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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

3月25日の足利市石仏巡り記

2006年03月26日 | Weblog
昨日、25日は佐野市在住の高橋氏と一緒に足利市西部地区へ行きました。最初は、今福町の白山神社周辺を探索し、白山神社境内で本当に暫くぶりに「摩利支天」の文字塔に出会いました。
その後は、大岩町へ向かい、厳島神社や最勝寺などを見て毘沙門天へ向かいましたが、登り口で庚申塔二基を記録してUターン。行くときには気づかなかった道路沿い高台に、高橋氏が庚申塔群を見つける。慌てて車を止めて近づけば、そこには優に百基を越す自然石庚申塔が雑然と転がっている。隣の家人に高橋氏が聞き込みに行けば、ここは「大岩の庚申山」と言われているところで、で祀った庚申山とのことである。調べようにも、余りにも数が多いのと、一つ一つ抱き起こさなければならない有様にそれは断念し、特徴的な庚申塔だけを調べることにする。ここで、三基の数庚塔(かずのことう)を収録出来た。いずれにせよ、これで又足利市の庚申塔群が一箇所増えたことになり、その喜びは大なるものがある。そしてこれも、高橋氏と一緒に来た今日の大きな成果と感謝する。
所で、今日の予定としては大前町地内を巡る予定であったが、思わぬ大岩の庚申山発見で舞い上がり、少し早いが弁当を手に入れて一休みしようということになり、大前町はパスして板倉町へと進んでしまう。そしてやってきたのは、毎度の事ながら粟谷町の橋入り地区碑塔群。碑塔の並ぶ所に敷物を出して弁当を広げ、午前中だけの成果で大満足の大休憩となる。それでも、食後はそこにある碑塔を今回こそは調べるぞ(いつ来ても、眺めるだけで記録を取っていなかった)と起き出して調査開始、埋没している台座をスコップで掘り出しているところへ地元の人が来て、ジュースなどの差し入れを受ける。それが縁となって世間話をすること一時間強、思わぬ邪魔が入ったが、これも良い思い出になるだろうと楽しい時間を過ごせた。
そこで、今日最後の訪問地は板倉町の養源寺と決めて乗り込み、早速境内にある庚申塔群に入る。ここでの今日の目的は、その中にある数庚塔の悉皆調査である。高橋氏と一緒に水洗いをしながら都合七基の塔を調査し終える。その後は、そこにある「庚申」書体のなかから気に入った塔を水洗いしては写真に撮りながら時間が過ぎて、早くも3時半となってしまった。どうやら、今日の石仏巡り終了時間となったようだ。お寺さんの皆様の、「お茶を飲んでいってください」という言葉に感謝しながら、また近い内にお伺いさせて頂きますと厚く御礼を述べて帰路に就く。
その帰路車中にて、この養源寺さんの庚申塔群中「百書体」庚申塔のまとめは、やはり私達がしなければならないのかもしれないと話す。私個人的にも、この問題は以前から感じていたところなので、この際に高橋氏の力を合わせて実行に移す時期が来たようである。しかし、最低でも百基の文字庚申塔の拓本を取るとなると、やはりそれ相応の覚悟が必要である。高橋氏は、二人でやれば2日間で終了するだろうから、ぜひこの際にやってしまおう、というありがたい言葉もあって、今週中にはその覚悟を私自身固めなければならないと思っている。何しろ、高橋氏の協力があってこそ出来る事なのだから…。
また、4月22日の「多摩石仏の会」皆様との足利市庚申塔巡りは、この周辺だけで十分に皆が納得できる内容だろうという話しになり、その予定でコースを組んでみることにしよう。多摩石の皆様、足利市が初めての方には面白い物ばかりをお見せしますので、お楽しみにご参加下さい。

そして今日26日は、ジャガイモの植え付けをしようと予定していたが、天候は曇りで当地は肌寒いので中止。その分を、昨日の撮影しすぎて碑塔写真の整理などをして過ごそうと机に向かっている。また、HPへの今回の石仏巡り記は、既に画像が多すぎてアナログ回線の方々には申し訳ないので、ホンの数点だけを掲載する事に致します。
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3月18日の石仏巡り記

2006年03月19日 | Weblog
昨日18日も、足利市へ石仏巡りに出かけました。事前に目的地は決めていなかったのですが、最初に足を踏み入れたのは市街地から西部地区になる五十部町(よべちょう)でした。町内をうろうろして幾つかの碑塔を見つけて調査してから、以前に来た山下町へ入り、悉皆調査をしていなかった庚申塔群を記録して、曹洞宗長松寺へたどり着く。ここで、重制石幢六地蔵塔を発見。本体は龕部だけですが嬉しい限りです。その他、境内には面白いものがあり、すっかり時間を過ごしてしまう。その後、近くの山の中に入り、青面金剛像容塔をゲット!。その山道沿いで、暫くぶりに「如是畜生發菩提心」偈頌のある馬頭観音像容塔にも出会えました。その他、山下町をうろうろして北部の山地へ入り、入沢地区の庚申塔群をこの際だからと時間をかけて悉皆調査。
今日は、目的もないまま来たために何となくゆったりした気分である。そのため、目に入る碑塔類は残さず記録して歩く。それでも流石に、午後も2時を過ぎると既に今年最大の調査数(59基)を記録していたのと少しばかりバテてきたので、何となく今日はここまでで帰路に就きたくなった。が、うまい具合にそれまでの春風も止み、太陽も雲間に隠れて曇り空となる。そこで、直ぐ近くにある大前町の入東地区の庚申山を訪ねて、以前に確認していながらも拓本を取っていない庚申塔銘文の拓本取りに向かう。この庚申山の庚申塔群は、この季節ならではの佇まいを見せていて、これからの目的外として既に写真も撮ってある庚申塔の幾つかをまたしても撮影して時間を無駄にしてしまう。
そして問題の庚申塔。四角柱下部の、最後の文字がコンクリートで土台につけられたために読むことが出来ない。悔しいかな、そのコンクリートを剥がすことが出来ないのでそのまま採拓する。(帰宅してから解読したところ、やはり以前に調べたものとは数カ所で読み間違いがあった。やはり、長文は拓本を取らなければならないと痛感する)。
その採拓が終わった時点で、既に3時半を過ぎていた。まだまだ陽は高いが、今日の石仏巡りはここまでとして、あとはのんびりと宇都宮までへの道を国道293号線を辿って帰路に就く。
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3月11日の石仏巡り記

2006年03月12日 | Weblog
3月11日土曜日は、一人で足利市の西部地区へ石仏調査に出かけました。今日は、高橋氏を誘うには申し訳ないような、病膏肓たる調査をしたくて誘いませんでした。何しろ今日は、単純で時間ばかりを要する作業のため、高橋氏に飽きられ馬鹿にされることまちがいなしだからです。
目的は、先週に高橋氏と訪れた鹿島町の地福院の石造物調査です。前回は、時間の関係で途中で切り上げて悉皆調査をしていなかったので、その残りを調査したく訪れました。まずは、山門脇にある、標柱の土台を掘り起こしての銘文解読ですが、これには手こずり、結局拓本を取らなければならなくなりました。また、六体六地蔵の名称が面白いので、改めて眺めてはこちらも再確認の意味でも銘文を採拓しました。そんなこんなで、この地福院に別れを告げたのは12時近くになってしまいました。今思えば、この時に渡良瀬川の土手で昼食にすれば良かったのですが、小俣町の山で食べようとしてしまったことです。そして小俣町へ向かう途中で、次に訪ねる予定だった長福寺へ、信号の変わり目にあわせてハンドルを切って立ち寄ってしまったのです。
そこには、寶篋印陀羅尼經の梵字陀羅尼経が四面に刻まれた宝塔型寶篋印塔があります。早速住職さんに許可を頂いてから、昼食も忘れて始めてしまいました。何しろ梵字陀羅尼経ですから、それに出会えた嬉しさは隠しようもなく、本気になって拓本を取らなければなりません。風にめくられる恐怖を覚えながら、それでも何とか完了。同寺境内には単制石幢六地蔵もあったりして、その調査にもしばしの時間を取られて、長福寺さんを辞したのは既に2時近くになっていました。たった二箇所のみで、朝九時から5時間も連続で文字ばかりを、本気になって眺めていたので流石に疲れました。
空腹感は、既に通り過ぎてただ休みたい一心で小俣町を北上し、その後は山地へと向かいました。そして道路沿いの庚申塔が並ぶのんびりした景色の中で大休憩。山間のため風もなく、セーターも着ていないのに汗ばむほどの中で、まずはコーヒーを沸かして飲みました。それから遅すぎるほどの昼食を、東京の橋口氏から頂いた美味しいみそ汁を作って弁当を広げました。もちろん食後は、今日のたった2箇所ながら大満足の成果に一人酔いしれて地面に敷物を敷き、その喜びの反芻をしました。この時点で、時計は既に3時近くになっていたので今日の石仏巡りは終了とし、その後はこの周辺の碑塔写真を気ままに撮影しながら松田町へ抜け、そこから馬打峠を越えて月谷町へ抜けて帰路に就きました。
もちろん夜は、その日に取った沢山の拓本を並べ眺めては一人で悦に入っていたことは言うまでもありません。調査用紙の清書もせずに、です…。
従いまして今回は、HP上に掲載するような画像が無いのです。それでも、昼食時と帰路途中で撮影した幾つかの遊び的画像は数点ですが掲載するつもりです。
※来週は春分に入ります。いよいよ春本番。益々忙しくなる石仏巡りですが、まあ欲をかかずにこのペースで進みましょう。
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橋口 衞 様へ

2006年03月08日 | Weblog
ご無沙汰いたしております。
目の方は、無事に手術が終えたことと推察しております。
さて、このブログをご覧になっていますとのこと、ありがとうございます。
また、文字が小さくて見えにくいとのご指摘がありましたので、その対処方法をご案内申し上げます。
まず、デスクトップ上の「表示」項目から「文字のサイズ」を選んで、その中の「最大」をクリックしていただけますと、大きな文字となって読みやすくなるかと思います。
私の方で、大きな文字で書けば良いのですが、それにはいちいちHTMLで書き込まなければならないので面倒くさいのでご容赦下さい。

※橋口様のメールアドレス、保存しておかなかったので消滅してしまいました。来月の馬頭観音巡りのためにも、ぜひ私宛に空メールを打っておいて下さるようお願いいたします。
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3月4日の石仏巡り記

2006年03月05日 | Weblog
朝8時45分に、佐野市大庵寺に着けば既に高橋氏が今や遅しと待っていてくれる。今朝の冷え込みで、車のガラスはコチンコチンに凍ってしまっていて、その掃除に少しばかり出遅れたのと、途中で燃料が足らないので補給したりしたので約束時間ギリギリに到着した次第である。
今回も、高橋氏と一緒に足利市へと早速向かう。その第一番目の目的地は、鵤木町県道沿いにある浄光寺廃寺跡の宝篋印塔調査である。基壇に小さな文字でびっしりと願文が刻まれているのを一文字づつ手写しする間に、高橋氏は境内を徘徊して「千庚申塔」等を見つけてくれている。また、近くには面白い銘文の手水鉢があり二人で興味津々に眺めて記録を取る。次は、鵤木町へ入ったついでに両毛線南側の共同墓地を見に行く。この墓地で、墓地の責任管理者という、いかにも田舎のオッサン風の無知無学な人から意味の分からぬ難癖をつけられ、二人して顔を見合わせてそこを離れる。ついでにと、近くの五社神社で馬頭観音像を撮影。この神社境内にも、最初に訪れた浄光寺廃寺跡にあった手水鉢と全く同じ手水鉢がある。
今日第二番目の訪問地である山川町の「観音寺」到着。この観音寺境内にある青面金剛像を確認するために来たが、やはりそれは延宝庚申塔としても全く異論のない像容塔だった。いずれにせよ、この青面金剛等は春日部市の中山氏と野田市の戸向氏の二人が揃った上でその判定を下そうと思う。
市街地中心を通り過ぎて、足利の西部地区へ入る。次の目的地は、鹿島町の地福院である。まずは、山門内すぐの所にある宝篋印塔から調査開始。暫くぶりに沢山の文字があるので嬉しくも、その書き写しに多大な時間を費やしてしまう。高橋氏は、既に自分の調査を終了して、そんな私ののろまな作業の手伝いに入ってくれる。ようように写し終えて、その他の碑塔調査に入ろうと庚申塔から調査を再開したが、何しろ数が多すぎる上に、面白いものばかりが目に入って、それらを全て調査するには更に数時間が必要だろう。そして時計はすでに12時半を過ぎて、空腹感ばかりが増すので中断。未調査項目は次回へ繰り越して、山の中で昼食を取るべく板倉町へと移動する。
板倉町阿戸地区の雷電神社境内で、1時近くになってようやく昼食とする。
これから訪れるそ雷電神社は、すごい傾斜の石段を途中まで登って、その先は山の稜線を登る。そんな思いをして登って、山頂に何もなかったらガッカリ物だが幸いにも山頂直下に自然石の山神宮の文字塔、そして奥社にて天保年間の手水鉢があったので大満足だった。山頂近くには山ツツジが沢山あったので、これからの春に登ればその見晴らしの良さと共に軽いハイキング気分を味わえて良いところだと思いながら下山する。
その後は、あちこちと先週の取り残しや未訪問場所を訪ねながら進んで、松田川の東側を見て歩く。そして産泰神社へ到着。神社入口に並ぶ碑塔の中に、重制石幢六地蔵塔を発見。こんな所での出会いに大感激である。しかもその並びには大正九年銘の「千庚申塔」まである。一休みして心を落ち着かせながら1基づつ調査。そして一足先に神社境内へ登った高橋氏から、上にも幾つかの碑塔があるという。誘われて登れば、そこには巳待塔に道標付きの「根本山」塔に、大山祗命文字塔などがあり、ここでも嬉しくなって調査にも張り合いがある。
この辺りで、今日の石仏巡りはそろそろ終了の時間となってきたが、今日の予定の最後となる、養命地区の山の中にあるという「金剛院跡地」を探しに向かう。うまい具合に、地元の方に出会って話しを聞けば、申し訳なさそうにその場所は事情があっての方々も立ち入らぬ場所になっているとのことで、まして地区外の方では入らない方が良いと言われて、素直に断念する。
行き場を失った気持ちのまま、少し北上すれば山裾に新しい墓地が見えてくる。早速入ってみれば、そこは「養源寺駒場強度墓地」となっていて、その途中には碑塔が並んでいる。畑で仕事をしていた地元の方を交えて、楽しい石仏調査となる。ここでも十六日念佛塔を収録。石仏の話しに地元の話しを交えた会話を楽しみながら、早くも3時半になった今日の石仏巡りはここまでとして、その後は車上で高橋氏と楽しい会話を楽しみながら帰路に就く。
今回は、私ばかりが収穫が多く、高橋氏は実り少なく実質的に私の手伝いに終始してしまった感がなきにしもあらず。それにも関わらず、喜んで同道してくれた高橋氏に感謝しつつ、大庵寺で別れた後は今回も栃木市経由でのんびり宇都宮への道を辿って帰宅した。
※HPへの石仏巡り記は、ご紹介画像数は少ないのですが早くて今夜以降になります。
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2006年03月03日 | Weblog
時々、メールにて石仏について質問やら問い合わせを頂くことがあります。その中には、非常におもしろい話題や素朴な質問がありますので、それらを皆様にもみせられたらな、と思いました。当然、その中には私の浅学では答えようもない難問もありますので、ついでに博学の皆様からのご回答も期待してのことです。
そんなこんなで、無料の掲示板を利用しまして、「石仏についての質問&回答箱」という題名の掲示板をHPトップにリンクしましたのでご利用下さい。
といいつつも、実際にこれを使う人がいるかという一抹の不安もありますので、併せて石像物全般についての質問や、情報コーナーとしてもご利用いただけたらと思っています。
投稿規定は、掲示板に記しましたが、個人的内容は掲載しないでください。それらはメールまたはブログのコメントの方へお願いいたします。

特に、栃木県のどこそこにこんな石仏がありました等という情報は私自身が最も待ち望んでいる内容ですので、よろしくお願い方々ご愛顧下さいますよう願っています。
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