石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年2月23日も栃木市の石仏巡りです

2008年02月23日 | Weblog
2008年2月23日も、栃木県栃木市の石仏巡りに出かけました。先週の予想通りに、今日は朝から春を思われる温かさで、最初の碑塔調査が朝の8時10分と早いにも係わらず暫くぶりにジャンパーを着用することなく一日を過ごせました。それでも、午後2時半頃から北風が強くなってきたので本日は47基の石造物調査にて終了し、早めの帰宅としました。今回も、あまり面白い碑塔には出会えませんでしたが、それは最初から判っていることなので、淡々と目の前に出てくる碑塔をこまめに拾い続けました。また、前々回に訪ねた場所へも行き、写真を撮り直したり暖かいのを幸いと二点ばかり銘文を手拓して確認しました。やはり、判読よりは手拓して確実に解読する方が安心感があります。たとえそれが、同じ銘文にしろ。その甲斐あって、寛文年間の阿弥陀如来像容の寒念佛塔を自信を持って確認できました。写真はまだ見ていませんが、良く写っていましたらHPの方でご紹介しましょう。
 そんなこんなで、次回も飽きずに栃木市へ通うつもりでいます。それにしても、栃木市の面白い碑塔を先にピックアップして見てしまうと、ニンマリ出来る碑塔に巡り逢える確率は少なくなってしまいますが、それでも一日で数基は新たな碑塔に出会えるのが慰めになります。そんな一つに、今回は「録事尊」塔に暫くぶりで出会えました。次回は、どんな碑塔に出会えるかと、それだけを楽しみにして苦行にも似た単純な碑塔調査を黙々と続行しましょう。
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2008年2月16日も、栃木市の石仏巡りです

2008年02月16日 | Weblog
 2008年2月16日も、栃木市の石仏巡りに行って来ました。風がやけに強く吹いて、石仏巡りには向いていませんでしたがそれでも午後3時半までガンバリました。
 今回は、珍しく片柳町の万治庚申塔を見に行きましたら、昔とはすっかり様変わりとなりとなって、奥の墓地に整然と並べられていました。昔は、道路沿いに酷い状態で置いてあった物が整理されたようです。その為、朝一番に行ったので写真が撮れませんでした。写真を撮るなら午後に限るようです。また、昔にその前を通りながら眺めたままで調査しなかった、薗部町の公民館脇、六道墓地前にある庚申塔、今回は写真を含めてバッチリ調査してきました。中でも、上部欠損の4臂青面金剛像はどう見ても延宝を下らない物、それどころか像容的には寛文まで行っても良い物です。もちろん、裏まで覗きましたが紀年銘は欠損部分にあったようで、最終的には「不明」扱いとなります。ウ〜ム、残念!
 その後は、前回までとは違ってあちこちと動き回り、目に入る碑塔を調査して歩きました。そんな石仏巡りでありながら、森の中にある墓地内に宝篋印陀羅尼経の刻まれた塔がありましたが、霧吹き類を持っていかなかったので、銘文解読とならずに次回へ繰り越しです。とにかく今日は、調査碑塔数が50基になったら止めようと思っていたので、結果的には54基で本日の石仏巡りを終えて帰宅しました。
 前回、9日の石仏巡りの碑塔類紹介は、HPの方へ掲載せず仕舞いに終わってしまったので、今回は数は少ないが幾つかご紹介しようと思っています。今回の石仏巡りでは、なぜか写真に撮れるような場所と時間に行き会わせなかったので、撮影したのは調べた碑塔の五分の一にも満たない数です。嗚呼、それにしても栃木市の石仏巡りにそろそろ飽きてきました。何しろ十九夜様ばかりで、面白くないからです。それで以て、今回は墓碑ながら江戸初期の如意輪観音像と僧形像をも珍しく調べ、写真に撮ってきましたのでそれらもご紹介しようと思っています。
 ところで、これは私の感なのですが、今年の冬の寒さもどうやら今回までのように感じました。恐らく、次回の石仏巡りは春の陽気の中で出来るのではないかと、早く一週間が過ぎ去るのを心待ちにしています。それでは、また!
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2008年2月9日も栃木市の石仏巡り

2008年02月10日 | Weblog
 2008年2月9日、午後から関東一円に雪が降るとの予想だが、どこへも出かけずに雪が降ってくるのを待っているだけでは能がないと、今回も8時10分には既に栃木市木野地町の石仏調査に取りかかっていた。指が少しかじかむものの、さほど寒さを感じることなく順調に進み午前中だけで地域内の石造物調査は終了してしまった。次は、栃木市でも碑塔数の多い川原田町内へ入る。この地区も、過去に何度も来ている地区だが、精査は終わっていなかったので、今日でこの地区の調査目鼻を付けようと思ってのことである。碑塔調査に熱中している私は寒さを感じないが、流石に今日はいつもと違って人影が少なく、情報を聞き出せるような農作業などをしている人や、ご老人が散歩をしていずに困ったが、そこは持って生まれた図々しさで農家を訪ねては情報収集などをしながら町内を巡って調査にあたる。その中の傑作としては、昔に来たときは写真が撮れた宝永四年銘の一石六地蔵塔が鍵のかかった小屋の中にあって、こりゃ〜困った。と佇んでいるとおばあさんが通りかかって、話しかけてくる。そこで、鍵があるので写真が撮れなくて悩んでいたのですよと話すと、鍵なら私が当番で持っているから、家へ戻って持ってきてあげるという。その行為に甘んじて小屋を開け、それ以外にはどうやっても撮影できない六地蔵塔を無事に入手出来た。
 そんなこんなで、朝からの木野地町とこの川原田町だけで既に52基の石造物を調査できてしまった。まだ、午後も1時を過ぎたばかりだというのに、である。
 今回の石仏調査、前回に懲りて総数で最高60基迄とすることに決めていたので、残るは数基。そこで、まだ未訪問地である野中町へ入る事にする。そして目的地とするは、地福院である。第一の目的は、私の求めている宝篋印陀羅尼経の刻まれた宝篋印塔有無を確認すること。到着して最初に目に入ったのが、当然ながら境内本堂脇に建っている宝篋印塔。しめしめ、これで今日は時間をかけてゆっくり読むことが出来ると庫裡に伺えばお留守のようである。洗濯物が干してあるところを見ると、そう遠くへは行っていまいと少しだけ待つことにして境内の庚申塔やその他の石造物調査を、横目で宝篋印塔を見ながら行う。しかし、一向に帰宅しないのに待ちくたびれて、後日の再訪問として離れる。この時点で調査数は56基。あと4基で今日のマキシムの60基に到達かと、独り言を呟きながら適当に町内を巡っていると薬師堂と共同墓地を兼ねた所に着いたので覗いてみる。ここで、2基の十九夜塔に1基の馬頭観音塔を入手して59基。いよいよ最後の1基、どこかに落ちていないかと、隣の商店へ飛び込めば、直ぐ近くに公民館があってその裏の墓地内にも十九夜さんがあると思ったと、教えてくれる。早速行ってみれば、なるほど墓地内の一角に捨てられ同然にあった。ここで3基をゲットして遂に最大の今日の目標数であった60基を超えた!。時計は、3時に2分前の2時58分。もうヤメタッ、と車に乗り込んでここから帰宅することにした。空は、そんな私を待っていたかのように、雪が降り出してくる。自宅のある宇都宮へと北上するに従い雪は益々強く降り出して、まるで雪国へ来たようである。途中からは、その為に車が渋滞し始めて、普段なら30分余りで着いてしまう宇都宮への道も約1時間近く掛かってしまった。
 まあ、それでも普段なら出かけない空模様にも係わらず、62基もの調査が出来たのだからバンバンザイである。これで、栃木市の碑塔調査は、あと500基ほど調べれば大凡の概要が分かるだろう。一日50基にして、あと10回ほど。な〜んだ、5月中には終わってしまいそうである。これでは、途中で余所の市町村へも少しチョッカイが出せそうである。
※今回も、前回同様に調査した碑塔の内容は圧倒的に十九夜塔。余り面白くもないので、HPの方へ掲載すべきか否かで悩んでいるところです。そして次回の栃木市調査は、さらに数を減らして1日で最大50基までにしましょう。何しろ帰宅してからの清書・整理が大変ですので…。
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2月2日は栃木市の石仏巡りです

2008年02月03日 | Weblog
 2008年2月2日は、栃木市の石仏巡りに出かけました。今迄の足利市とは違って、我が家からは近いために8時半には既に調査に着手する事が出来ました。少しばかり、北風が冷たかったですが…。
 昔に訪ねたところも含んでの調査ですから、何しろ順調に進んで午前中だけで42基も記録用紙が作成できました。お昼は、吹上町の専福寺の境内で一列に並ぶ石仏を眺めながらとなって、ここで大休止。
 昼食後は、その専福寺の石仏調査から始まり、その後も周辺の石仏巡りに熱中したため最終的には86基もの石造物を調査できました。その、1日で86基もの調査が出来たことは、私にはここ数年記憶にないほどの大収穫となり、流石に最後の1基が終わった午後4時過ぎには「疲れた〜」というのが正直な気持ちでした。この、一日で86基という数は、今年1月の4回で調べられた総数に匹敵する数ですから、いかに本気になって調べたかが察しられるでしょう。それでも数基に、手拓して銘文解読が必要なものもありましたが、今回はしませんでした…。その辺の甘さが、後で大きな問題となってくるのを重々承知しながらです。
 ところで今日は朝から雪が降っていて、庭には午前10時で既に10センチ以上の積雪があります。そしてこの天気を幸いと、朝から昨日の整理に熱中しています。何しろ数が多いので、撮ってきた写真の整理だけでも大変で、今やっと終えたところです。これからは、調査した原簿用紙の整理です。86枚の記録用紙を手に、「沢山調べるのも問題だな〜」と思っています。さらに今日は、プリントした「足利市の宝篋印陀羅尼経塔」の製本を予定しています。仮綴じでなく、ちゃんとした製本にする予定ですので、これって結構時間が掛かります。高橋さん、今週中にはお送りしますのでお楽しみに!。

※雪が積もっているので、我が家の軒下には野鳥が餌ほしさに来ていて大変です。今のところ、ジョウビタキ、メジロ、シジュウカラ、スズメ、ヒヨドリが来ています。いつもなら来るアオジは、どこかの薮に潜っていて、今のところは姿を見せていません。ヒマワリの種の半欠けを与えただけで大喜びして取りに来ています。まあ、雪の降った時くらいは、多めの給餌も大目に見てもらいましょう。県から預かっているキビタキは、そんなyき景色や野鳥の姿を見て鳥小屋の中から喜びの鳴き声を挙げ、美しい声を聞かせてくれています。
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