私にとっては、栃木県内庚申塔調査に於ける最終目的であった、佐野市閑馬地区の千躰庚申山の庚申塔調査。それが遂に今年の2月2日に一人で開始以来、後半は佐野市在住の山口氏に高橋氏、また女性ながら末竹様の絶大なるご協力のもとに、先日の7月19日を持ちまして一応の全山調査が終了しました。現時点で、調査原簿に登録された庚申塔数は814基です。もちろん、これからの庚申塔発掘の見直しによってまだまだ沢山の庚申塔を土中から探し出せると思っていますので、この814基はあくまでも現時点での最低庚申塔数だと認識しています。それにしても、六か月間で週に一度の庚申山訪問が出来なかったのは4度位で、後は月に5度という気違いじみた精神力で調査することが出来ました。それもこれも、後半になってものすごい竹藪の中にある庚申塔を見たときには調査続行の心が折れそうになりましたが、その時に救世主として山口氏が現れ、彼のバイタリティ溢れる実行力に後押しされ、加えて高橋氏の参加と、本当に嬉しい出来事により完遂することが出来ました。こうして振り返ると、本当に衷心より感謝するのみです。そんな訳で、これからも暫くは庚申山へ通い続けることになるのでしょう。特に、まだ一枚も拓本を採っていないので、それを真っ先にしなければならないと感じています。
さて今回は、調査途中で出会った私好みの庚申塔2基のご紹介から始めましょう。
上記の2基が814基の中から最初に選んだ理由は延べませんが、私はこうした地味な庚申塔が好きなのです。
そして次の画像は、今回の最大の功労者である山口氏の奮闘振りの遠景写真です。当地の庚申塔は、その殆どが倒壊していて、まともに真っすぐに立っている庚申塔は数えるほどです。従って、調査するにはまずその周辺の藪刈りから始まり、倒れている庚申塔は表向きに変えるだけで、今度はその周辺の土中に埋まっている庚申塔の発掘です。時にはゾンデ?金棒で地面を刺しながら、庚申塔特有の音と元々ある岩石との音とを聞き分けて、スコップで掘り出しますが、これが大変な作業で、たった1基の庚申塔を掘り出すのに30分を費やすことは毎度のことです。そして放り出した庚申塔はやはり上向きにして他の庚申塔に準じて並べておきます。そしてそれらの作業がある程度進むと、今度はそれを専用用紙に記録し、1基ずつの写真撮影です。しかし、その途中に土中から新たな庚申塔が埋まっているのを発見するのも毎度のことで、そんなこんなで、自宅へ帰って記録用紙と写真を対比していくと、時には写真はあっても記録用紙が無く、またその逆もあります。それらは次回に修正するのですが、今度は調査した数が多いので、その目的とする庚申塔を探すのに無駄な時間を浪費する始末に思わず苦笑です。そんなこんなして少しずつ進めていた調査途中の山口氏の一人での奮闘風景です。
上記写真、如何ですか。片側は大体並べて建立する作業が間もなく終わりそうですが、反対側は全く手つかずのままです。これを綺麗にした参道沿いに、以前にあった場所を特定して1基ずつ並べ且建立していくのです。建立するといっても、ただ単に立てれば良いということではなく、しっかりと穴を掘りその庚申塔に合った埋め方をしていかないとすぐに倒れてしまいます。時には周囲から岩石破片を集めてきて土台石としますので、山口氏のような職人気質を持っていないと任せるわけにはいかない、それこそ最終作業となるわけです。
次の写真2枚は、一枚目が今回調査した鶉坂からの旧参道口の風景です。そして次の写真が、その参道の南側に広がる嘗ての広場風景です。私たちが最初にこの場所へ立った時は、まるで暗闇の中にいるような鬱蒼とした竹藪の森でした。それを、時間を見つけては少しずつ刈り払いをして広げていき、今回の鶉坂参道では最高の場所となりました。何しろ涼風が吹き抜けて、南側の風景も一望出来るなど、「ここへ来て休むために庚申山へ来ているようなものだ」と苦笑するほど、私たちにとっても最高の憩いの広場となりました。
上記写真が、かつての鶉坂参道入り口です。四角柱庚申塔が立っているところが最終地点で、今では坂が切り開かれて、この先は断崖絶壁となってしまっているので、ここからは誰も入れません。
この写真風景の突き当りが、その参道南側に広がっている広場です。その最高の場所が、私たちの荷物が置いてある所です。ここへ来れば酷暑であっても暑さは全く感じることなく、しかも夏山に特有な外虫が蚊を含めてもいないことです。前回などは、休んでいる山口氏の足に立派なクワガタムシが取り付いているほどで、思わず大笑いです。それとそれと、あまり公表はしたくないのですが、野生の蘭が自生していたり、イチヤクソウの可憐な花が咲いていたりと、梅雨時にはそれらしく野草好きにはそれだけでも楽しい思いが出来る所です。
と、余計な話までしましたが、今度からはここへ足を踏み入れる回数が少なくなってしまうのが非常に残念な思いである。まあ、私たちのことだから、相変わらずここへ自然と足が向いてしまうことになるのでしょうが…。以上で、とりあえず今回の千躰庚申山調査は終了となりました。皆様に感謝しつつ、一応の終了としまして次回からは別の面からの投稿といたしましょう。