2008年の年末、休みが続いているので何とも暇で体を持て余している。そこで、27日に今年最後の石仏巡りを終えたばかりだが、余りの暇さに咋30日にふらりと小山市へ出かける。といっても、目的があり、それは佐野市の高椅氏より徳本上人の名号塔所在地をご教示頂いていたから、それを実見しに行きたくなっただけである。
そしてその名号塔の前に立つと、何とも綺麗に磨かれているので「これは、高椅さんが拓本を取ったからだろう」と直感し、それではと私も手拓したくなる。しかし、朝一番で来てしまったので、花受けの水は凍っているほどの気温であり、霧吹き最中に凍ってしまうのではないかと不安になりながら、それでも根性で朝日が当たるのを幸いと物にする。これで、栃木県の徳本名号塔は9基になった。特に今回のは、場所が場所だけに教えて貰わなければまず見つからないものだけに、一人でに嬉しさがこみ上げてくる。
さあ、今日の目的を終えたからといって、そのまま素直に帰宅する私ではない。1時間以上もガソリンを浪費して来たからには、このまま午後まで小山市に居座ることにし、それからは旧四号線沿い地区を徘徊する。そして3時半ごろまでせっせと石仏調査に精を出して、何とか今回も総数で47基を新たに実見することが出来た。それでも、途中では福良の福城寺さんへ立ち寄って、小山市で最も古い寛文銘の廻國塔を手拓(手拓したのは住職さんに差し上げてしまったが)したりして遊んでの事である。
さてこの一年を、今日の大晦日の暇な時間に調べてみたら、この一年間で実見した碑塔の総数は、ナント何と2,194基を数えることが出来た。この数は、近年にない多さである。その最大の要因が、昨年までで栃木県内の主な庚申塔は調査してしまったので、この2008年は今まで実見していながら面倒で調査記録を付けなかった各地の碑塔を丁寧に記録したからだろうと思う。この調子で4〜5年継続できれば、80〜90年代に好い加減な調査しかしなかった碑塔類全てを再調査することが出来るのではないかと、捕らぬ狸の皮算用をしてしまう。
いずれにしても、今年の石造物巡りは終わりよければ全て良しの諺通りに、満面の表情で締めくくることが出来た一年でした。
それでは、この一年間くだらぬこのブログに訪れてくれました皆様に、良いお年が来ますよう願って、終わりとします。
そしてその名号塔の前に立つと、何とも綺麗に磨かれているので「これは、高椅さんが拓本を取ったからだろう」と直感し、それではと私も手拓したくなる。しかし、朝一番で来てしまったので、花受けの水は凍っているほどの気温であり、霧吹き最中に凍ってしまうのではないかと不安になりながら、それでも根性で朝日が当たるのを幸いと物にする。これで、栃木県の徳本名号塔は9基になった。特に今回のは、場所が場所だけに教えて貰わなければまず見つからないものだけに、一人でに嬉しさがこみ上げてくる。
さあ、今日の目的を終えたからといって、そのまま素直に帰宅する私ではない。1時間以上もガソリンを浪費して来たからには、このまま午後まで小山市に居座ることにし、それからは旧四号線沿い地区を徘徊する。そして3時半ごろまでせっせと石仏調査に精を出して、何とか今回も総数で47基を新たに実見することが出来た。それでも、途中では福良の福城寺さんへ立ち寄って、小山市で最も古い寛文銘の廻國塔を手拓(手拓したのは住職さんに差し上げてしまったが)したりして遊んでの事である。
さてこの一年を、今日の大晦日の暇な時間に調べてみたら、この一年間で実見した碑塔の総数は、ナント何と2,194基を数えることが出来た。この数は、近年にない多さである。その最大の要因が、昨年までで栃木県内の主な庚申塔は調査してしまったので、この2008年は今まで実見していながら面倒で調査記録を付けなかった各地の碑塔を丁寧に記録したからだろうと思う。この調子で4〜5年継続できれば、80〜90年代に好い加減な調査しかしなかった碑塔類全てを再調査することが出来るのではないかと、捕らぬ狸の皮算用をしてしまう。
いずれにしても、今年の石造物巡りは終わりよければ全て良しの諺通りに、満面の表情で締めくくることが出来た一年でした。
それでは、この一年間くだらぬこのブログに訪れてくれました皆様に、良いお年が来ますよう願って、終わりとします。