昨年同様、今年も夏休み中はどこへも出かけずに部屋でおとなしくしていた。それでも、上記に掲載した内容本を何とか纏めて製本することが出来た。この初版は、2011年に作成したのだが、その後に8基の新たな石幢が確認されたので、その改訂版として作成することにした。その新たな8基を加えた総数313基の画像とリスト内容等を入れ替える作業に、そしてその校正という単純作業に何日も掛かってしまった。これに懲りて、次回の再改訂版作成は新規に10基以上を確認してからにしようとツクヅク思う。
予定では、10日から明日の18日までの夏休み中には一度くらい石仏巡りに出かける予定をしていたのだが、何しろ「アヅイ!」。そこで、結局はどこへも出かけずに終わった。それでも、これからの石仏巡り資料だけは山ほど(多分一年では調査しきれない数を)作ったので、早く涼しくなってくれることを祈るだけである。
それと、ここの所はおなかの調子がイマイチである。それと言うのも、畑のスイカが今年の異常な暑さで大豊作となり、毎日毎日一人当て小玉スイカとは言え一個づつ食べなければならず、ようやくその前にトウモロコシを食べ終えたお腹は非常事態を訴えているようだ。それでも昨日は、食べ遅れたスイカを4個捨て、今日は家内が2個捨てた!という有様。それでもまだまだ畑には、食べ頃となったスイカがゴロゴロしている。買ってまでは丸々一個を食べないスイカで美味しいのだが、もう完全に食傷気味。加えて、その隣の大玉と中玉のトマトも鈴なり状態。私のお腹ならずとも、そのj光景を畑で見ただけでうんざりである。というわけで、今年の夏もあまりの暑さと夏野菜攻めにと二重のウンザリである。それでも、印度の真夏に比べれば、まだ春のような陽気さと嘯いて、今年もまだ一度もクーラーを使わずに過ごしている、根っからの野蛮人である。そして家内曰く、「クーラーだって、年に数回は使用しないと壊れるかもしれないヨ、ッ」と。
一ヶ月ぶりの石仏巡りとして選んだのは、栃木県東部地区に所在する芳賀郡芳賀町である。しかも今回は、最初に文化三年銘の石碑手拓にあったので、少し早めに出かける。その最初の地は、東水沼地区にある唐桶溜(カロケタメ)という、宝永4年に完成した溜池の100周年記念として建立された「導水遺蹟碑」である。早朝に行けば、何よりも涼しく、また風も穏やかなので、手拓作業にはうってつけと考えてのことだが、その読みはずばり的中。快適な手拓となり、公園となっているので早朝散歩の人がいても鼻歌の一つも出ようというものである。
そして次への移動中、道沿いに上記掲載の碑塔が並んでいた。この周辺は、過去に何度も来ているので、よもや調査抜けということはあるまいと思いつつも、念のために再調査として銘文を読み写真を撮る。面白いのは、その脇に町で設置した看板で、上記写真の前列左端に見える塔を「庚申塔」としている。上部欠損で、石仏に詳しくない人には判断できないのだろうが、その持物から馬頭観音像であることは間違いない。まあ、そんなことはどうでも良いかと、石造物を大切にしている町の姿勢に敬服して許してあげよう。この中では、特に右から二番目に見える大日如来像容の台座に「湯殿行供養佛」とあるのが嬉しい。しかも紀年銘が享保六年とあるからなお更である。
今回は、主目的とした2基の石碑調査が出来たので、午後からの雷雨の前に帰宅しようと(本当は、暑さでグロッキー)早目の帰宅として午後3時半にはシャワーを浴びていた。
やはり、石仏巡りに出かけると面白い。次回は、どこへ行こうかと早くも思案中である。