今回は、旧今市市板橋地区に所在する「紡績堀」と「二宮堀」の震災復旧碑のご紹介です。拓本は、7月14日に行って手拓しましたが、今回は未掲載です。
それにしても毎日暑いですね。拓本採りもままならず、もう少し涼しくなるまで(少なくも最高気温が30度位までは)暫く夏休みといたします。若いころに、インドのベンガル州で避暑地へ逃亡(金持ちはダージリンなどの避暑地へ皆行ってしまいます)せずに真夏を過ごしたことがあり、その時は室内で軽く40度を超えていましたから、それを思うとこれぐらいは何ともないのでしょうが、歳ですね。身体に堪えます。何しろ当時は、室内にある金属製の机は熱くて触れなかった経験を持っていますが、それが日本で毎日35度を超えるなんてそれ以来の暑さです。当時は、現地の人を見習って昼間は戸を閉めて寝ていて、夕方以降に起きだして勉強していたことを懐かしく思います。日本では、昼間に雨戸を閉めて寝ていたら救急車がやってくるでしょうからそれも出来ず、「まだまだ大丈夫」と、相変わらずクーラーの電源を入れず昼間に頑張っています。もっとも、毎日最低三度は水シャワーを浴びていますが…。
次回は、旧今市市中心部にある今市地震災害碑の拓本を採る予定(既に拓本許可は取得済です)だが、それはいつのことになるやらです。
これは、今市市文挾地区の二荒山神社前に建立されている、昭和24年に発生した今市地震による被害の復旧記念碑です。今回は、調査した銘文のみのご紹介です。地区の方へ提出するための資料ですので、易しく記してあります。また、碑陰にある内容も参考になるので掲載しました。
今日はまだ7月1日だというのに、暑すぎます。しかも、熱風の風が強く吹いているので、拓本等は採りようがないので部屋に閉じこもり、溜まっている碑塔類の整理に加えて銘文清書をして過ごしています。そんな一つが、7月17日に日光市小来川地区で手拓した「大橋盈翁之壽碑」です。四角柱の一面しかないので簡単かと思いきや、作字が大変な異体字があって(しかも、作成終了まじかに、パソコンがこの暑さに反抗してクラッシュ。もう少しで、保存するところだっただけにもう一度やり直し、こちらも熱くなってしまった)、などで結構時間が掛かってしまった。また、どう拓本とにらめっこしようが、読めない一文字と長時間格闘するも、結局は「多分、意味からみてこれだろう」という仮文字を配置して初回清書を終了する。それを下に掲載しました。前回に掲載した拓本画像と今回の清書画像を見比べて、お暇な方はその文字がどこかを推理して楽しんでください。いずれにせよ、もう一度現地を訪ねて文字と格闘してくることにしました。