約、調査開始から1年半ほどかけた千躰庚申山の最終確認のために為していた拓本採りも、今回で最終を迎えました。そこで今回は、特別にお世話になった山口氏と共に山へ登り、表口から登る山頂直下の庚申塔で手拓が残っていたものや紀年銘に確信が持てないのを二人で一緒になって拓本採りを行いました。一日をかけて4基のみの手拓と2基の紀年銘確認作業という有様ですが、成果は上々で今までは氏名がありそうだが無視していた庚申塔に紀年銘の存在を確認出来ながらも読めなかったもの、やはり奉納者の名前があるのを確認していながら、独りではどうにも大きくて動かせない庚申塔を、山口氏の力を借りて裏面迄手拓出来ました。全く、ありがたいことです。感謝感激のまま、これで最終回とする庚申山を意気揚々と鶉坂口から下山することにしました。後は、天候などの都合により、行くところが無くなった時には今回の一年半を過ごした庚申山を懐かしんで時々訪れることにしましょう。
そして、私が今回のこのブログにて言いたかったのは、拓本を採ることの本来の目的は何だったのだるか?という事です。くどくどとは言いませんが、拓本だからこそ出来るアナログ的な最高の複写方法は何のために活用すべきかということに尽きましょう。その技法継承が今や風前の灯です。見てくれだけの手拓方法論や見栄えの良い拓本を採ることだけが、手拓の本来の目的ではなかったはずです。そんな事柄に気付いてくれた方がもしもいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。また、興味本位でなく本気になって拓本技術を習得したい(特に若い)方からの連絡も歓迎です。
さて、その最終回の庚申山で手拓した第一番目のご紹介庚申塔は、表口から登る山頂直下の西側212番目にある庚申塔です。下部は土中に埋もれているのだが、手拓となるとその下部の埋もれている個所を出来るだけ掘らなければならず、それに結構時間がかかりました。また、その庚申塔の裏面には紀年銘と奉納者名が刻まれているのだが、独りでは動かすことが出来ないが、今回は山口氏が一緒ということで、表面を手拓後に二人で何とか動かしてその裏面も採拓することが出来ました。とは言え、相変わらず自然石の表面を加工せずに文字を彫り込んであるので、それを手拓するとなるとそれはもう大変な作業です。裏面などは特に酷く、何とか山口氏との共同作業で墨入れ迄完了しましたが…。
次は、この表口から山頂にあと一歩といったところにある庚申塔です。高さは70㎝あるのだが、幅は17.5cmという細長さ。加えて表面は全体に細かにひび割れています。所謂、文字だかヒビなのか判読するに非常に難儀する庚申塔ですから、見た目には誰もが文字などあるなど精査出来ぬまま表面の「庚申」という文字だけを読んで終わりにしてしまいます。それを今回は、根性の一言で解読しようと挑戦しました。そして何事も勉強勉強というわけで、墨入れ迄を山口氏に一任して仕上げました。そんな、文字解読に興味のある方は是非に現地で解読に挑戦してみてください。ちなみに、私たちが読んだのは「守田■■右エ門」だけで、二字?は降参しました。