石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

八月最後の石仏巡りは栃木県上河内町です。

2010年08月30日 | Weblog

 今八月最後の週末である28日は、先週に引き続いて残暑の厳しさも何のそのと、栃木県上河内町(現・宇都宮市と合併)の石仏巡りとしました。最初に目にしたのは民家入り口にある馬力神塔。早速、調査の了解を得に自宅へ伺うとご夫妻がいて、まだ8時半にもなっていないのに「せっかく来たのだから、お茶でも召し上がって」と接待を受ける。まだ1基も調査していない身にとっては何とも忸怩たる思いだが、余りにも親切におっしゃって下さるのでむげにも出来ず、結局は農家特有の広い玄関広間でお茶をご馳走になる。お茶をご馳走になりながら、この地域のことを尋ねると、すぐ近くに150年程前に焼失したままで廃寺になったお寺さん跡があり、そこには沢山の石仏があると教えられる。30分ほどお邪魔してから早速訪ねれば、私の求めている宝篋印塔の大きいのがあり、朝一番から大物に出会えたと大喜び。しかもその宝篋印塔は、筆子達が建立したもので、基礎には上記に掲載したような、竹の子掘りをしている姿が見事に刻まれていた。宝篋印塔に、このような彫り物は珍しく、喜びが二重になったのは言うまでもない。
 その後は、墓地内にある石仏を見ていくと、その中にこれまた私にとっては長年捜し求めている重制石幢六地蔵が、含部のみとは言え発見。しかもその像容は、中世様の姿であり大満足となる。それが下記に掲載した写真である。
 思いもかけない場所で、合計12基もの石仏を一気に調査することが出来たので、墓地内を改めて見直せば、そこにはこれも私の好きな「二体仏」があった。しかもその前には、小さな子供の姿、或いはお地蔵様の姿と思しきものが丸彫りとなっていた。二体仏に、このような独立してもう一体加わっている例は少なく、何とも嬉しいことである。それが以下の写真である。
 そんな、最初から思わぬ場所での石仏との出会いはその後も続き、やはり廃寺跡の共同墓地ではイボ地蔵に出会ったり、本日二基目の重制石幢六地蔵を見つけたりと、成果はバンバンザイ。加えて、冬室地区の無住寺でも、とてつもなく難解な「佛母陀羅尼」という石文が記された宝塔型宝篋印塔に出会ったりと、本日は一日中次から次へと嬉しい碑塔との出会いに笑いが止まらなかった。
そんな嬉しさで、つい油断してしまい、ミツバチの中に手を入れてしまい、普段なら刺されないミツバチ君に思いっきり右手小指を刺されてしまいました。今回のは強烈で、未だに差された小指は大きく腫れています。ちなみに、ミツバチ君に指されたのは今年二度目です。三度目はスズメバチにやられないよう、充分に注意いたしましょう。それにしても今年はハチが多い。皆様もご注意あれ。
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8月21日は、栃木県宇都宮市上河内町の石仏巡りでした。

2010年08月23日 | Weblog

 今回は、先週から予定していたとはいえ、朝方の涼しい陽気に騙されて宇都宮市と合併された上河内町へ行きました。確かに、午前9時半頃までは曇り空模様で涼しく、ルンルン気分でしたが、それからがイケマセン!。カーッというような太陽が全身を襲い、その暑さで背中と首筋が火傷しそうでした。そのため、身体の中にこんなにも水分が貯まっていたのかと我ながら驚くほどの汗が噴き出し、本心はもう石仏調査どころではありませんでした。それでも、こんな異常な暑さの石仏巡りもあと1~2回しか出来ないだろうと思うと、その暑ささえ今年の思い出にしなければと、帽子とタオルで頭と首筋を保護しながら石仏調査を続行しました。
上記写真は、そんな真昼の暑さに輝いている石仏風景の一部です。調査するには否応無く、その暑さの中に立ち尽くさなければならず、この風景の左側にも続く碑等群を調査終えた時にはグッタリでした。
 その後は暑さから逃れるため、近くの高おかみ神社へ逃げ込みました。さすがは神社の森です。風が気持ちよく吹いていて、ギンギンに熱を持った身体を癒してくれました。その時の気分を表しているのが、境内に祀られていた、この狛犬さんの表情です。

一時間近く、身体を労ってから次の場所へと移動しました。そして4時近くになって本日の碑塔調査数が丁度60基となったのを区切りに帰宅しました。
はたして次回の気温はどうなるやら、今回のように暑くなるなら、やはりもう一度日光へ逃れようと弱音になっているところです。
そうそう、上記掲載の狛犬とは別の狛犬台座には、オオスズメバチが巣を作っていました。まだ、凶暴になる前だったので、頻繁に出入りするハチサンたちを驚かさないようにしましたが、それを知らずに狛犬調査をしたら大変なことになると思いました。ミツバチが巣を作るのは多いのですが、狛犬にスズメバチは初めての例です。これから秋になるので大いに気をつけねばと思いました。
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2010年8月14日も日光の石仏巡りでした

2010年08月15日 | Weblog

 旧盆の真っ只中ですが、この頃の日光は昔と違って道路が混むことなくスムーズに、今日最初の目的地である日光市和泉地区へ到着。本心は、暫くぶりに月蔵寺さんを訪問したかったが、一年で最も忙しい旧盆期間中なので遠慮し、路傍に立つ家畜塔を中心とした碑塔調査を開始。民家の庭先にある家畜塔も、この時期ならではの、どこのお宅を訪ねても家人が居るので、調査は順調すぎるほどに進んで、瞬く間に和泉地区は終了。引き続き、隣の野口地区を今回で終了すべく、またしても聞き込み調査を進めて順調に進んだ。そこで、野口地区最後の調査地として残しておいた日枝神社へ向かう。今日の昼食場所は、ここでと決めていたのでまだ11時なのを幸いと、カメラと三脚を持って本殿裏の山へ向かう。ここには、ここへ掲載した大日如来様の素敵な風景の中に佇む姿を撮影する。下界は真夏だと言うのに、ウグイスの爽やかな鳴き声を聞きながらの撮影を兼ねた、本日始めての休憩時間は最高である。森を吹き抜ける涼風を、それまでの汗ビッショリとなった身体に受ければ、たちまち暑さも忘れる始末である。それでも昼までには時間があるので、境内から急な階段を下りて昔の参道道を辿る。JR日光線際の旧参道沿いに立つ碑塔を調査してから、その階段を当然ながら今度は登ることになる。それが、一度休んでしまった身体には堪える。元の神社境内に到着した時は息も絶え絶えで、全身から汗が噴き出している。そして始末に終えないのは、その汗臭さを敏感に感じた薮蚊達が一度に集まってきたこと。汗を拭くことよりも、薮蚊との戦いに忙しくなてしまった。おかげで、顔や腕やズボンを穿いている足まで蚊の被害にあい、吸われた血であちこちが血糊跡となっていた。いずれにしても、この野口地区も今回で終了となったので、昼食を取り終えるや薮蚊から逃げるようにして日光市街地へ向かって、下鉢石町の薬師堂へ行く。もちろんここは、これまでに少なくも10回以上は来ている所。それでも、周辺にある難しい文字塔の幾つかに未調査塔があるので、それを調査方々何よりもやぶ蚊がいなくて風通しの良い場所として選んだ。そしてここに4時過ぎまでいて、それからのんびり車の通行料があい変わらず少ない日光街道を経て帰路に着く。さて、次回からはまた元に戻って日光から離れ、上河内町の碑塔調査へと戻ろうと考えている。もちろん、今以上に涼しくなっていることが前提だが。
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8月7日も先週の続きで日光の石仏巡りに行きました。

2010年08月09日 | Weblog

 先週、途中で雨に降られた日光市へその継続調査として向かいましたが、1週間が経っただけでこれほどまでにも季節は動くのかと驚くほどの秋の気配を感じました。高い青空に日光の山々をまじかに見ながら、乾いた風を一杯に開けた車窓から受けながら向かった日光杉並木街道は、朝霧が日光に輝いて幻想的な風景を見せていました。さて、先週に苔はがしやら水洗いした碑塔類は、その一週間の間に雷雨などでそれ以上に洗われて見違えるような綺麗さで、私を待っていてくれました。早速、気分良く調査開始です。先週に読めなかった石文は、面倒でも小さくちぎった画仙紙で手拓を繰り返しながら読み切り、残りも順調に進んで10時頃には全て終了しました。やぶ蚊が身体につきまとう以外は快適な環境で、調査が済んでも何となく立ち去りがたい思いで路肩に腰を下ろして一休み。そしてその中の1基を、時間をここで過ごしたいがためにだけで手拓することにする。それが、ここへ掲載した「馬頭尊」二列併記塔である。と、そんなところへ地元の方が犬の散歩がてらやってきて話し掛けてくる。こちらは、画仙紙を張り終えて、墨入れまでのしばしの休憩タイム。地元の話題やら雑談で時間を過ごしていると、その拓本を取っている石、そこまで気に入ったなら家に持っていけば!。車に積むなら手伝うよ。と言う。これには恐れ入った。この手の、石仏が好きなら持っていけば!、という話は数年に一度くらいは言われる話だが、何とも恐れ入った申し出である。もちろん、即座に、「これは、ここにあってこその石仏」といって断ったが、その気のある人はまともに受けて本当に持っていきかねない話である。
 墨入れも順調に進み、次は先ほど分かれた地元の方に教わった近くの巡礼塔を見に行く。そしてその後は流れに沿って、周辺の石仏探しとなったがいつのまにか野口地区から和泉地区へ入っていた。青々と育った稲を涼風が波立たせるそばで、家畜塔を調査しながら、途中で梅林のなかで昼食を取りながらの石仏巡りは申し分のない心地よさ。
 そんな、真夏とは思えないような快適な石仏巡りを夕方4時過ぎまで行ってルンルン気分で帰宅しました。
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7月31日は、涼を求めて日光へ!

2010年08月02日 | Weblog

7月最終日となる今回は、前回よりもさらに涼しい場所へと言う事で、日光市へ向かいました。しかも、灼熱の太陽を遮ってくれて加えて涼風が吹いている所と言う贅沢な場所として選んだのが、旧日光市でも今市に限りなく近い野口地区です。もちろん今回の場所は、既に何度も写真撮影やら石仏見学会の案内等で来ている所なのですが、肝心の石造物の精査が全て終えているかと言うと心細く、今回はそれらを見直そうとしてやってきました。
その最初の場所が、ここへ掲載した写真です。ご覧のように如意輪観音様を中心とした碑塔がずらりと並んでいますが、これ以外にももちろんあります。それらを、今回は過去に調査してあるものも含めて全てを精査しました。もちろん、途中で休みを入れてのことで、隣のご主人様から栄養ドリンクの差し入れを受けながら。そんなこんなで、午前中だけでここのみと言う体たらくで、結局はこの所で昼食としました。何しろ隣には、屋根つきの休憩所に冷たいほどの日光水道があるのですから。

次の場所(午後から)は、ここから歩いて1分ほどの所にある場所へ移動です。その碑塔風景が下記の写真ですが、ご覧のようにその全てが苔で覆われていて、文字さえ確認できない始末です。まず最初は、その苔剥がしから開始で金属ブラシに亀の子タワシで約30基に及ぶ全て家畜塔を何とか文字が読めるまでにしました。しかし、そのために体中から汗が噴出して止まりません。仕方が無いのでここで一休みとし、再び元のミニ公園へ戻り、頭から冷水を被り、身体をタオルでふき取り、その後はベンチに横になり大休止を取りました。そんな私を見かねたのか、ご主人が奥様手作りと言う美味しい梅干を下さいました。塩分補給には多すぎて、結局はお土産として毎日家内と食べても一ヶ月は優に持つほど沢山頂いてしまいました。
 さて、肝心の家畜塔の調査に戻ったのは、早くも午後の2時になってしっまてからです。このころから、雨がポツポツ降り出してきましたが、杉並木の真下なので幸いなことに濡れないので、調査続行。

そんな家畜との一例として掲載しましたのが上に掲載した二枚の画像です。最初のは、苔を剥がす前の写真です。その苔を剥がすと、ご覧のように「馬力神」「馬刀神」という並列文字が出てきました。ここで注目は、左側の文字が「馬力神」ではなく、「力」の文字の所が「刀」になっていることです。これは、当地にもう1基ありますし、栃木県栃木市にも「馬頭観世音」ならぬ「馬刀観世音」と表記された文字塔があるように、間違えて彫られた文字ではありません。意識して、同じ読みでも文字を違えて記したものです。そこのところが、文字塔の面白いところで、漫然と見ていたのでは気がつかないでしょう。
そんな、調査も佳境に入って来た3時少し前、突然のドシャ降りとなる。頭に被っていた帽子をカメラに被せ、調査道具一式を抱えて車まで駆け足で戻って、調査用紙は濡れてしまったものの何とかセーフ。北の空、日光の方を見ると真っ黒い雲に覆われてドンドンこちらの方へ流れてくる。このままではヤバイと、調査は途中までだが諦めよく車を動かし、一刻も早く日光から逃れることにする。そして案の定、今市市を通過する頃には雨はやみ、日光方面だけが真っ黒い雨雲に覆われていた。そんな訳で、次回も今回の続きをしなければならず、日光へ行くことになるだろう。
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