河島易親(カネチカ)(號は島君龍)は、文政2年に日光で生まれて明治14年に没した人で、江戸の昌平黌で学び、日光学問所の教授となった。そして維新後は宇都宮へ出て梅園春男や戸田香園と親交を結び、最後は栃木県上三川町の白鷺神社祀官となり子弟に皇漢学を教えて一生を終えた人である。私は以前から、彼の石碑等に見る筆跡やら撰したした銘文の奥の深さから敬愛している人物である。旧日光市では唯一の日光の江戸期における個人の壽碑の存在を知りながら今日まで調査できずにいたので、今回はそれを目的として旧日光市では唯一の石碑を訪ねることにした。その場所は、旧日光市としては交通の不便な南西地区にある小来川地区である。そして早速に、今では地元でさえその大橋朝盈という農業をしながら子弟たちに学問を教えた人物の存在さえ知らぬありさまなので当然なのだろうが、高さ117㎝×巾53.7㎝×奥35.5㎝の碑面は長年の放置で酷い汚れようだったのに対面する。幸いに、傍らに小川が流れているのでバケツで何回も水を運んでは丁寧に水洗いし、何とか拓本を採れる状態にしたが、その作業だけですっかり疲れてしまって苦笑する。
碑表には「大橋盈翁之壽碑」と大書され、銘文は碑陰にある。その碑陰に刻まれた銘文が、下に掲載したものである。此のところ、2か月ばかりは面白くもない碑銘文ばかりだったので、いざ拓本を採りだしてみると、心がワクワクしてきて今までの鬱憤を払拭するに十分な嬉しさで、嬉々として一文字づつ丁寧に手拓作業を進めることが出来た。そしてこうして、帰宅してからその拓本をパソコンに取り込んでみると、「こりゃー、難しい。流石に君龍先生の撰文だわい」と、早くも根をあげたくなるが、その前にその銘文を間違いなく原稿用紙に清書するだけでも大変だと、またまた苦笑いする。今夜から、その銘文転記に入るが、出来上がるのはしばらくかかるだろうし、もしかしたら、再訪しての文字確認も必要になるだろうと恐れている。いずれにしても、痛みの酷い石碑拓本画像だがご笑覧下さい。
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多分、高久様所蔵の書画は、県内ではまだ未公開のものと思われますので、機会がありありましたら写真画像だけでもインターネットで見たいものです。いずれにいたしましても、県内ではほとんど知られていない儒者としての島君龍。個人的文化財といたしまして後世に残すべく大切にしていただけますようご期待しております。