今八月最後の週末である28日は、先週に引き続いて残暑の厳しさも何のそのと、栃木県上河内町(現・宇都宮市と合併)の石仏巡りとしました。最初に目にしたのは民家入り口にある馬力神塔。早速、調査の了解を得に自宅へ伺うとご夫妻がいて、まだ8時半にもなっていないのに「せっかく来たのだから、お茶でも召し上がって」と接待を受ける。まだ1基も調査していない身にとっては何とも忸怩たる思いだが、余りにも親切におっしゃって下さるのでむげにも出来ず、結局は農家特有の広い玄関広間でお茶をご馳走になる。お茶をご馳走になりながら、この地域のことを尋ねると、すぐ近くに150年程前に焼失したままで廃寺になったお寺さん跡があり、そこには沢山の石仏があると教えられる。30分ほどお邪魔してから早速訪ねれば、私の求めている宝篋印塔の大きいのがあり、朝一番から大物に出会えたと大喜び。しかもその宝篋印塔は、筆子達が建立したもので、基礎には上記に掲載したような、竹の子掘りをしている姿が見事に刻まれていた。宝篋印塔に、このような彫り物は珍しく、喜びが二重になったのは言うまでもない。
その後は、墓地内にある石仏を見ていくと、その中にこれまた私にとっては長年捜し求めている重制石幢六地蔵が、含部のみとは言え発見。しかもその像容は、中世様の姿であり大満足となる。それが下記に掲載した写真である。
思いもかけない場所で、合計12基もの石仏を一気に調査することが出来たので、墓地内を改めて見直せば、そこにはこれも私の好きな「二体仏」があった。しかもその前には、小さな子供の姿、或いはお地蔵様の姿と思しきものが丸彫りとなっていた。二体仏に、このような独立してもう一体加わっている例は少なく、何とも嬉しいことである。それが以下の写真である。
そんな、最初から思わぬ場所での石仏との出会いはその後も続き、やはり廃寺跡の共同墓地ではイボ地蔵に出会ったり、本日二基目の重制石幢六地蔵を見つけたりと、成果はバンバンザイ。加えて、冬室地区の無住寺でも、とてつもなく難解な「佛母陀羅尼」という石文が記された宝塔型宝篋印塔に出会ったりと、本日は一日中次から次へと嬉しい碑塔との出会いに笑いが止まらなかった。
そんな嬉しさで、つい油断してしまい、ミツバチの中に手を入れてしまい、普段なら刺されないミツバチ君に思いっきり右手小指を刺されてしまいました。今回のは強烈で、未だに差された小指は大きく腫れています。ちなみに、ミツバチ君に指されたのは今年二度目です。三度目はスズメバチにやられないよう、充分に注意いたしましょう。それにしても今年はハチが多い。皆様もご注意あれ。