今日26日土曜日は、春日部市在住の中山氏と一緒に東武日光線新栃木駅で8時半に落ち合い、江戸前期造立の庚申塔調査に行きました。
まず最初に、あきる野市在住の多田氏が先月の藤岡町石仏巡りの折りに教えてくれた壬生町福和田の惣の宮神社に新たに加わった寛文塔を見に行きました。以前は散らかっていた碑塔類が整然と並べられていて、その中に新たに加わった寛文塔です。上部欠損ながら、寛文塔とは嬉しい限りで、早速二人で調査しました。また、以前にはなかった碑塔類も加わっていて、嬉しい限りでした。
その後、日光へと場所を移して宝殿の延宝八年塔を案内してから、所野の清滝神社の寛文塔へと進みました。今日の目的は以上で終わり。これで、中山リストにある栃木県の江戸前期庚申塔は全て実見したことになりました。そして今日は時間があるからと言うことで、拓本を取ることにする。というのも、その為に昨年秋に来たときに綺麗に掃除しておいたからである。
既に時計は十二時を過ぎていたが、昼食を取るに相応しい東照宮裏の白糸の瀧へ行く。ここで、たっぷりの時間を取って栃木県江戸前期庚申塔全て実見の完了を祝う。帰路には、途中で幾つかの庚申塔を訪ねたりして、新鹿沼駅へと向かうが、電車時刻表を見てみると一時間近く余裕があるので、小来川(オコロガワ)から鹿沼市板荷(イタガ)へと遠回りして日吉神社に行く。その日吉神社境内にある、燈篭型日光型庚申塔を案内する。正徳年間ながら「奉庚申待赤面金剛」と主銘文があるので案内したが、私の予想以上に喜んでくれた。そして話題になったのは、栃木の庚申塔を見て歩いている多田氏のこと。多田氏だから、当然見ている筈だという私に対して、中山氏は私が初めて見る庚申塔なのだから、多田さんもまだ見ていないだろうと言う。そこで、念のために私も急いで写真を撮ったので、後日にHPの方へ掲載する事にした。
午後4時半過ぎの電車に乗るべく、20分ほど余裕を持って新鹿沼駅に到着。これまでのように、中山氏と一緒に石仏巡りを行うには、新しい江戸前期までの庚申塔を探すこと、とお互いに約束して別かれ帰路に就く。
まず最初に、あきる野市在住の多田氏が先月の藤岡町石仏巡りの折りに教えてくれた壬生町福和田の惣の宮神社に新たに加わった寛文塔を見に行きました。以前は散らかっていた碑塔類が整然と並べられていて、その中に新たに加わった寛文塔です。上部欠損ながら、寛文塔とは嬉しい限りで、早速二人で調査しました。また、以前にはなかった碑塔類も加わっていて、嬉しい限りでした。
その後、日光へと場所を移して宝殿の延宝八年塔を案内してから、所野の清滝神社の寛文塔へと進みました。今日の目的は以上で終わり。これで、中山リストにある栃木県の江戸前期庚申塔は全て実見したことになりました。そして今日は時間があるからと言うことで、拓本を取ることにする。というのも、その為に昨年秋に来たときに綺麗に掃除しておいたからである。
既に時計は十二時を過ぎていたが、昼食を取るに相応しい東照宮裏の白糸の瀧へ行く。ここで、たっぷりの時間を取って栃木県江戸前期庚申塔全て実見の完了を祝う。帰路には、途中で幾つかの庚申塔を訪ねたりして、新鹿沼駅へと向かうが、電車時刻表を見てみると一時間近く余裕があるので、小来川(オコロガワ)から鹿沼市板荷(イタガ)へと遠回りして日吉神社に行く。その日吉神社境内にある、燈篭型日光型庚申塔を案内する。正徳年間ながら「奉庚申待赤面金剛」と主銘文があるので案内したが、私の予想以上に喜んでくれた。そして話題になったのは、栃木の庚申塔を見て歩いている多田氏のこと。多田氏だから、当然見ている筈だという私に対して、中山氏は私が初めて見る庚申塔なのだから、多田さんもまだ見ていないだろうと言う。そこで、念のために私も急いで写真を撮ったので、後日にHPの方へ掲載する事にした。
午後4時半過ぎの電車に乗るべく、20分ほど余裕を持って新鹿沼駅に到着。これまでのように、中山氏と一緒に石仏巡りを行うには、新しい江戸前期までの庚申塔を探すこと、とお互いに約束して別かれ帰路に就く。