石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

栃木県内の江戸前期庚申塔の纏め冊子を製作!

2011年07月30日 | Weblog
 栃木県内の江戸前期(貞享年間まで)の庚申塔を纏めた冊子が、本日出来上がりました。掲載したのはその表紙画像です。調査を一通り終えたまま放置していたものを、この夏休みの宿題として作業を始めたら以外にも簡単に出来てしまいました。素材など全て揃えてあったからだとは言え、少しばかり拍子抜けです。その冊子の総ページ数は、279ページとなりました。全リストと共に、画像写真も全て掲載しました。また、各市町毎にもリストは別に掲載しました。そお庚申塔の総数は295基です。これが全国的に見た場合は多いのか少ないのか私には分かりませんが、まあ栃木県という位置からして妥当な数だろうと思っています。なお、作成したのは自分用に一冊だけという有様です。時代的に、もうこれからの人達は庚申塔どころか石仏にも興味を示す人はいないので、自分用の1冊だけで充分な気がしています。それと何しろ製本まで全工程を一人で作成していますので、一冊作るだけでも大変なのです。
 さあ、次は何を作ろうかと思案中です。栃木県内の石幢でも纏めようかと、チラッと頭に浮かびました。これも資料素材は全て揃っているからです。でも、少し面倒なのでどうしよう、と言ったところです。
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一ヶ月ぶりの、碑塔調査です。

2011年07月24日 | Weblog


いや~あ、実に一ヶ月ぶりに宇都宮市内の碑(いしぶみ)調査です。といっても、自宅近くの宇都宮市鶴田町にある「征清從軍紀念之碑」という、面白くもないものですが。碑文も、出征した地元の五人が無事に凱旋したというだけのものです。勿論この碑は、既に確認済みだったのですが、碑陰を含めて本気になって調査していなかったので、これも一応は「宇都宮の碑文石」に入るのだろうと、改めて調査してきた次第です。石仏巡りに出掛けなかった分、続編としての「宇都宮市の輯集碑」をゆくゆくは調査してこようと思っています。これが、その第一号と言うわけです。碑文等は読んでも面白くないのですが、どうしてもという方のために別HPの方の該当項目の中に掲載してあります。
こうして出掛けると、またぞろ出掛けたくなりますが、少しずつ良くなっている感じの腰を、今度こそは本気になって治そうと思っているので、この先も暑さと平行してお休みの予定です。まあ、この年まで毎週毎週石仏巡りを始めとして、多趣味ぶりを発揮してきたので、神様がこの辺で少し年相応の身体になるよう休息を与えてくれたものと思っています。しかし、今度はデスクワークが忙しくなって、本当なら椅子に腰掛けているのも辛い痛みなのですが、ついつい夢中になってしまいます。ホントッ、困った者です。
いずれにしましても、夏はこれからが本番!。熱中症になりませんようご自愛下さい。ついでに小生、今年はまだ一度もクーラーを使用していません!。やせ我慢かな?(^o^);
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ただ今は、栃木県内江戸前期迄の庚申塔」を纏め中!

2011年07月22日 | Weblog
 石仏巡りに出かけられない分、デスクワークに夢中になっています。ただ今は、2008年に数冊だけ作成した「栃木県内江戸前期迄の庚申塔」の、最終校正版を作成中です。その栃木県内江戸前期(貞享年間まで)迄の庚申塔総数は、推定を含めて295基です。全データ一覧は勿論のこと、各市町毎にもデータを掲載し、併せて全画像をも掲載する事にしました。特にデータは、出来うる限り正確に全内容を掲載する事にしました。その為に、B5判で269頁というページ数になってしまいましたが致し方ありません。今回も、その作成冊数は全てが手作りのために最大で五冊迄にしようと思っています。この作業が、今年の夏の最大目標と致しましょう。

 それと、夜は相変わらず宇都宮市内の碑(いしぶみ)の勉強中です。ついでだから、続編を纏めたくその資料探索やら個人顕彰に関わる記事を集めていますが、思うように進んでいません。特に次回の続編は個人の墓石からも輯集したいと思っているので、なかなかにその情報を得ることが出来ません。特に、一家墓地に多そうなので半分は諦め気分ですが、そんな天の邪鬼的な調査が大好きな私ですから、こちらは期限を決めずにのんびりやりましょう。

 それにしても思うことは、今回調査した碑(いしぶみ)の中には、訓読したものや書き下し文などをしたものも数基見られるが、その好い加減なことこの上ありません。恐らくは、碑文を自分では実際に読みもせずに、他人が書き写したものから転用して書いたので全く文章的におかしくても平気で書いています。その中の一つに、二荒山神社で配布している蒲生君平碑の二枚の解読文。特に、岩崎良能氏による書き下し文にはその大胆な間違いに一瞬とまどい、もしかして二荒山神社で作成した時の資料の転記間違いかと、図書館へ行ってその出典の元となる「偉人蒲生君平の生涯」を借りてきて見たら、その本の中が間違っていたのだから、二荒山神社の責任ではありませんでした(笑)。
また、栃木県護国神社のホームページの中にある「戸田忠恕公」の碑文紹介に至っては、もう笑うしかありません。そうした行為って、撰文者に対して非常に失礼な話だとは思わないのでしょうかね。そもそも現代の人達が、幕末から明治にかけて活躍した人々の文章に手を入れるなど、その能力の歴然とした差から言っても烏滸がましい行為だと思わないのですかね。いい、度胸をしていると言うべきか、学問の恐れを知らぬ者の行いにただ感歎するばかりです。嗚呼、また自分のことを棚晒しにして他人様のことを非難してしまった。関係者に、半分は乞う、お許しと言ったところです。
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今回も、石仏巡りはお休みです。

2011年07月11日 | Weblog

 今年は早くも梅雨明け。我が家の周辺は雑木林となっているので、この季節になると明け方から親に連れられた子供達がカブトムシやクワガタ捕りに集まってきて、賑やかなことこの上なしです。当然ながら、誰でも捕れるわけではなく中には半べそをかきだす子供までいる始末で、こうなると私の出番です。当然ながら、雑木林の中は隅から隅まで熟知しているので、近くの子供でも知らない虫達のいる穴場を知っているので、カブトムシのいそうなクヌギや楢の木を案内したり、まだ羽化していない幼虫を土の中から掘り出してあげたりと、大忙しになります。それと、この雑木林にはオオムラサキがいるので、その姿を親子に見せてあげたり、説明してあげたりと、石仏巡りとはまた違った楽しみをしています。
もちろん、石仏巡りに出かけない分、部屋で”お勉強!”に忙しくしていますが、なかなな成果は生まれません。それでも、腰が良くなったら石造物調査に出かけるための資料造りに夢中になっています。「宇都宮市の碑(いしぶみ)」調査の続編を纏めたく、そのための準備です。特に、戸田香園の揮毫した碑(いしぶみ)を纏めたく、その碑のありそうな痕跡探しに夢中になっています。その他、幕末から明治にかけて宇都宮を中心として活躍した儒者や幕臣等が撰文した碑(いしぶみ)も気になり、それらの碑塔調査も念願に置いています。そんなこんなで、石仏巡りに出かけられなくても、それはそれなりで結構充実した一日を過ごしています。それにしても、やはり夏は”暑い暑い”と嘆きながらも外に出たいのが本音です。
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石仏巡りは、当分お休みです。

2011年07月05日 | Weblog
 今回で、2週間続けて石仏巡りを休んでしまいました。それは第一に、長年の腰痛を放置したまま石仏巡りをしていたので、益々悪化させてしまったことと、宇都宮市内の石仏調査が大凡80%の確率で終了したので、この辺で一度大休止をしたいからです。それでも、宇都宮市の石造物調査が一通り終えたので、これで栃木県内の大凡の石造物(実調査2万基による)外観が見えてきました。そのため、これまでは宇都宮市の石造物調査が終えた段階で纏めたいと思っていたたくさんの石造物資料が溜まっていたから、この辺で少しそれらの纏めをしようと考えています。
いずれにしても、今は腰痛対策が第一です。
それにしても、いざ原稿資料を集めてみると、意外と写真が出てこないのに驚きです。特に20年以上も前の写真となると、たった1枚の写真を探すだけでもう大変。そして近年の物にしても、逆光写真で使えずに頭を抱えることしばしばです。それを例えば、栃木県内の男体山山岳碑として纏めるだけでも優に百枚以上の写真が必要。そんな訳で、これもまた石仏巡り並みの精力を使う羽目になりそうです。いずれにせよ、腰が痛くては思うように進みません。困ったものです。と言うわけで、次回以降も栃木県内の石仏巡りは多分出かけないでしょう。
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