栃木県には、日本最初の学校と云われる足利学校がありながら、意外と少ないのが孔子像。私が今までに確認した孔子像石造は、足利市の1基と今回のこの孔子像だけです。しかも、今回ご紹介した孔子像の上部には八卦に囲まれた丸の中に北斗七星が線刻されている優れものです。しかしその北斗七星も今や剥がれ落ちる寸前状態。保存のしようがないだけに、いつまで目視できる状態で残るかと心配しています。
高さが3mメートルを超える庚申も珍しいが、それがご覧のような角柱となるとさすがに高さを感じる庚申塔である。しかも年代が延宝4年銘だから、この当時の石工の腕前とその石材を何処から運んだかと、気になる庚申塔でもある。ぜひ、これ以上に高い庚申塔をご存知の方から情報を頂きたいと思っています。
普段では、滅多に見られない一字金輪仏頂尊の像容石仏です。ご承知のように、その種子は「ボロン」としては出てきますが像容となると石仏に詳しい方でも見た人は少ないのではないかと思います。
昨日にここへ書き込みましたように、今日から10日間位は石碑から離れて、しばらくぶりに栃木県内で見て歩いた約25.000基余の中からとりあえず「栃木の石仏百選」としてまとめた中から日替わりで10基ほどを転載していこうと思っています。ただし、掲載するのに呆れない限りです。
一週間ばかりかけて、上記内容の栃木県石仏巡り記を纏めましたので、その記念として栃木県以外にはあまり見かけない石仏を、100選の中から10日連続で(予定ですが)掲載してみようと思います。今までの石碑とは違って、「へえ~、こんな石仏もあるのだ」と、単純に喜んで頂けましたら幸いです。
そんなわけで、今回はその表紙だけです。表紙のお地蔵様の顔は、日光市の浄光寺境内に祀られているものです。
「道者須臾不可離」という訳ではないのですが、元日そうそうに昔に調査した石碑銘文の最終校正が終わっていないものを一文字づつ校正して日を過ごし今日の昼に終了したので掲載しました。こうした石碑銘文が沢山溜まっているので、外へ出かける気分になれない冬場に一基でも多く最終校正をしようと思っています。尤も、それは最初に記した「道」の原義が「道徳」なのに対して、私の「道」は道楽なので笑ってしまいますが…。