石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2009年10月28日も、結局は栃木県旧今市市の石仏めぐりでした

2009年11月29日 | Weblog

 11月最後の28日も、結局は栃木県今市地区の石仏落ち穂拾いに行ってしまいました。今回は、主に墓地巡りを行いまして、一日で21基をも新たに収録しました。やはり、恐れていた墓地内には未調査の碑塔がまだまだ沢山あることを実感しました。それでもやはり、墓地巡りは面白くないです。特に午後になるとすっかり嫌になり、ご覧の写真のような雑木林縁にある庚申塔群(今市市小林・小林橋下)へ行ってのんびり時間を過ごしてしまいました。そしてそのまま、午後は過去に調査した碑塔の再調査となり、あちこちの道路沿い碑塔調査を兼ねながら、最後は森友地区の来迎寺で3時半になったのを潮時と、この4月から始めた栃木県今市地区の今年度石造物調査を終了として帰宅しました。
 今年の4月から今回までに調査した碑塔を集計してみたら、総計で1704基でした。まだ出会っていない碑塔を2000基とすると、85%の確率で実見したことになるので、まあ一つの地区の碑塔巡りとしてはこんなものかと思います。もちろん、来年以降も機会を見つけては少しずつ訪れては調査を継続していきます。そんな今回までの今市の碑塔リスト、現時点までの報告として時間がある時に作成し、栃木県碑塔データ公開の方へ掲載しておこうと思います。
 さて、次回から12月です。今度は、取りあえず行きたいところが沢山ある足利市へ入ろうと思っています。足利とあれば、庚申塔調査が主になるかと思いますが、暫くぶりに庚申塔調査に入れるかと楽しみにしているところです。

2009年11月21日も栃木県旧今市市の石仏めぐりでした

2009年11月22日 | Weblog

11月21日も、相変わらず栃木県今市市(現日光市)へ行きました。今回も、過去に調査した碑塔の再調査が主目的で、場所は今市の最北部になる小百地区周辺です。早朝でないと、写真が良くとれない場所ばかりなので、寒さも何のそのと頑張って出かけました。そして写真撮影に再調査と加えて、いつも見ていながら面倒が先に立って調べなかった、道路端にある家畜塔も今回は落ち穂拾いの石仏巡りと言うことで、それらも面倒がらずに調査しました。その為、新たな家畜塔を8基ほど追加することが出来ました。
 午後は、さらに北部へと向かい、まもなく栗山へ入りそうな小百地区の小休戸まで行き、鹿供養塔をも再度写真撮影してきました。その小休戸にある延命地蔵尊、これもこれまでに面倒が先で未調査だったので行ったのですが、その結果は調査不可能という惨めなものでした。それが、ここへ掲載した写真です。まもなくここは、雪が降るのでその寒さ除けに、地蔵さんを始めとした碑塔類はご覧のように藁コモで包まれていました。流石の私も、それをほどいてまで調査する気力はなく写真だけを撮って戻りました。
 その後は、既に午後も2時近くになってしまったので今市市内に戻りましたが、それから1時間余、あちこち巡りましたが新しい碑塔はたったの1基のみという有様で、北風も冷たくなってきたのを潮時と帰宅しました。
 次週は、11月最後の石仏巡りの予定ですが、これまで通りに今市市へ入るか否かで悩んでます。そろそろ、栃木県北部の石仏巡りをするには寒さが堪えるからです。それと、1日中石仏探しをしても成果としては芳しくないので、今年の今市石仏巡りはそろそろ終わりにしようかと思っているからです。何しろ、足利方面へ行きたくて本心はウズウズしている状態です。週末の天候をみてから、どこへ行くかは決めようと思います。

2009年11月15日も栃木県旧今市市の石仏めぐりでした

2009年11月16日 | Weblog

 11月15日も相変わらず今市市へ行きましたが、今回は全て1990年代に調査済みの碑塔再調査です。特に、鬼怒川温泉地と接する今市市栗原地区の馬頭観音群には参りました。草と雑木がまだ枯れずにあったので、ほとんどの碑塔はその中にあり、小一時間をかけてまずはそれらの草と雑木の取り払いを行ってからの調査となりました。写真は、それらの中から姿を現した馬頭観音様達の記念写真です。
 しかもそれらの多くは倒れていたりしたので起こして祀り直しましたが、それでも地面にうつ伏せで倒れている数基はそのままになったものもあります。特に、背景奥に倒れているものは諦めざるを得ませんでした。また、90年代に来たときは、台座に乗っていた十九夜塔の如意輪観音様は落ちていて、流石にこれだけは重すぎてどうにもなりませんでした。地元の方に、「俺達がやらなければならないのに、申し訳ないね」と言われましたが、これも自分の趣味として冬になっているのに汗ビッショリになっての楽しい時間で、今日の石仏巡りの半分以上の時間をここで過ごしてしまいました。さて、画像が小さいので無理かとも思いますが、写真の中央付近に双体馬頭観音様が2基あるのが判りますか。栃木県で、双体馬頭観音像が2基あるのはここだけです。
 それにしても、夕暮れになるのが早くなりました。午後3時半を過ぎると早くも陽は西に傾き、写真を撮るにも苦労します。また、日中は冬を忘れさせるような暖かい陽気でしたが、この時間になると寒い風が身に沁みるようになります。そして今日の重労働の為に腰も痛くなってきたので、これが潮時かと本日の石仏巡りを終了して日光連山の山並みを背後にしてのんびり帰宅しました。
 多分、次回も今市市の北部に当たる周辺の過去に調査した碑塔の再調査に行くことになるでしょう。勿論、その中には今回と同じように馬頭観音群が含まれています。しかも、そのどれも午前中が写真撮影チャンスという場所柄だけに今からどういう順序で回ればよいか悩んでいます。それでもまあ、今回のように冬晴れとなっていれば問題ないでしょう。

2009年11月7日も栃木県旧今市市の石仏めぐりでした

2009年11月08日 | Weblog

 立冬になったが、昨11月7日はホントウに暖かな一日でした。さて、今回も飽きずに栃木県今市市へ石仏巡りに行きました。三分の二程は、過去に調査した碑塔の再確認でしたが、それでも季節を違えて来れば、また再会できた喜びは格別の物がありました。
 ところで、今回は天文21年銘の重制石幢六地蔵に出会えました。もちろん、初対面です。今日は、この1基をもって成果はバンバンザイで、お昼時間になったのも気付かずに、夢中で銘文の拓本取りをしてしまいました。それにしても今市市は恐ろしい所です。中世の石造物があちこちにゴロゴロしているのですから、しかも何の指定もされずに、です。そんな嬉しさで、午後は再確認塔調査というよりも、それらの写真を撮るためにあちこち巡りました。それでも、精査碑塔を2基残してしまいました。大型塔でしかも苔が酷い状態なので、ちょっとやそっとの掃除時間では調査できないので、遊び気分の時間の方を優先してしまいました。
 ここに掲載した写真は、そんな遊び気分で撮影した物で、中央が六臂馬頭観音さまでその周囲が六体六地蔵とその他の碑塔となっています。気を引き締めないで撮影したので、何となくしまりのない写真になってしまいましたが…。
※一週間遅れで、10月31日に行った今市市の石仏巡り記、ブログのほうでなく別のHPへ掲載しました。多分、今回の分はそんな出遅れがたたり、掲載まではもう少し時間が必要です。

10月最後の昨日も旧今市市の石仏めぐりでした

2009年11月01日 | Weblog

 昨日、31日も相変わらず今市市へ行きました。それにしても今回は、秋真っ最中の中での石仏巡りで、途中で着ていた上着を脱ぐ有様で、汗を拭き拭きの調査でした。途中では思わずそんな秋景色に見惚れて大休憩をしてしまいました。
 今回は、今市市南部の猪倉地区と手岡(チョウカ)地区の落ち穂拾いを終了させたいと午前8時には現地へやって来て、何とか今まで見つからなかった碑塔を含めて午前中で全て終了することが出来ました。
 午後は、木和田島地区を終わらせようと意気込み、当地区唯一の寺院である真言宗泉福寺さんを訪ね、住職さんと一緒に石仏巡りをしました。お陰様で、今まで気付かなかった場所にある碑塔を実見することが出来ました。突然に泉福寺さんを訪ねたにもかかわらず、住職様が3時からの法要までなら時間があるから、それまで一緒に行きましょうと言うご厚意に甘えてしまいました。本当にありがとうございました。
 その後は例幣使街道へ出て室瀬地区へ入り、1993年に訪ねて以来一度も再訪していない共同墓地へ行きました。そこで暫くぶりに単制石幢六地蔵を写真に撮り、その足で周辺の田圃土手にある個人建立の家畜塔を調べたりして帰宅しました。今回は、暫くぶりに一日で45基(その中には再調査塔もありますが)を記録することが出来ました。
 それにしても、いよいよ11月です。これからは寒さの中での石仏巡りとなりますが、下草が枯れてきますので、この夏場に見送っていた場所へ入れるので、やはりこれからも暫くは今市市へ入り続けることになるでしょう。