石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

12月30日は、今年最後の石仏巡りに足利市へ

2009年12月31日 | Weblog

 今年最後の石仏巡りを、昨30日にしました。場所は、栃木県足利市名草中町の須花薬師堂の庚申塔群です。今回も同行者は、佐野市在住の山口氏で今月3度目の調査です。ここの庚申塔群も、いつかは全てを調査しなければならないと考えていた場所だったので、ようやく重い腰を上げたことになります。
 午前9時から調査開始。本日は今年最後の石仏巡りと言うことで、いつものようにムキになっての調査方法をではなく、気楽に出来るところまでの調査とする。もっとも、どんなに焦っても一日で終わるような数の庚申塔の数ではないので、最低で50基も出来れば上出来とする。それにしても今日は、風もなく日も射していない絶好の調査日。特に写真撮影には最適で、いつもなら太陽光線を気にしながらの撮影となる場所なのに今日ばかりはルンルン気分で順調に調査は進む。お昼になったことを知らせるサイレンの音が鳴り響く頃までには41基を終了することが出来た。
 お昼はのんびり、薬師堂の前に座って今回も時間を多く取って雑談を交えて取る。そして今日は、暮れの30日と言うこともあり午後2時半までで調査を終了する事にした再開。そして調査は順調に進み、区切りの良い場所での調査が終えた時点で、その数は77基となった。山口氏に時間を尋ねれば、約束の2時半を過ぎているという。急いで調査道具を撤収し、またしても薬師堂の前に腰を下ろしてのんびりしてから帰宅することにした。試しに、残りの未調査庚申塔を数えてみたら60余基。これならあと二回もここへ通えば、気に入った庚申塔の拓本取りも含めて余裕で終えることが出来そうである。それもこれも、今回またしても山口氏に協力していただけた賜と感謝する。
 今度の正月休みは、本日の調査項目を纏める作業で楽しい時間が過ごせそうである。そうそう、掲載した写真は、そんな当地の庚申塔風景と山口氏の、今回お願いした庚申塔の配置図作成に熱中している姿である。
 それでは皆様、この一年間当ブログにお立ち寄りくださいましてありがとうございました。どうぞ、すてきな新年をお迎えください。私の、新春石仏巡りは、多分4日の日でしょう。もっとも、寒気りゃコタツから動かないでしょうが…

2009年12月26日も足利市へ行きました

2009年12月27日 | Weblog

 昨12月26日も栃木県足利市へ行きました。足利市で発行した「足利市の廃寺跡」という冊子の中に、二カ所の調査漏れ場所があったので、その調査が目的でした。最初に行ったのは、松田地区久保田の不動院跡で、地元の方にご挨拶かたがた場所を尋ねて行きました。思った以上に面白い石像物があり、またその場所の雰囲気の良さに魅了されて、調査終了後もしばらくはその場所でのんびりしてしまいました。ここへ掲載した写真がその場所です。
 そこを終えてから、今度は粟谷町の坂の上地区にある普門寺跡へ行きました。民家と民家の狭い所から奥に入る場所にあり、この辺を何度か通ったのですがその存在に気づきませんでした。ここにもたくさんの碑塔があり、ウシシッと一人で小躍りしながらのんびり調査です。そのため、この二箇所だけで午前中は終わってしまいました。これで、佐野市在住の高橋氏から頂戴した「足利の廃寺跡」誌にのる所は完了となりました。お昼を、暖かい陽気の中で食べて、またしてものんびりですが、それは他に行くところがなくなったからです。さりとて、このまま帰宅するには片道一時間半をかけてやってきたのがもったいないと思い返し、庚申塔群の中で未記録の碑塔を調査することにしました。何しろ、この周辺にもたくさんの庚申塔群が有りながら、主要な庚申塔しか記録を取っていなかったものですから。そして粟谷町の足利霊園近くの庚申塔群を調査し、さらに時間が余ってしまったので、板倉町まで戻って五宝院跡の入口にある庚申塔も調査しました。ここで12基の碑塔を調査。その中には「閼伽井」という栃木県では珍しい文字塔を発見し、またしても一人でニンマリです。ここで午後二時半を過ぎたのを潮時と、今月の石仏月報用表紙画像を撮影のために松田町まで戻り、奥の碑塔が並ぶ写真を撮って帰宅しました。
 今年の石仏巡りも、これで最後を迎える頃となりました。問題は、最後の最後の石仏巡りとして予定している12月30日の天候が心配です。これも、佐野市在住の山口さんから同行誘いが入っていますので、毎年恒例の石仏巡りの締めとして行きたいものと考えています。行き先は、たぶん29日まで考えることになるでしょう。出来れば、風の来ない山の中の庚申塔調査が良いのだが…と、思案中です。

12月19日も、先週に引き続いて…

2009年12月22日 | Weblog
 先週19日も、その前の週に入りました足利市松田町の観音寺跡の庚申塔調査に行きました。今回は先週と違って予定よりも早く着いたので、早速山の中に入って撮忘れの庚申塔を写真に撮り、見落とし庚申塔がどこかにないかと探しているところへ、今回も佐野市在住の山口さんがひょっこり現れて、それか二人での庚申塔再確認となる。特に今回も、山口氏の庚申塔探しの執念は見事なもので、土中に埋もれていた庚申塔を4基も新たに探し出してくれた。そのため、当地における庚申塔の総数は77基という数にのぼった。本当なら、それら庚申塔にある未読氏名を全て再確認したかったが、こればかりは時間がかかりすぎるので、気になる数基を手拓しただけで、12時を以ってこの地の碑塔調査を終了とする。
 午後は、同じ足利市の小俣地区へ移動し、これまで何としても所在のわからなかった廃寺跡を山口氏のナビ頼りで行く。少なからず苦労したが、それでも無事に今回は到達でき、この地の碑塔も全て調査することが出来た。そして今回は、時間が少しばかり早いがここまでとし、夕陽を背に受けながら帰宅する。
 本当に、今回ばかりは山口様にお世話になりました。厚く御礼を申し上げます。

12月12日も、先週に引き続いて足利市へ!

2009年12月13日 | Weblog

 12月12日も先週に引き続いて、栃木県足利市へ石仏調査に行きました。予定では、宇都宮を6時半には出発するつもりだったのだが、出発間際に雑用が発生して実際に出発したのは7時半を過ぎてしまっていた。そのため、部屋の中に用意していた昼食を忘れ(家を出てから15分過ぎ位に家内からの電話連絡でしったのだが)、また途中ではガソリンが足りなくなって給油したりと、それでなくても遅い出発だったのにコンビニへ立ち寄っての昼食到達等と、予想外の時間ばかりを取られてしまいました。それでも、昼食がないことに気づいたので良かった!
 予定では、足利市松田地区の山の中にある観音寺拝辞跡の庚申塔調査なので、それでなくても1日では終わらないと思っていた場所ゆえ、完全に出遅れである。そして293号線を走って葛生町へ入った頃に、携帯電話が鳴り響く。国道を走行中なので出られず、しばらく走ってから車を止められる路肩を見つけて携帯電話を見てみると、なんとそれは佐野市在住の狛犬調査班の山口氏からであった。そして彼が言うに、8時過ぎにはすでに足利市の松田地区へ入っているという。さらに、今日はこの先予定が空いているので、もし宜しかったら石仏調査のお手伝いをするとの申し出である。何ともはや、突然の電話での私にとっては願ってもないこと。今日の出遅れ石仏調査も、これで一気に解決しそうだし、何よりも二日はかかると思っていた調査も二人で行えば一日で終了出来そうである。早速に、ありがたく申し出を受け、待合い場所を馬打峠を越えて松田町へ入った中手地区にするが、そこまで行くにはあと1時間弱は待ってもらうことになる。
 それからは少なからずスピードを上げ、出来る限りの近道を通って月谷町から馬打峠を越えて山口氏と落ち合えたのは、すでに9時となっていた。早速に、本日の調査値である観音寺跡へ向かうが、そこには駐車場がないので近くの製糸工場へ行って車を置かして頂く。そして調査道具一式を抱えて山の中へ入り、早速に調査開始。特に今回のこの場所の庚申塔は、これまでに誰も調査したことのないものだけに、1基づつ丁寧に記録を取る。もちろん、その調査のための庚申塔掘り起こしや水洗いは山口氏担当。すぐに泥だらけになってしまうが、いやな顔一つもせずに黙々と私の記録記帳に先行して一番の汚れ役を引き受けてくれる。そんな作業を延々と続けて、気づけば12時を過ぎていた。ここまでの、昼食時間まで続けて調べられた庚申塔は53基。しかし、まだまだあるので、今日一日で終わらなくても仕方なしといささか疲れた腰に休みを与えるため、大休息時間を取る。そんな、長い休み時間を取ったので、結局は一応の調査が終えたのが既に西の山影に陽が沈み出す4時を過ぎていた。だた、山口氏の思わぬ協力で、庚申塔だけでも73基を調べ上げることが出来た。
 地元の人さえ誰一人来ぬ山の中で、一日中庚申塔調査をしたのは本当にしばらくぶりである。しかも、イノシシの住む森の中でのことなのだから、なおさら山口氏の協力には感謝するのみであった。本当に、山口さんありがとうございました。
 そして帰宅してから撮影した庚申塔を台帳と照らし合わせると数基が撮影抜け、また昼なお暗い森の中なので、カメラブレが数基出てきてしまった。いつか、機会を見つけてまた再訪しなければならない。まあ、それが未知の石仏調査第一回目なのだから、当然と言えば当然なのだが…。
 そうそう、掲載しました画像は、同地の最初の1基目の庚申塔です。そしてこれが最も状態の良い庚申塔でした。

公開「栃木県の碑塔データ」を新しくしました

2009年12月09日 | Weblog
 先週金曜日にパソコンが壊れたのを機会に、別HPの方へ掲載しています「栃木県の碑塔公開データ」の内容を一新しました。特に、公開している市町村別では、「庚申塔」「十九夜塔」「家畜塔」とそれらを除いた「その他の碑塔」の四項目に統一致しました。今までよりも、幾分は見やすくまた対比しやすくなったのではないかと自画自賛です。本当は、まだまだ公開したい碑塔もあるのですがその環境には、それを閲覧する人々のモラルが至っていませんので、未掲載です。
なお、それらは毎回同じ事を述べますが印刷は出来ません。また、それら碑塔の所在地に対するお問い合わせも一切受け付けませんことご了承ください。
それにしても、こうして自分なりの調査データを公開するには勇気が要ります。一つの町でさえ満足に調査を終了できない悔しさがあり、その点では公開資料はその地区の約85パーセントの調査内容と思ってご覧ください。
 今月から、足利市へ入ろうと思いますので、特に足利市の碑塔はこれから益々増えることとなります。それらは適時に更新しようと思っています。

2009年12月05日は、しばらくぶりに足利市へ行きました

2009年12月06日 | Weblog

 しばらくぶりに入りました足利市。やはり足利市は良いですね。十六夜や二十二日念仏塔に容易く出会えるのですから。また、庚申塔に至ってはどこにでもあり、しかも大きい塔なので、見ごたえも調べ甲斐もあります。
 しかし、天気予報では午後から雨が降るとの事で、気分的には今回は4箇所みの調査箇所としましたがあせりの気持ちがあり、昼食はそれら全てが終わってからにしました。そのため、雨が降り出した午後2時半には全て調査することが出来ました。車の中での昼食となりましたが、しばらくぶりに訪ねた足利の碑塔調査に大満足で、後は帰宅するだけだとのんびりしました。それにしても、宇都宮からだと足利市は遠いです。その分、いつもより朝早く出かけなければならず、最初の調査地へついたときは8時半になってしまいました。夕暮れが早いので、次回から足利へ行くときは遅くとも朝8時には調査開始としたいものです。
 帰宅してから、カメラを調べたら、最も撮影したかった碑塔1基が未撮影でした。銘文がたくさんあったので手拓までしたのに、肝心の写真撮影どころか、計測さえも忘れてしまうチョンボにガッカリです。まあ、「もう一度来い」という事かと思っていますが…。
 それにしても、少し山地へ入れば、猪の被害は甚大で、山の中にある廃寺の碑塔類に至っては、その多くがひっくり返されて見事なまでに倒れていました。一人で抱き起こすには無理があり、「あ~あ」とため息をついて眺めただけです。そうそう、次回は、また足利へ行こうか、それとも違う場所にしようか只今思案中です。