石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年12月30日、愈愈明日は大晦日ですね。本年最後は栃木県烏山町の石碑紹介です。

2014年12月30日 | Weblog

 

 昨夜の予定では、今日30日は栃木県南河内町にある石碑の手拓に行くつもりだったのだが、朝起きて居間のテーブル上を見れば先月から手拓した拓本が山積みとなっている。そこで急遽、今日はその整理をすることにした。何しろ私の手拓は、手拓したものをA4スキャナで取り込まなければならないので全てが半切の用紙。故に、手拓したその殆どは最後に何枚も張り合わせなければならない。これって、結構な重労働で特に中腰での作業となるので腰にきつい作業となる。朝から延々と昼食時間を抜かしては午後の3時半までかかってようやく終了。それでもこれで、今年の拓本は全て整理できたことになり、テーブルの上はさっぱりと片付いた次第である。さあ、今夜からはそれらの銘文読み下しに入ろう。
さて、そんな今年最後の栃木県内石碑調査は、先日12月25日に栃木県烏山町のお寺さんにある上記掲載の鈴木君壽蔵碑(鈴木好義)である。高さが150センチと小さいので、1時間半程で調査終了。ところが、裏面に勝海舟揮毫の銘文が別にあるのが判って、こちらは丁寧に30分ばかり掛けて手拓しました。その手拓画像を下に掲載しました。御笑覧下さい。

 左側が、碑表に刻まれた銘文で、右側が碑陰のものです。どういう人かは、主銘文に記されています。
 なお、草書体に弱い私には、題額の最初の文字が読めません。また、碑陰もまだ全体を通して読み込みに入っていませんので、この段階で誰かスラスラと読んでくれる方がいましたらよろしく御教示ください。※大体の読み下し文を2015年01月11日のこのブログに掲載しましたので、併せて御笑読下さい)

さて、ここで今年一年の石碑調査を振り返って見ると、総数で64基。自分では、80基位は調査しただろうと思っていただけに以外に少ない数字に拍子抜けです。尤も、振り返ってみれば夏は暑いから、冬は寒いからと外出をサボってばかりいた一年なので、当然といえば当然なのですが‥。手拓したのはその内の80%で、半切画仙紙にして約200枚。結果としてまあ、こんなものかと納得させられました。
 それでも今年は、栃木県さくら市(旧喜連川町と旧氏家町)の石碑調査報告書を私家本として発行出来たので、全体的にはまあまあの一年だったかと思っている。
 明日は、今年最後の仕事としてクライアント様のHPを新年用に更新しなければならない。毎月、月末の夕方以降にアップしなければならない仕事とはいえ、やはり大晦日の仕事は気乗りしません。かといって、これだけは早めに更新するわけにもいかないものだけに、仕方ないと思いつつ明日もがんばりましょう。
 どうぞ皆様、来年もよいお年をお迎えください。併せて、私が大晦日にシコシコとパソコンに向かって仕事している姿を想像しながら‥、本年最後の明日をも楽しく過ごしてください。

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2014年12月06日は、栃木市の中島靖撰文&揮毫の石碑調査でした

2014年12月10日 | Weblog


いよいよ、師走月に入りました。寒く、北風の吹く季節となり、一箇所に長く留まる石碑調査にはつらい時ですが、それでも石碑と向き合っているとそんな悪条件も忘れて至福の時間を過ごせます。
さて今回は、埼玉県久喜市の石井昇様から御教示戴きました、栃木県栃木市今泉町にある今泉神社を訪ね、中島靖の撰文&揮毫碑の調査と拓本をとることが出来ました。ただ、写真は午後も3時を過ぎないと太陽が当たらずによい写真が撮れませんでした。まあ、写真は春にでもなって太陽が高くなった季節に再撮影に行きましょう。ついでに、碑表は全面剥落で何と記されていたのか、今は全くわかりません。従って、碑文があるのは碑陰です。
ここでは、中島靖の栃木市における活躍は省略し、その石碑画像と、下に手拓画像を紹介するだけに留めましょう。
これが、拓本画像です。本当は、別HPの方へPDFで掲載したいところなのですが、それも諸事情で掲載しません。が、石井昇氏には、その別銘文と共に資料として、また御教示御礼として、清書が終わりましたらお送りいたしましょう。
この画像ではわかりませんが、石工の松村三瓢としては稚拙な彫りです。明治40年代になると、それ相当の字彫り作品を残しているので、この頃はまだ字彫りに精通していなかったことがこの石碑で判ります。もし、栃木市方面で松村三瓢の石工作品に関心ある方はぜひ、松村石工の文字彫り初期作品として実物をご覧になってください。なんて、えらそうなことを言ってしまいました(笑)。

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