石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

4月21日の栃木県藤岡町石仏巡り

2007年04月22日 | Weblog
4月21日は、東京の「多摩石仏の会」の皆様を日光東武線藤岡駅に出迎えての石仏巡りです。あれほど毎日悪かった天候も、この日を期していたかのような絶好の石仏巡り日和、挨拶もそこそこに早速駅前の慈福寺、宝光寺さんから始まり、猿田彦堂の寛文十年庚申塔の銘文解読と順調に進み、渡良瀬遊水地の広場で昼食となりました。
昼食後も順調に石仏巡りを続けられたのも、いつものメンバーなので既に気心もしれた仲間となっていたからです。それと、毎度の事ながら佐野市の高橋氏には、またしても運転兼ガイド役をお願いしたために楽しい一日が過ごせました。夕方5時頃に今回の石仏巡りも無事に終了し、藤岡駅でまたの再会を約束して別れました。

そんな訳で、今回もHPの方はお休みです。来週から、大型連休の開始です。まだ、何の予定も立てていませんが、一日ぐらいは足利市を訪ねようと思っています。また、茂木町の庚申塔探しにも出かけたいと思っています。そしてそろそろ日光市の庚申塔精査を開始しようとも思っています。ぜひ皆様も有効な石仏巡りを致しましょう!
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4月14日の石仏巡り記

2007年04月15日 | Weblog
昨日4月14日は、栃木県藤岡町へ行って来ました。しかし、目新しい場所へは一箇所も行かずに、全て再訪です。従いまして、今回はHPの方へ掲載する画像は何もありませんのでご了承下さい。※少しはあるのですが、まあたまには未掲載の週があっても良いかと思います…。
 それもこれも、来週21日の土曜日は、多摩石仏の会の石川氏を始め犬飼氏や中山氏などの皆様が当地へ石仏巡りに来ますので、その下準備も兼ねて行ったからです。何か、新しい碑塔が無いかと探しましたら、延寶六年銘の「鐘番」塔が出てきました。これで、少なくも中山氏だけはせっかく出陣下さいます”オミヤゲ”が出来たと一人喜んでいます。
 しかし、未だにどこを案内するかで悩んでいます。日帰りなので、夕方5時近くまで巡ったにしても高が知れています。そんな訳で、まだ当日の資料も仕上がっていません。それでも、資料的には百基位の案内碑塔を用意しようと思っています。
 それだけに、今度の土曜日だけは必ず「晴」て頂きたいものと、今夜から空にお願いをする事に致しましょう。
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寒い春ながら、確実に進んでます!

2007年04月11日 | Weblog
朝、起きて庭に出ると、クロッカスの葉が綺麗に刈り取られたように下から切られている。いったい誰の仕業ダ、と騒いでいたが、その犯人がやがて分かりました。
それは何と、いつの間にか庭に住み込んだ「野うさぎ」の仕業だったのです。10時の休みに、何気なく庭を見ていると、動物が狭い我が家の庭を駆け回っている。なんだっ、なんだっと、騒いで見てみると、それが何と野ウサギだったのです。道理で、雨戸の下の土が毎回綺麗に窪んでいると思ったら、そこで毎夜過ごしていたようだ。急いでカメラを持ち出し、写真に撮ろうとしたが、その駆けめぐる速さはまさに「脱兎のごとく」であって、完全に馬鹿にされてしまった。

また、毎年なら既に我が家を離れていく、シジュウカラ(今月始めに、4匹の子供を追いやって、今は夫婦だけが来ている)やらアオジはまだまだ山には寒さが来ると感じてか、去らずに一日中遊んでいる。それでも流石に、4月始めにジョウビタキは北へ帰り、ヤマガラも去っていった。コジュケイとヒヨドリはいつものように住み込んでいるが…。そして山で泣いていたウグイスが、時々遊びに来るようになったのは、少しばかり今までの住人が少なくなったからだろう。また、鳴き声がうるさいカケスが来るようになったのも、半分は嬉しくも迷惑なことである。今日は、昨日交通事故にあって我が家の角で死んでしまったノラネコ君の死体を市の人が引き取りに来る。
何ともはや、賑やかに春であり、少しばかり寂しい思いをする春でもある。
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4月7日は足利市へ石仏巡り

2007年04月08日 | Weblog
4月7日は、佐野市在住の高橋氏と一緒に、栃木県足利市へ石仏巡りに行きました。朝9時に、猿田町の徳蔵寺さんで待ち合わせだったのですが、少しばかり早く行き過ぎたので、近くの上之宮神社の碑塔調査をしていて、気がついたら9時。慌てて徳蔵寺さんへ行きましたら既に(当然か!)高橋氏は来ていて、「千庚申堂」を住職さんに開けてもらっているところでした。何しろ、その千庚申塔を見たのはまだお堂の中に入っていない頃で、写真が出てこないために、今日はその写真撮影が目的だった。10時頃から、住職さんはお葬式の法要があるとのことだったが、迎えに来た車を待たせて私達に付き合ってくれました。本当にありがとうございました。
その後は、旧市内の神社仏閣回りを高橋様の先導で行い、沢山の興味ある石造物を実見する事が出来ました。その余りにも興味ある石造物の多さに、途中で頭がクラクラするほどでした。特に、西宮町の西宮神社でみた庚申塔銘文や「永代相撲寄進」碑、続いて長林寺の門前にある六体六地蔵の台座には血盆經銘文があり、こんな所にあったことに驚きました。銘文を高橋氏が手写ししてくれている間に、私は近くの「萬人講供養塔」を見に行きましたが、そこに刻まれている余りにも多い石文(願文)に、方法の手で逃げてきました。また、墓地内で単制石幢六地蔵を案内してもらったりと、とにかく呆れるほどの興味ある石碑に茫然自失です。
その後で訪れた高徳寺さん、つい先頃のお彼岸の時に火事にあって全てが焼け落ちている惨状をみて愕然としました。それでも、境内と墓地で庚申塔を調査。
そして本日最後の訪問地として、法玄寺さんを訪問。ここで、足利市では珍しい「徳本六字名号塔」と出会いました。その他、境内には興味ある石仏石碑が沢山ありました。また、墓地内の窪世升(升とあるのが良い!)を案内してもらったり、とにかく余りにも興味ある石造物が多すぎて、全てを調査出来ぬ内に時間ばかりが過ぎてしまい、途中で諦めました。再訪しなければと、心に強く誓って、夕刻が迫って混雑し始めた市街地を抜け、それぞれ帰路につきました。
本当に高橋様、ありがとうございました。今後とも宜しくご案内下さい。
HPの方へは、おいおい掲載していきますので、調査記録紙の清書がすむまで暫くお待ち下さい。
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3月31日の石仏巡り記

2007年04月03日 | Weblog
三月最終日が土曜日とは、何となく切れが良さそうなので天候が余り良くなかったのですが、栃木県藤岡町へ出かけました。目的は、歓喜院跡の相変わらず碑塔調査です。お陰で念願が叶って全調査が終了しました。しかし、それらは余りにも特殊な石造物故にHP等へは掲載しないことにしています。全国的に見ても非常に興味ある石造物なのですが、いかんせん石造物マニア的存在なので、一般的には難しすぎます。私も、全部を解明するのに現地へ5~6回は通いましたし、図書館通いで難解な大正藏經と向かい合って7ヶ月めにしてようやく分かった位ですから。特に、梵字真言の解読には閉口しました。
その調査を終えたら、桜の花の下でのんびりするつもりだったのですが、生憎と桜は三分咲き。加えて曇り空で戸外で寝ころぶには寒すぎるので、自然と石造物調査を続行してしまいました。しかし、曇り空ゆえに北向きの石造物や覆屋の中に納まっている石造物を写真に撮るには最高の天候。おかげであちこちと動き回って、これまでにうまく撮れていない石造物の写真撮影にも熱中することが出来ました。そんなこんなで、藤岡町を離れたのは午後も4時過ぎになってしまいました。
帰宅すれば、宇都宮は午前中から雨だったとのこと。ホントッ、嬉しい一日でした。
そんなわけで、今回はHPの方へ掲載する画像は少ないですが、それでも年号の一部に「室宿」という二十八宿の一つの名があるのに出会いました。勿論、栃木県で初めて出会った文字です。
さあ、来週こそお花見を兼ねた石仏巡り!と、思っています。当然、足利へ入りたいと思っています。
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