朝起きると、当地宇都宮は雨が降っている。予定では日光へ庚申塔巡りに行く予定だったが行くべきか一瞬迷う。早速天気予報を見ると、今日より明日の方が雨の確率は少ないので、余計に迷う。しかしそれはそれ、現地へ行って雨が降っていたら酷い苔に覆われている庚申塔磨きに予定を変更すれば良いし、何よりも晴れているときは逆光の光線で写真が撮れない庚申塔を、こんな時にこそ撮影チャンスと捉えて雨の中を車に乗り込む。
そんな雨も、宇都宮と今市市の境当たりまで来れば止み、曇り空となっている。ヨシッ、こうなればしめたもの。今日は、いつもなら写真に撮れない庚申塔を中心に巡ることとして、ルンルン気分で日光へ向かう。その最初に向かうのは匠町の憾満ケ淵入口駐車場南側にある庚申塔としたが、その前に先週訪れて気が進まずに手を抜いた安川町磐裂神社へ行き、安永八年銘の自然石庚申塔に刻まれている「或有起石廟 乃至童子戯 聚沙…」の偈頌を手拓する。ついでに面倒がらず、裏面にある10名の交名も手書きする。また、写真を撮らなかった碑塔も全て処理してから憾満ケ淵入口の駐車場へと向かう。
駐車場南側にある庚申塔で、ただ1基だけ磨いていないなかった四角柱の拝侍二猿型庚申塔を早速磨く。特に下部にいる拝侍二猿の足のところにも何か文字があるので、そいつも読みたい一心で。同様に両側面にある交名は手拓しないと読めないので、その両側面の手拓ついでに、メインの正面も手拓することにした。この様子はHPの方へ掲載しましょう。ところで今日は、温度も低く太陽も出ていないので、水貼りした画仙紙は一向に墨入れ可能状態にならない。仕方なく、この地にある庚申塔を眺めたりして、「まあ焦ることもないか」と、のんびり構えて待つことにする。そんなこんなで、この地を離れたのは10時半を過ぎていた。
次は、細尾町の庚申塔である。この地の庚申塔4基とも、全て北向きに祀られているので晴れていてはまず写真に撮れない状態にある。その中の2基の拝侍二猿姿、苔に覆われていたので取り除いてから撮影し、ついでに精査を行う。そして終えてみれば、お昼も過ぎていたのでこの地で昼食を取り、秋の始まった日光の落ち着いた景色を眺めてのんびりする。この時点で、今日の成果はまだ9基のみだが何となくこのまま帰宅しても良いような気分になってしまう。そして思い出したのは、イロハ坂登り口の馬返駐車場内にある庚申塔。これも北向きに祀られているので、普段では写真が旨く撮れない。今日のついでに、これも撮影しておこうとして午後の部へ進む。その帰りに、今年7月に写真撮影を忘れた清滝一丁目の道路沿いにある享保12年銘庚申塔を撮影。
さて次はどこへ行こうかと悩みつつ車を走らせ、思いついたように花石神社へ到着。明日の花石神社祭礼準備で多くの人が集まっている中、まだ再確認の済んでいない庚申塔を手早く済ませて町中へ戻り、先週に途中まで掃除した下鉢石町の薬師堂へ向かう。その中の1基、薬師堂本堂右側下に祀られている三猿付きの庚申塔、予想以上に綺麗になっているのは良いのだが、碑面摩耗が進みすぎて石文が見た目では読めない。駐車場へ戻って手拓しようかと思ったが、どうせその庚申塔は江戸中期のものと決めてかかっているので面倒になり、目を皿のようにして判読し、何とか主銘文の一部と紀年銘の一部を読む。その他、残りの3基は問題なく処理する。もっとも、その中の1基は下部が埋没しているのを理由にして交名などは読むのを省略してしまったが…。
この時点で、午後も3時を過ぎた。曇り空とはいえ、周囲の山々には雲がかかっていて何となく薄暗い。予定では、稲荷町の稲荷神社のまだ精査が終えてない庚申塔も訪ねたかったが、今日はもう充分としてここで帰宅することにした。
そしてこれをタイピングしている今(9月30日)は、やはり昨日に行っていて正解だったと胸をなで下ろしている。
そんな雨も、宇都宮と今市市の境当たりまで来れば止み、曇り空となっている。ヨシッ、こうなればしめたもの。今日は、いつもなら写真に撮れない庚申塔を中心に巡ることとして、ルンルン気分で日光へ向かう。その最初に向かうのは匠町の憾満ケ淵入口駐車場南側にある庚申塔としたが、その前に先週訪れて気が進まずに手を抜いた安川町磐裂神社へ行き、安永八年銘の自然石庚申塔に刻まれている「或有起石廟 乃至童子戯 聚沙…」の偈頌を手拓する。ついでに面倒がらず、裏面にある10名の交名も手書きする。また、写真を撮らなかった碑塔も全て処理してから憾満ケ淵入口の駐車場へと向かう。
駐車場南側にある庚申塔で、ただ1基だけ磨いていないなかった四角柱の拝侍二猿型庚申塔を早速磨く。特に下部にいる拝侍二猿の足のところにも何か文字があるので、そいつも読みたい一心で。同様に両側面にある交名は手拓しないと読めないので、その両側面の手拓ついでに、メインの正面も手拓することにした。この様子はHPの方へ掲載しましょう。ところで今日は、温度も低く太陽も出ていないので、水貼りした画仙紙は一向に墨入れ可能状態にならない。仕方なく、この地にある庚申塔を眺めたりして、「まあ焦ることもないか」と、のんびり構えて待つことにする。そんなこんなで、この地を離れたのは10時半を過ぎていた。
次は、細尾町の庚申塔である。この地の庚申塔4基とも、全て北向きに祀られているので晴れていてはまず写真に撮れない状態にある。その中の2基の拝侍二猿姿、苔に覆われていたので取り除いてから撮影し、ついでに精査を行う。そして終えてみれば、お昼も過ぎていたのでこの地で昼食を取り、秋の始まった日光の落ち着いた景色を眺めてのんびりする。この時点で、今日の成果はまだ9基のみだが何となくこのまま帰宅しても良いような気分になってしまう。そして思い出したのは、イロハ坂登り口の馬返駐車場内にある庚申塔。これも北向きに祀られているので、普段では写真が旨く撮れない。今日のついでに、これも撮影しておこうとして午後の部へ進む。その帰りに、今年7月に写真撮影を忘れた清滝一丁目の道路沿いにある享保12年銘庚申塔を撮影。
さて次はどこへ行こうかと悩みつつ車を走らせ、思いついたように花石神社へ到着。明日の花石神社祭礼準備で多くの人が集まっている中、まだ再確認の済んでいない庚申塔を手早く済ませて町中へ戻り、先週に途中まで掃除した下鉢石町の薬師堂へ向かう。その中の1基、薬師堂本堂右側下に祀られている三猿付きの庚申塔、予想以上に綺麗になっているのは良いのだが、碑面摩耗が進みすぎて石文が見た目では読めない。駐車場へ戻って手拓しようかと思ったが、どうせその庚申塔は江戸中期のものと決めてかかっているので面倒になり、目を皿のようにして判読し、何とか主銘文の一部と紀年銘の一部を読む。その他、残りの3基は問題なく処理する。もっとも、その中の1基は下部が埋没しているのを理由にして交名などは読むのを省略してしまったが…。
この時点で、午後も3時を過ぎた。曇り空とはいえ、周囲の山々には雲がかかっていて何となく薄暗い。予定では、稲荷町の稲荷神社のまだ精査が終えてない庚申塔も訪ねたかったが、今日はもう充分としてここで帰宅することにした。
そしてこれをタイピングしている今(9月30日)は、やはり昨日に行っていて正解だったと胸をなで下ろしている。