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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

10月最後の日光市石仏巡り

2007年10月30日 | Weblog
 2007年10月28日(日)も、日光へ行って来ました。本来なら日光市街地の石仏落ち穂拾いをする予定でしたが、もうそろそろ秋の行楽シーズンに入ったので市街地は渋滞となるだろうと予想して、日光市入口の和泉地区へ最初に行きました。この地も暫くぶりに訪れたので、細い道から磐裂神社(道路地図などには全く掲載されていない神社です)への入口を忘れてしまい、一度は通り過ぎてしまいましたが、それでも8時前に着くことが出来ました。それにしても今日は、昨日突然の台風騒ぎと違って素晴らしい秋晴れに野の景色は彩りをなしていて、心から秋の野の景色と共に石仏調査が出来ました。この磐裂神社には10数基の石塔がありますので、ついつい居すぎてしまってこの地を離れたのは10時を少し過ぎてしまいました。
 次は、日光市の南西に位置する山久保地区へ行きました。ここへは、今年になってからも8月、9月とそれぞれ一度ずつ来ていましたが、改めての調査です。木曽坪で、地元のおじいさんと話し込んで庚申講のことを聞いたり、柏木地区では地元の方に誘われるまま自宅まで押し掛けてお茶のみをしたり、石仏巡りよりも全くの遊び気分になってしまい、そろそろ本気になって石仏巡りをしようとしたのは午後も1時近くになってからです。お茶のみばかりをしていたので空腹感を覚えず、今日は昼食は取らないことにし、それからは小来川地区へ入って本気になって石仏調査(といっても過去に調査済みばかりのものですが)、を始めました。そして再調査をすれば、やはり前回に調査したときの記録洩れなどが見つかったりして、反省すること大なりといったところです。それでも今回は後半に午前中の遅れを挽回して午後4時までみっちりと調査したので、暫くぶりに総数51基の石造物を再確認することが出来ました。今年の6月以来、1日で僅か数基と言う有様から良くて20基程度の石仏調査しかしていなかったので、今日のようにこの位の数の石造物を調査できれば大満足で、前回に引き続いて夕日の染まる里山の景色を満喫しながら、のんびり鼻歌を歌いながら帰路につきました。
※私的には、HPの方へ掲載する画像はすでに見ているし、その中の幾つかは石佛月報などで掲載済みなので特別な画像はないのですが、最近になってこのHPをご覧の皆様にとっては目新しい物もあるかと、明日以降少しだけ掲載しようとおもっています。期待しないでお待ち下さい。
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2007年10月20日・21日も日光の石仏巡り

2007年10月23日 | Weblog
☆只今、石仏巡りに限らず野山を巡るには絶好の季節。それこそ暑くもなく寒くもなく、空を見上げれば真っ青な空に少しだけ秋雲のただよう季節です。特に20日は、男体山を始めとした日光の山々に初冠雪があり、早朝の澄み切った青空に、頭を白くした勇姿を長めながらのドライブはホントッ、最高でした。
 そんな訳で、去る10月20日・21日は2日間とも日光方面の石仏巡りとあいなりました。初日の20日は、市街地の石造物落ち穂拾いでしたので、下鉢石町の日光市役所へ車を止めてザックを担いで歩くことにしました。何しろ落ち穂拾いですから市街地での成果は余りなかったのですが、暫くぶりに訪ねた所が多く、その意味では面白かったです。特に観音寺さんの境内にある真言宗から寛永4年に、かの天海僧正により強制的に天台宗に改宗された経緯を記した記念碑には今さらながらに納得しました。しかし、うかつにも昼食をザックの中に入れるのを忘れてしまい、お昼12時を知らせるサイレンの音を聞いたのは、駐車場から随分離れてしまった場所でしたので仕方なく昼飯抜きとなってしまいました。
 午後1時半頃に車へ戻って遅い昼食。それから少し車で移動し、今度は七里地区と野口地区の境近くの草地に車を止め、再びザックを担いで石造物の落ち穂拾いです。少し歩いては民家に飛び込んで情報収集。そんな事を繰り返しているうちに、七里の中妻地区で山の中に庚申さんがあるという情報が得られました。喜び勇んで行けば、確かに以外の人では滅多に立ち入らないような山の中に庚申塚があり、そこに寛政12年銘の自然石庚申塔が建っていました。しかし、車から離れるときにカメラ用三脚をついつい荷物になるからと言う理由だけで持ってこなかったために、昼なお暗い森の中では写真撮影が上手く行かず、フラッシュを使用したにもかかわらず、写真は失敗してしまいました。
 その庚申塚近くの道路沿い草むらの中に顔を出している「馬頭尊」碑も発見。こちらは幸いにも撮影できたが、そんなことをしているところへ地元の方が通りかかって話し込み、思わぬ情報が得られました。それは、隣の野口地区の山王下地区にも、山の中に庚申塚があるとのこと。その所在地を詳細に書き留めてから出発。今度は、しっかりとカメラ三脚を忘れずに…。しかしその道は、初めてと言うこともあって長く感じるだけで歩いて行けどもちっとも見つからない。そんな諦めかけた頃に、道の傍らに大きな自然石が幾つも立っている光景が目に入る。急いで行けば、そこには萬延元年塔から昭和55年塔までの4基が並んでいた。
 先ほどの中妻地区と言い、この山王下の庚申塚と言い、これまでどの報告書にも発表されていない庚申塔との出会いに嬉しくなりつつも、やはり石造物調査の最後はこうして「無くて当たり前」として各を丹念に探し回らなくては行けないことを実感した。こうして20日の石仏巡りは、思わぬ収穫を得て喜び勇んで帰宅した。

 翌21日は、午後から小来川地区へ出かける。この地区は1995年に調査して以来の場所を中心にして、まずは宮小来川地区を調べることとした。記憶というものは好い加減なもので(もっともその当時とは新しい道路が開通していて些か異なるが)、最初の黒川神社の東側にあった碑塔群が見つからず慌ててしまうが、それもやがて詳細な所在地の記憶違いと判って一安心。そこにある庚申塔5基ばかりを再調査してから、昔に矢倉山に登ったときに、途中で見た庚申塔に会いに行く。その中に、昭和55年塔があったことを今回初めて確かめて独り苦笑である。その後も宮小来川地区を中心に夕方4時まで見て歩いてから、二日間の充実した石仏巡りに感謝しつつ夕焼けの中を帰路に付く。
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2007年10月13日も日光市の石仏巡りです

2007年10月14日 | Weblog
今週も土曜・日曜とまずまずの天候で、それなりに充実した2日間を楽しく過ごせました。そして13日土曜日は、相変わらず日光の石仏巡りに出かけました。もっとも、その半分くらいは先週までの石仏巡りで撮影できなかった、また逆光で上手く撮れなかった石仏の写真撮影と記録漏れの碑塔再調査でしたが…。今回の石仏巡りでは、ついつい面倒が先に立ってしまって、手拓を予定していた物もその前に立って眺めるだけで全く手をつけませんでした。そして今回から、日光市内の落ち穂拾いに入りました。午前中は順調に進んだのですが(それでも初回の石仏調査の時に、誤って左手小指を切ってしまいましたが)、お昼頃から細尾町へ入ってそのペースも落ちてしまい、地元の人に聞いたら「車で奥まで入れる筈だ」の山道が、その言葉とは裏腹に大荒れに荒れた道となっていました。「まあ、四駆だから大丈夫だろう」と走らせたのですが、それがイケマセンでした。途中にある「山神」までは何とか行けたのですが、その先へ進んだところでストップ。そして道が狭すぎて流石の私の運転技術でもUターン出来ない状態に陥ったのです。途中でお腹は空いてきたし、鹿の悲しげな秋鳴きの声を聞きながら今回ばかりは参りました。仕方なしに、車をUターン出来る所までバックで戻りましたが、雨で崩れた山道ゆえに、バックして進むための轍を選ぶだけでも大汗物でした。それでも途中で景色が良い所があったので、そこで誰もいない山の中でのんびり昼食を取りながら一足早い秋の景色を楽しんで来ました。本当は、この細尾町の愛宕山へ登りたかったのですが、それは次の機会へと譲って里へ降り、何とかその後は細尾町の石仏を半分ほど記録してきました。そして先週出来なかった、町中の稲荷町稲荷神社へ行き、1995年6月以来の本格的な同境内にある碑塔の悉皆調査をしに行きました。当地には、全てで19基の碑塔があり、今年になって再調査したのはその内の5基のみ。残る14基の碑塔調査に入りましたが、過去に誰も碑塔を掃除した人がいないので、ここでも碑塔磨きが最初の仕事となりました。そんな所へ氏子総代の方が社務所に用事があって、その帰りに見えられて、「私達に代わって、石仏を掃除してくれて有難うございます」という、丁寧な挨拶をされてしまう。本心は、既に3時を過ぎているので、今日は掃除だけで時間もないので終わりにしようと思っていたのだが、私が掃除する側から離れず、綺麗になって出てくる交名に興味を持って読み出す有様。これには困って、仕方なしに私も記録台紙を取り出して書き込むことになりました。そんな訳で、結局は全てを調査してしまうことになりました。日光市内は山を背にしているので日が暮れるのは早く、全てが終わった4時半頃には交名などの細かい文字は読めない有様でしたが、突然の助手が現れたと思って観念し、最後まで仕上げてしまいました。もっとも、本当は全碑塔の写真を撮るつもりだったのですが、そんな訳で拝侍二猿型の庚申塔を撮影出来ただけに終わってしまいましたが…。そして、「星様」という総代の方に最後まで見送り下さいました。ホントッ、日光の方々は親切です。そんな次第で、次回も日光へ行こうと思っています。
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2007年10月6日の日光市石仏巡り

2007年10月08日 | Weblog
 10月最初の土曜日、6日も日光市の石仏巡りに行きました。それにしても、6〜7日は本当に気持ちの良い秋晴れでした。日光市内、まだ紅葉とはいきませんでしたがそれでも木々の葉や野草は少し色づいてきまして、今年の日光の暑さの名残はどこにもなく爽やかな中での石仏巡りとなり、ついつい車を途中に置いてザックを担ぎ、ウオーキングを兼ねての石仏巡りとなりました。
 特に今回は大谷川沿いを中心に巡りましたので、途中の大日堂跡ではノンビリしすぎてしまいました。今回も、庚申塔は相変わらずの二猿塔(拝侍二猿型)をご紹介しましょう。最後の場所となった久次良町の久次良神社では、今日が祭日とのことで氏子の皆様が多数集まっている中での調査となり、いつもの自分らしい石仏調査が出来ませんでした。帰宅してから過去の記録と見比べてみましたら、庚申塔1基を調査し忘れていましたし、碑塔磨きもいつものような完璧さがなく、機会を見つけて再度の訪問となりそうです。そして今回も、予定していた半分ほどしか見られず(車を使用しなかったので移動時間のロスが大きかった)、次回もこの分では日光へ行くことになるでしょう。
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