今年も残り少なくなりました。そんな中、栃木県では東部地区の茨城県と境を接する烏山町(今は那須烏山市)へ行ってきました。それが上記に掲載した斎藤松壽の頌徳碑です。彼は、弘化三年に烏山町で宮原八幡宮の宮司の家に生まれ、明治期に当地で大活躍をした人です。特に特筆するのは、農民のために田圃を開鑿したり、険しい道を改修したりして地元の貧困からの脱却に捐貲をしてまで尽力した人です。また、葉煙草の栽培&乾燥方法を学ぶために水戸まで行って研究し、それを自分で試して好成績を収めるや、各地にそれが広めた。また、神奈川県の秦野から栽培指導者を招聘して指導させて、やがてそれが栃木県が葉煙草全国一の産地となった基礎を作った。更に、それまで行っていた和紙の製紙&販売にも尽力し、土佐から指導者を招いて品質管理を徹底させ、販路拡大に努めるなど多岐に渡って地元のために貢献した。そんな彼の頌徳碑である。
しかし、問題がある。それはこれを撰文した某氏の文章には脱字や誤字が多々見受けられ、意味を正しく理解するには該当すると思われる文字を付け加えたり、誤字を訂正したりしなければならなかった。
又、拓本を採るには那須方面からの北風が強すぎて話しにならない。その為に、今回は隣りに建立している石碑(調査だけは終了しているが、大きい石碑なので拓本はまだ採れていない)を綺麗に磨くだけで終わってしまった。なお、今回の石碑は、先の東北大地震で倒れてしまったもので、その当時はまだうつぶせに倒れたままだったので、今回訪ねた次第である。来春には、宮司さんから手拓許可も取っているので好日に出かけるつもりである。早くも、来年の予定が一つ増えてしまったと苦笑している。そして今年は残り少ないとは云え、年内にもう一回位はどこかへ出かけたいと思っている。