石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年8月29日。石仏巡りに出かけず、暇に飽かして‥

2014年08月29日 | Weblog

先週の週末も石碑調査に出かけず、その分を毎年恒例の畑仕事で大忙しでした。その重労働のお陰で、大根までの種まきが全て終わり、これで今年の畑仕事のメインは終了です。それでも畑には、キュウリにトマトにピーマン、ナス、シシトウ等が毎日収穫できて食べ過ぎの嬉しい悲鳴をあげながら、9月も中ごろになればそれらの後始末と来春のための掘り起しが待っています。
さて、今回は上記に掲載しましたような自分専用の「変体かな」解読用の小事典を作りました。何しろ石造物に見る「変体かな」も、筆で書かれているために書家による癖字に悩まされ、その元字が判らなくて悲鳴を挙げることが多いので、自分なりのその基礎資料作成を強く感じながら、ついつい面倒で一覧としては作れずしまいでした。そこで、今回の暇に飽かして約一週間を費やして纏めました。もちろん、その他にも沢山の文字があるのでそれらはおいおい追加していこうと思っているのですが‥。私のことですからね。それにしても、変体かなの書体が似ていながら全く別の文字ということが多く、かな書道を習わなかった私にはこの手の碑文解読には苦労しています。時には、一文字を読むのに異体漢字の数倍もの時間を要すことがあり、解読できたときは苦笑ものです。それでもこのような努力の賜物で、えらい学者さんが読んだと言う碑文の誤読を見つけると思わず、ヤッターと独り喜んでいます。そんな時は、恩師の「他人の読んだものは信用せず、必ず自分で読み直しなさい」と言われた意味がよく判ります。みなさまも是非、つい読むのが面倒だからと、特に市町村等に掲載されている資料による孫引きは自重しますよう‥。私のような、嫌な奴の目に留まると後で痛い目に遭いますので‥(^O^);。
さて、そんなことはさておいて、明日の土曜日はどこぞへ石碑調査に出かける予定です。

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2014年08月16日は、栃木県氏家町の災害碑を見てきました

2014年08月17日 | Weblog

朝方のどうしようもない土砂降りの中を、一路氏家町を目指して4号線を北上。氏家町に入れば、その雨足は益々酷くなり、仕方なく途中の「さくら市ミュージアム」駐車場でトイレタイムとして一休み。そして少し小降りになったのを幸いと、氏家町中心部の桜野地区・八幡宮へ行く。境内外れにある近世宝篋印塔(過去に既に調査済み)の銘文再確認と、この周辺に天皇駐蹕碑があるらしいというので傘をさしながら探したが、どうも場所違いであることが判っただけだった。そうこうしているうちに雨は止み、本日の目的である昭和二十四年のキテイ台風により鬼怒川が決壊し、それを復旧した紀念碑を探しに戻る。多分、そんな石碑なので「決壊し復旧した場所の鬼怒川土手にあり、かなり目立つ大きな碑だろう」と予想してそれらしい鬼怒川土手沿いに探したが見つからない。ところで今日は旧盆の送り日。多くの地元の方が花を抱えて墓地へ向かう姿があり、早速尋ねてみれば、その場所は「氏家大橋から南側の土手上」と、一発で教えてもらえた。そして土手上に3メートル50センチもの大きさで聳える写真の碑にたどり着く。
碑文は、昭和25年に建立されたものだけに問題なく読める文字である。また、その銘文も大きさの割には文字数が少なく、もちろん手拓する気は毛頭ないので手写することにしたが、瞬く間に終了。これでまた、栃木県の災害碑が1基増えたと喜びつつ、余りある時間を土手に腰掛け、景色を眺めながら大休憩。
ところで、その碑の脇には説明看板が多数あるので暇に飽かせて見てみれば、そこにこの石碑の銘文が掲載されている。「本物の石碑の脇に、その銘文が掲載されているのも面白いものだ」と読んでみれば、いやはや肝心な意味での誤字が幾つかあるのに一人で大笑い。いかにもお役所仕事だが、こんないい加減な仕事でよく恥ずかしいと思わない、その神経太さに呆れつつ。その誤字の一つに「悲憤哀慟(ヒフンアイドウ)」の箇所の「慟」の文字が「働」の文字となっている。最も困ったのは、読めない文字が記されていること。それが次の文字で、

これは、何と読むのだろうかと考え込んでしまう。もちろん、石碑には「復旧(旧の文字は異体字使用)」と正しくある。石碑調査をしていながら、メッポウ漢字に弱い私だから当然ながら‥ウ~ム。
そして帰宅し、「旧」の異体字として探したが見つからず、いずれにしても初見の文字。だれか、その出典を御存知の方は諄諄と御教示ください。
なお、帰宅してから「氏家町史・近現代編」に出ているかと見てみれば、そこに掲載されている銘文もこの看板以上に誤字脱字があってまたまた大笑い。こんな、生意気なことをここへ書くと叱られそうだが‥。まあ、気に障りましたら御容赦ください。そして早速に訂正してください。これもまた、余計なお世話ということになるか‥。「過而不改是謂過矣」と言いますからね!

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2014年08月02日・栃木県喜連川町の金子小七郎先生墓碑銘」の詳細

2014年08月02日 | Weblog

 今回の碑は、7月10日にこのブログへ写真を掲載しましたものを、本日清書が終わりましたのでその詳細を相変わらず別HPの方へ掲載しました。明治十一年の地方の先生の墓碑銘ですから、興味ないのは当然と思いつつも、今回は特に篆額書体が私し好みの遊びが加わっている書体です。揮毫者は、東京・雲鵬亀田英です。この英先生の篆額は、そうじて面白いのが多いです。
 それにしても毎日暑いですね。本当は、今日は喜連川町へ出かける予定いでいたのですが、気温が高くなるので石碑調査は無理だろうと諦めました。自分の体力に合わせての、これからは行動になりそうです。日光の清流に足を突っ込んでのんびりしたいです。

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