毎日毎日、当地は寒さ厳しい日が続いています。それでも昨日は、少し色気を出しまして宇都宮市内のまだ手拓していない石碑の拓本取りに行きましたが(もちろん午前十時を過ぎていました)、霧吹きで水を拭きかけたとたんにその霧は氷となって石面に薄く付着してしまいました。とてもではないが、水張りどころではなく、潔く?この時点で本日の調査は中止としました。このまま帰宅したのでは孤剣に関わると、その足で図書館へ直行。別に目的もないので、郷土資料を覗いて未調査の石仏が載っている箇所を10ページほどコピーして昼前に帰宅しました。
そして午後は、ここのところ製本作業を続けていた下記掲載のものを一気に仕上げました。全六巻という巻数ですが、これを整理したために書棚に50cm程の空間が出来、これで床に積んだままの数冊の本が納まると喜びました。この調子で、整理できるものはせっせと製本作業にこれからも取り込もうと思っている。
それにしても、今年の一月は石仏巡りをサボりにサボりました。例年にないサボり状態でしたが、そのために今月はこれまでの放置していたのを製本できたものが多く、その意味では成果のある月でした。さて、その今回の製本した本の一巻だけを画像で掲載しましたのでご笑覧ください。
※ここのところ、これを見たり図書館で見たりして入手方法のお問い合わせが増えていますが、頒布はすべてお断りしていますのでご了承ください。何しろ、原則として一冊した製本していませんので。多分、私が死んで後でそれらは栃木県立図書館へ寄贈することになりますので、せいぜいそれまで私以上に長生きしてください。中には、面白い本もありますので。
今日は、悪天候で石仏巡りに出かけることもなく部屋でのんびりとパソコンの前に座っている。そして多分、午後は図書館へ行って調べものをしてくる予定である。
さて、今回の一年間に及ぶ宇都宮市の碑(いしぶみ)調査において、最も大変だったのが漢字の読みや意味を調べることでもなく、以外や以外、それは碑文中に出てくる撰文者による異体字の作字作業であった。そんな作字した一例を画像で紹介したが、たかだか80余基の石碑調査に於いて作字された漢字の数は、現時点で1,700文字以上になる。その作字するに当たって最初に決めておいたのが書体で、これは最もポピュラーな明朝体とし、そのサイズはアウトライン化してしまうので大きくも小さくも出来るが、まずは本文に統一して使用できるポイント(実際には14ポイントを使用)とした。幸いにも私は、パソコンでの仕事をしているので時間さえ掛ければどのような文字も作成できるが、それでも一文字を作成するにはそれなりの時間を要した。この作字、一般の方には難しいので作字ソフトや市販の字鏡等のソフトを購入するのが早道だが、それでも必ず作字しなければならない文字に出会うだろう。それだけに、今回作字した文字は私にとっては貴重な資産となった。何しろ作字した数が数だけに、今では新たな碑文に出会っても作字する数は少なくなって500文字くらいの碑文でも、新たに作字する必要のある漢字は5~6字と圧倒的に少なくなった。そんな状態になった頃に、今回の石碑調査は終了を迎えたのだから皮肉なものである。
今は、それらの作字した漢字をどのように使いやすく保存整理しておくかで悩んでいる。嗚呼それにしても、時間だけはいやに早く流れる。まもなく昼食である。明日も、天候が悪いことを半分期待?しながら、今は次に何を清書しようかあれこれ考えている。
昨年からの持ち越し碑塔類の清書に追われていて、当分の間は寒さを理由にして石仏巡りをサボっています。そんな訳で、先週からは「宇都宮市の輯録いしぶみ」の後編を纏めました。これで、昨年の前編に続いて完成させることが出来ました。前編と後編を併せると、約80基の碑(いしぶみ)を調査することが出来ました。多分、宇都宮市ではこのような書籍は初めてではないかと思っています。尤も、好い加減な内容のはありますが(*O*);
これからは、その前編と後編を一冊に纏める作業に入ろうと思っていますが、その前にもう一度気になっている石碑の何度目かの校正をしなければならないと思っています。とにかく、自分で諦めがつくまで何度でも気になるところは再確認し、一文字でも多く完成度の高い内容にしたいと思っています。それが、こだわりというものだと…。
ところで、この後編も一冊だけ作成して宇都宮市中央図書館へ納め置くことにしました。初めは、もう良いかと納めるつもりはなかったのですが、前編があって後編がないのでは途中で調査を諦めたかと思われるのも悔しいから、ただそれだけです。ついでに、前編の中で気になる石碑の再校正部分も訂正してこようかと思っています。何しろ文字数の多い碑は、校正するたびに気に入らぬところがあって、また単純な文字入力ミス等が目に入ってしまうからです。まあ、要するに校正ミスと言うことでしょうが…。そしてこれが終わったら、今度は宇都宮市の宝篋印塔の纏めに入ろうと思っています。と言いつつも、多分合本作業が終わるのは一ヶ月以上も先のことになるでしょうが…。
そんなこんなで、次回は石仏巡り報告よりも今回の石碑調査において作字した文字について少し書いてみようと思っている。
本格的な今年最初の石仏巡りとして、昨年暮れに上三川町の生涯学習課の方から以前に所在場所の問い合わせをお願いしていた石碑の連絡があり、早速今回はそこを目指して出かけた。それが上記に掲載した石碑です。個人宅に建立されているのでご挨拶に伺うと親切に対応いただき、まずはお茶をご馳走になりながらの話になりました。そして知ったのは、このお宅こそ梅園春男の嗣子となったその当時の森田孫兵衛さんの家だったのです。私は、この石碑碑文の中に梅園春男の下で学んだと言うので来ただけなのだが、なんと言うことだろう。そこから思わぬ成果が得られるとは!
早速に調査方々手拓許可をお願いして作業開始。うまい具合に今日は嫌な風も弱く、快適な手拓日和となって一時間余で終了。それからご主人夫妻の案内で墓地へ案内されると、そこにももう一基の石碑が建立されている。そこにも梅園春男の名が碑文中に刻まれている。これも手拓が欲しいが、石面には嫌らしい苔が生えていてそれには金属ブラシで時間をかけて取り除かなければ話にならない。それでなくても時計は既に12時を過ぎているので、残念ながら今回は上記掲載の石碑だけで諦めざるを得なかった。ウ~ム、悔しい。宇都宮市内にあれば、時間をかけて綺麗に出来るのに、と。
それにしても、この石碑対象者である森田春次という人物は凄い! ここから宇都宮まで六年間に渡って通って学び、その後は村長やら多くの重職につきながら、途中で全てを辞してしまって自宅に校舎を設けて明徳義塾を開き、しかも誰からも月謝などを取らずそれどころか貧しい者には墨、用紙まで買い与えたという。その為に、塾の使命を終えて止めた時にはそれなりの多額の負債が残っていたという。全く、今の時勢には考えられないような人物なのである。本当に、この時代の人々は偉かったとつくづく思う。
さて、午後は隣の南川内町へ入って、またもや梅園春男の名が碑文中にある石碑探しを行ったが、最後にたどり着いた石碑建立対象者の実家へいってその墓地を教わったが、そこには該当する墓碑がなかった。多分、別の場所にあるのだろうと思うがそれがどこだか分からない。結局はあちこちと走り回っただけで全くの徒労に終わってしまった。そんな訳で、出かけるときの意気込みとは違って、本日の成果はたった一基だけだった。それでも心中は大満足。何しろ梅園春男のその後が判明したのだから…。
尤も、これでまた未整理の石碑が一基増えてしまった。校正のやっかいさを今更嘆いても仕方ないが、まあ百年後の人が見ても納得する内容に仕上げるには、当分の間は石仏巡りどころではないのが正直な所である。
2012年(平成23年)、明けましておめでとうございます。昨年は、希にみる大災害が起こった一年でした。それは、当栃木県内の石造物に関しても言えることで、特に3・11の東日本大地震によって、その前の週に調査した宝篋印塔が倒壊していたり、後日調査しようとした大きな石碑もものの見事に裏返しに倒れていたり、墓地内の墓碑等はそれは凄いことになっていました。その修復作業もままならぬままに、新年を迎えてしまいました。
私的には持病の腰痛を悪化させてしまい、特に真夏の7~8月は座骨神経痛にまで発展して石仏巡りどころではなく、その間一基も調査できない有様でした。それもこれも、無理な姿勢での手拓を重ねすぎたためと、自分では思っています。そんな次第で、昨年一年間の石造物調査は惨憺たるもので、再調査を含めて調査出来たのは一年間で678基のみ。そこから再調査分を差し引くと実質589基という有様でした。例年なら1500基前後は見ているのですから、昨年はその三分の一という事になりました。それでも、その調査内容は、後半になるほど石碑が殆どを占めましたので、一日に調査できたのは2~3基ということも普通でしたので、その中ではよくぞ痛い腰をかばいながら調査したものだと感心した次第です。
さて今年の抱負は、まず第一に今取り組んでいる宇都宮市内の石造物を何とか纏めることです。特に、石碑と宝篋印陀羅尼経塔はいつものように冊子として纏めておきたいと思っています。腰痛は特に寒さに弱いので、今年の冬は石造物調査に行きたい気持ちを抑え、昨年一年間の整理をしようと思っています。流石に私も、この頃は自分の年齢を考えるようになり、もう少し自分の身体を労りたい気持ちになっています。それでも、あと動けるのは?年しか残っていないと思うと、まだまだ調査したい碑塔が沢山あって困っています。まあ、健康が第一と今年は考えて、少し自重しながらの石仏巡り元年となるでしょう。
どうぞ、皆様の益々のこの一年のご活躍を願っています。
※上記に掲載しました画像は、佐野市在住の高橋氏から頂戴した、龍の土鈴です。ここに厚く御礼申し上げます。