石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

今回は26日に手拓した、庚申山山頂に建立されている線彫り青面金剛像2基を手拓しました

2020年07月28日 | Weblog

7月26日、朝から雨が降っているがその中をいつもの時間に宇都宮を出発。田沼町の庚申山・鶉坂に着くも、雨は全く止む気配なし。車の中で時間を潰したり、傘をさして林道を散歩したりして時間を潰していると、まず山口氏が到着。そして今日の決行を決めた高橋氏も到着。10時頃になれば雨が止むだろうとの予想を立てて、三人で狭い車中で雑談に花が咲く。
確かに、10時近くになったら雨が止んでくる。満を期していた私たちは、今日の予定地である庚申山山頂へ向かって出発。山頂についても、いつ雨が降ってもおかしくない空模様なので、今日の予定の手拓石碑の前に陣取って早速作業開始。そして昼飯は、手拓が終えてからということにして、せっせと石碑に向かって作業した結果、午後1時前に何とか終了。今日の予定は、この2基の手拓にあったので、あとは何時でも雨が降って来いとばかりに気が大きくなって、少し遅くなった山頂で昼食としながら雑談で時を過ごす。
そしてあとは、いつものようにこの山頂周辺の景観を如何に戻すか、それと高橋氏の提案で、どうせなら倒れ掛かっている四角柱庚申塔も、全て台座から据えなおして、建立時の威厳ある姿に戻そうという案がでて、次回からその作業も山頂の再調査と合わせて行うことにした。今日の山口氏は、山頂への社殿に登る石段が半分埋もれているのを前回に見つけているので、その元の姿に戻そうと一人大奮闘。湿気は100%状態の中で、切れなくなったノコギリと格闘しながら大きな樹木を伐採しているので、熱中症にならぬよう注意して作業をしてもらう。そんな山口氏の奮闘努力の甲斐があって、昼食時には少し涼風が山頂に佇む私たちの所まで届くようになった。いずれにせよ、やがて地元の人々も感心する程の、見違えった山頂にやがてなるだろう。
さて、最初に掲載する写真は、手拓者は高橋氏の作業によるもので、とにかくその刻まれた線が非常に細く、その下部に見える三猿などは現物を見てもどの猿が三猿それぞれの姿をしているのかが分からない程である。その三猿を手拓するには、その画仙紙との戦いになるので、特に高橋氏にお願いして担当してもらった。

次の写真も青面金剛像の線彫りだが、こちらは二つの折れていることと石質が違うので、まあ私でもそれなりの拓本となるだろうと作業をしたが、やはり石の表面が磨かれていないので像容の線彫りは思ったほどきれいに出なった。それでも今日は、長年の念願だった山頂にある線彫り青面金剛像が一気に片付いてしまった。私としては「ウヒヒッ」の笑みである。

 

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毎日、雨、雨、雨で出かけられず!そこで、遊びで庭にいた英語のできるジョロウグモでも掲載しました。

2020年07月23日 | Weblog

江戸時代なら、今の天候は間違いなく天候不順による飢饉の前触れといったところですが、現代はコロナ過?。共に、時代は違っても為政者のやることは同じで呆れています。
さて、そんな時に庭を見ていたら面白いジョロウグモを発見。しかもその蜘蛛の巣が面白い。思わずシャッターを押しました。何しろ一見して、なぜここに英語が書かれているの?と、思ったほどの上出来です。この鬱陶しい天気では仕方ないと、これをご覧になって一声笑ってください。ただそれだけです!!

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今年2月開始以来、7月19日を以て田沼町千躰庚申山の調査が終わりました。総数で814基です。

2020年07月21日 | Weblog

私にとっては、栃木県内庚申塔調査に於ける最終目的であった、佐野市閑馬地区の千躰庚申山の庚申塔調査。それが遂に今年の2月2日に一人で開始以来、後半は佐野市在住の山口氏に高橋氏、また女性ながら末竹様の絶大なるご協力のもとに、先日の7月19日を持ちまして一応の全山調査が終了しました。現時点で、調査原簿に登録された庚申塔数は814基です。もちろん、これからの庚申塔発掘の見直しによってまだまだ沢山の庚申塔を土中から探し出せると思っていますので、この814基はあくまでも現時点での最低庚申塔数だと認識しています。それにしても、六か月間で週に一度の庚申山訪問が出来なかったのは4度位で、後は月に5度という気違いじみた精神力で調査することが出来ました。それもこれも、後半になってものすごい竹藪の中にある庚申塔を見たときには調査続行の心が折れそうになりましたが、その時に救世主として山口氏が現れ、彼のバイタリティ溢れる実行力に後押しされ、加えて高橋氏の参加と、本当に嬉しい出来事により完遂することが出来ました。こうして振り返ると、本当に衷心より感謝するのみです。そんな訳で、これからも暫くは庚申山へ通い続けることになるのでしょう。特に、まだ一枚も拓本を採っていないので、それを真っ先にしなければならないと感じています。
さて今回は、調査途中で出会った私好みの庚申塔2基のご紹介から始めましょう。


上記の2基が814基の中から最初に選んだ理由は延べませんが、私はこうした地味な庚申塔が好きなのです。

そして次の画像は、今回の最大の功労者である山口氏の奮闘振りの遠景写真です。当地の庚申塔は、その殆どが倒壊していて、まともに真っすぐに立っている庚申塔は数えるほどです。従って、調査するにはまずその周辺の藪刈りから始まり、倒れている庚申塔は表向きに変えるだけで、今度はその周辺の土中に埋まっている庚申塔の発掘です。時にはゾンデ?金棒で地面を刺しながら、庚申塔特有の音と元々ある岩石との音とを聞き分けて、スコップで掘り出しますが、これが大変な作業で、たった1基の庚申塔を掘り出すのに30分を費やすことは毎度のことです。そして放り出した庚申塔はやはり上向きにして他の庚申塔に準じて並べておきます。そしてそれらの作業がある程度進むと、今度はそれを専用用紙に記録し、1基ずつの写真撮影です。しかし、その途中に土中から新たな庚申塔が埋まっているのを発見するのも毎度のことで、そんなこんなで、自宅へ帰って記録用紙と写真を対比していくと、時には写真はあっても記録用紙が無く、またその逆もあります。それらは次回に修正するのですが、今度は調査した数が多いので、その目的とする庚申塔を探すのに無駄な時間を浪費する始末に思わず苦笑です。そんなこんなして少しずつ進めていた調査途中の山口氏の一人での奮闘風景です。

上記写真、如何ですか。片側は大体並べて建立する作業が間もなく終わりそうですが、反対側は全く手つかずのままです。これを綺麗にした参道沿いに、以前にあった場所を特定して1基ずつ並べ且建立していくのです。建立するといっても、ただ単に立てれば良いということではなく、しっかりと穴を掘りその庚申塔に合った埋め方をしていかないとすぐに倒れてしまいます。時には周囲から岩石破片を集めてきて土台石としますので、山口氏のような職人気質を持っていないと任せるわけにはいかない、それこそ最終作業となるわけです。

次の写真2枚は、一枚目が今回調査した鶉坂からの旧参道口の風景です。そして次の写真が、その参道の南側に広がる嘗ての広場風景です。私たちが最初にこの場所へ立った時は、まるで暗闇の中にいるような鬱蒼とした竹藪の森でした。それを、時間を見つけては少しずつ刈り払いをして広げていき、今回の鶉坂参道では最高の場所となりました。何しろ涼風が吹き抜けて、南側の風景も一望出来るなど、「ここへ来て休むために庚申山へ来ているようなものだ」と苦笑するほど、私たちにとっても最高の憩いの広場となりました。

上記写真が、かつての鶉坂参道入り口です。四角柱庚申塔が立っているところが最終地点で、今では坂が切り開かれて、この先は断崖絶壁となってしまっているので、ここからは誰も入れません。


この写真風景の突き当りが、その参道南側に広がっている広場です。その最高の場所が、私たちの荷物が置いてある所です。ここへ来れば酷暑であっても暑さは全く感じることなく、しかも夏山に特有な外虫が蚊を含めてもいないことです。前回などは、休んでいる山口氏の足に立派なクワガタムシが取り付いているほどで、思わず大笑いです。それとそれと、あまり公表はしたくないのですが、野生の蘭が自生していたり、イチヤクソウの可憐な花が咲いていたりと、梅雨時にはそれらしく野草好きにはそれだけでも楽しい思いが出来る所です。
と、余計な話までしましたが、今度からはここへ足を踏み入れる回数が少なくなってしまうのが非常に残念な思いである。まあ、私たちのことだから、相変わらずここへ自然と足が向いてしまうことになるのでしょうが…。以上で、とりあえず今回の千躰庚申山調査は終了となりました。皆様に感謝しつつ、一応の終了としまして次回からは別の面からの投稿といたしましょう。

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二日続けて、佐野市千躰庚申山へ行きました。今回で772基の庚申塔を確認しました。

2020年07月14日 | Weblog

前日は、「一日中雨!」!と一夜のうちに天気予報が変わっているのを確認もせず、今日は晴れるものだと確信しつつ雨の中を宇都宮から佐野市田沼町の庚申山まで車を運転。通行量が非常に少なく、8時前にはいつもの鶉坂駐車場へ着いてしまう。やがて、今日の相棒、山口氏も到着するが、一向に止まぬ雨ではどうしようもなく、車の中で雑談をしながら過ごす。結局は、庚申塔調査に関しては全く何もせぬまま、くだらないその他の行動をして早めに帰宅する。
そして翌12日は、本当に暫くぶりの真夏の陽気で太陽も朝からギラギラと輝いている。相変わらず8時前に現地へ着いてしまった私は、山口氏が来る前に1基でも多く未調査の倒れているままの庚申塔調査に入る。それにしても、綺麗に刈り払いの終わった参道沿い両側に、延々とまだ倒れたまま置かれている庚申塔風景はそれだけでも見ごたえのあるもの。皆様には、その両側に倒れているままの庚申塔がどこまでも続いているのがわかるでしょうか?。そんな風景を写真に撮ってから調査に入るが、ものの5基も調べ終わらないうちに山口氏も到着。今日は昨日のリベンジということで、彼もやる気満々。そしてお互いの持ち分の今日の作業を別々になって行う。その作業が、私が記録と写真を撮り終えた庚申塔を、今度は綺麗に並べ立てる作業。それを見ると、やはり倒れている庚申塔よりは立っている庚申塔風景のほうが良いと、また写真撮影する。今回はその二枚の写真を掲載しました。
ところで、山口氏は自分の作業の合間に「庚申塔」という宝探しで、まだまだ土中に埋もれている庚申塔を金属棒を使用して掘り当てている。前回は4基、そして今回は何と7基もの、皆でさんざん探し回った土中から掘り当ててくる。流石、埋蔵文化財にも関わっている彼らしい成果と、その感の鋭さに敬意を表する。そんなこんなで、太陽が高いこともあって午後4時まで夢中になって記録と写真を撮っていた私である。最後に家に着いて発した一言、「嗚呼、疲れた!」。



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佐野市閑馬町・千庚申山の庚申塔調査最終作業終了。只今調査済み庚申塔の数は715基です。

2020年07月06日 | Weblog

今回は、私を入れていつものように三人での庚申塔調査するための下準備作業でしたが、今日は御忙しいところを末武さんも参加しての4人組で行いました。また、一通りの作業終了後は、埋もれていて見えぬ庚申塔探索作業を皆で行い、いくつもの新たな庚申塔を土中から発見して掘り起こし作業を行いました。そんな訳で、またしても1基も新たな庚申塔の調査は行いませんでしたが、今回こそこの作業をもって長い間の下準備作業を完了させようと全員が張り切りました。
最初の写真は、今回の最終地点である鶉坂突端地区の竹刈り払いと、南からの爽やかな空気を取り入れるための最終キャンプ地整地作業姿です。写真右側に見える①番号の付いた四角柱庚申塔は、ここでは立っていますがこの姿にするまでには4人の総力を使って桜の大木2本の間に横倒しとなって、今では根元の幹に深く食い込んでびくとも動かない庚申塔を引き出すまでの大仕事となりました。兎に角、今回の作業中で最もハードな仕事ゆえに、4人が集まったからこそその太い桜の幹から引き抜くことが出来ました。その難題を、今回は最初にしましたので、こうしてこれも同じく地中に埋もれていた台座の上に据えることに成功し、この写真に偶然その姿が映っている次第です。なお、この四角柱の先は鶉坂を新しく切り開いたための断崖絶壁となってます。
なお⓶と⓷の横倒しの自然石庚申塔、しかもそのうちの一基はうつ伏せという状態の大きな庚申塔です。何しろ①の庚申塔作業でその時の全力を投入してしまったので、少し体力回復を図ってからしようと少し軽作業に入って、それから後に引き起こすことにしました。兎に角、この地が私たちにとっては最終地点となるので、快適な基地にしようと竹藪を刈り払い、空を覆う樹木を切り払ってはその幹を三人でかたずけている一コマです。もちろん最初にここへ来たときは、鬱蒼とした陰湿感たっぷりの風景でしたが、この時点ですでに快適さは十分ですが、今度は景観をも大切にしようとの発案でその空間を広げている所です。誰が来ても、ここでのんびりと過ごせる場所になるように、という思いも込めて‼

次の写真は、⓶と⓷の自然石庚申塔が倒れているので、これも一人や二人の力では天地を覆すのは無理な大きさと重さの自然石。しかし今回は4人、やってみると意外と簡単に2基ともひっくり返すことが出来ました。もちろん地に付していた「庚申」の文字も確認できました。が、これを今度は誰がどうやって起こすことが出来るかの話となり、結局はこのまま横倒しのままになるのではないかと危惧しています。


次の写真は、あっという間にお昼時間となったので、その前に今回の庚申山調査に参加されました集合写真を、初めて撮ろうということになりました。この真夏の季節に大汗をかきながら働かされた、多分一生忘れられない庚申塔調査の思い出深い写真となることでしょう。しかしこの頃では、ここへ毎週来るのは、庚申塔調査よりも、この山中で子供のころに「自分たちだけの陣地」作りをして無我夢中になって遊んだ頃を思い出しながら、楽しむために来ているような感覚かなと思っています。しかしこれで、長い間の竹藪との戦いも終了かと思うと気が抜けてしまうが、何とまだまだ調査していない庚申塔が100基以上は残っているという山口氏の言葉に、「まだまだ、先が長い」と、気を引き締めるのだった。そして鶉坂参道を切り開いた両側には延々と横倒しのまま地表に置かれている、まだ未調査の庚申塔光景を眺めては結局今月一杯は、それらの調査だけで思ってしまうことを実感した。

その後の8月以後は、山頂などの気になる庚申塔の拓本採り、本当に一か所に800基を超える庚申塔の恐ろしさを実感する。まずは目の前のことだけを考え、先のことは考えないことにしよう。!

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