賞のS氏に謹呈。
もう一匹は、我が家の冷凍庫。

(釣り納め)
他の4人のメンバーは、今年のコーラル丸での釣りはこれで終了。
私は、今度の日曜日、他のグループとまた関門。
港に着いて、皆さんと記念写真。(冒頭)
アラカブは5人で山分けで、私はS氏のおかげで、40匹のアラカブを持ち帰る。
多いので、途中、近所に住むアラカブ好きのZ氏宅によりおすそ分け。この3月、ご主人が高齢で自動車免許を返却、買物が不便になり、新鮮な魚を食べられなくなっていたが、「今日は美味しそうなアラカブサンキュー」と奥さん。
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