石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

21010年6月26日も西方町の石仏巡りでした

2010年06月28日 | Weblog

 梅雨空の下、今回も栃木県西方町の石仏巡りです。といっても、古くは1995年以来と言う場所も再確認の調査ですので、場所的には沢山巡りました。加えて、前回に時間の関係で撮影できなかった場所へも再度行きまましたので、結構忙しい石仏巡りとなりました。そんな訳で、今回も2基の宝篋印陀羅尼経塔を含めて54基の碑塔を調査しましたが、新規に調査できたのは僅かに9基のみという有様でしたが、途中雨にも降られず満足できた石仏巡りでした。
ここへ掲載した写真は、西方町真名子地区の八百比丘尼堂の風景ですが、ここには庚申塔を始めとして沢山の碑塔が集まっています。昔に来た時は、何の整備もされていずにお堂際まで木々が繁り、そのお堂の裏に雑然と碑塔がありましたが、今は見違えるほどの景観となって、碑塔類も整然と並べられています。そんな訳で、思わずここではのんびりしてしまいました。そんな訳で、前回はサボってしまった別HPの方の石仏巡り記にはその分も含めて画像紹介が出来るかと思っています。
 さて話は替わりまして、この頃このHPを見ました(ブログが中心か?)方々からメールを頂くことがあります。しかしその多くは、個人的なメールにも関わらず自分の名前も名乗れないメールであり、その内容も的を得ないものが多くあります。そこで、再びここへ、私宛のメールの規定を記して置きますのでそのルールに従ってくださいますようお願いいたします。
1、ブログ名等ではなく、必ず実名を表示してください。実名がない方のメールは迷惑メールとして自動的に削除されてしまったり、セキュリティのために開けずに削除してしまうことがあります。
1、私の石仏巡りは、全くの個人的なものであり、興味半分で石仏に興味を持っている方を対象としていません。そもそもが、このブログや別HPにしても私の見ず知らずの方を対象にしていず、友達との情報交換や近状報告を兼ねていますので、勉強もしないで興味半分でのご質問はご遠慮ください。偏に面倒がりやだからです。特に、掲載された石仏などの所在地を教えてもらいたいの類はご遠慮ください。碑等類は、自分で苦労して探し出すのが正道だからです。
1、携帯からのメールは、ご遠慮ください。ほとんどの場合が、こちらから返信しても届かずに送ったメールが返却されてしまいます。メールを入れたのに、返事もこないと思われている方も多分いらっしゃると思いますが、それは当方の責任ではありませんので逆恨みしないで下さい。
1、それでも、別にメールを嫌っているわけではありませんので、上記事項にそってお送りくださる分には歓迎いたします。また、石仏に関しまして初心者の方でも、どしどしメールをくださって結構です。メール内容をみれば、そのくらいの判断は出来るつもりでいますので…。

次回も、当然ながら西方町の石仏巡りとなります。問題は、天候だけです。早くも、次回は新規に幾つくらいの碑塔に出会えるか、楽しみにしているところです。
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前回、19日の石仏巡りの画像紹介はありません

2010年06月24日 | Weblog
 前回の西方町石仏巡り記用の、HP画像紹介はありません。何しろ、そのほとんどが過去に調査した碑糖類の再写真撮影でしたのと、そのほとんどが家畜塔に十九夜塔だったので、特別に掲載するほどの内容写真ではないからです。もっとも、その最大の原因は単に私が掲載する手間暇を省いたからに他ならないのですが。今度の土曜日も、予定では西片町へ入りますので、その時にでも一緒に掲載しようと思っています。
 今週は、本気になってパソコンには無い異体字や旧字等の文字作成に励みました。もちろん今までにも沢山作成していますが、今回は新たな書体での再作成を試みました。特に、偈文や経典に出てくる文字に、漢文に凝った文字などを作成し終えましたので、これからの石文調査書作成にとても重宝しそうです。
 あとは、新しい偈文等に出会えることを期待するだけです。次回の石仏巡りで、そんな碑塔に出会えると良いなと思っているところです。
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2010年6月19日は栃木県西方町の石仏巡りでした

2010年06月21日 | Weblog

 古くは1997年以来と言う場所を含めて、今回から栃木県西方町の追跡石仏巡りを開始しました。今回はその手始めと言うこともあり、西方町の中心をなす金崎地区から開始です。もちろんそのほとんどは地図を見なくてもどこにあるかを知っているので、出足は順調で次から次へと再確認をかねて写真撮影を行いました。しかし、今回からの西方町碑塔調査最大の目的は、まだ出会えぬ碑塔を探し出すことにありますので、過去に調査した箇所と言えども碑塔の数を再チェックしながら、また銘文の未読部分精査等でそれなりに結構時間が掛かりました。特に、千手院跡の宝篋印塔には思わず苦笑いです。というのも、それは軸部分に文字は無しとしていたものが、よく見ると本当に浅く文字らしきものがあり、手拓などを合わせて読んでみれば、四面のうちの二面から宝篋印陀羅尼経の中の一節が出てきたのです。マッタクッと、自分の不甲斐なさにガッカリでしたが、それでも私にとってのお宝を1基ゲットしたので満足でした。また過去に訪れた時は、まだ正面の像容や文字があった碑が、今回来て見るとものの見事に剥がれ落ちていて、何の碑かが全く分からない状態になっていました。こうした碑塔に限って、以前の写真は撮影していないものなのです。これも今回の反省材料で、碑塔は全てを写真に撮っておく必要性を実感しました。そんなこんなで、午後2時頃には金崎地区を終えてしまい、続いて隣の元地区へと入りました。ここは2002年に調査済みですが、途中で終わっている地区なので慎重に地区内探索です。そのために石仏調査は少しも進まず、また、過去に調査していた箇所を未調査箇所と勘違いして再調査するなどの間抜けぶりを発揮したため、午後4時にはあきれて本日の石仏調査を終了しました。それにしても、暑かったです。天気予報では雨の心配もあったのですが、全くの空振りとなりじとじとした暑さだけが身に堪えました。そんな調子で、本日西方町で新たに確認調査できた碑塔は10数基という有様ですが、まあそれも仕方がないことでしょう。そんな訳で、次回は今回の続きとなる西方町元地区から再開です。そうそう、掲載した写真は朝一番で乗り込んだ東武日光線金崎駅東側の通りに面した墓地内にある碑塔の一部で、十九夜塔を真ん中にして並ぶ部庚申塔と甲子塔です。
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2010年6月5日も栃木県都賀町の石仏巡りでした

2010年06月06日 | Weblog

 朝から雷が鳴り雨が降っていたが、どうせそのうち晴れるだろうと信じて都賀町まで来たが、雨は上がらずに10頃まで雨傘を差しての石仏調査となる。特に朝一番で訪れた家中地区の磐裂根裂神社の軍馬徴発塔の銘文書き写しには閉口した。何しろ一般では使われない漢字が多用されているので、その書き写しに夢中となり背中はびしょ濡れ、書き写す台帳もびしょ濡れとなり車へ戻った時はヤレヤレであった。その後も雨は止まず、結局は家中地区を終わった頃にようやく太陽が出てきた。
今回は、都賀町を終わらせる最終回のつもりで来ているので行くところは沢山ある。過去に銘文精読がなされていない碑塔も全て回る予定なので忙しく、あちこち駆けずり回る。特に、都賀町南部の平川と升塚地区は未見の碑塔が多く残っているので、地元の人を見つけ次第に聞き込みを繰り返し、何とか今回でこの地区も終了することが出来た。そして最後に訪れた、升塚地区の愛宕神社へ向かうと、その入り口に双体道祖神が新しく建立されている。ここは、石祠ながら「道祖神」として祭られているところだったので気になり、その双体道祖神の裏面を見てみると平成十五年に氏子中で祀ったことが記されていた。いま流行の、石屋の観光目的や興味半分の双体道祖神ではないのでホッとし、記録に納めることにした。それが今回の画像風景である。私がここへ以前来たのは、2002年だから、その翌年に建立したことになる。やはり10年を経過した場所へは、その近くを通った時は立ち寄らなければならないのだろう。
 さて、今回の調査で都賀町の実見できた碑塔数は総数で323基である。個人宅にある飼馬供養塔やら目の前にあっても見せてくれない碑塔等を除くと、多分都賀町全碑塔の90%以上は確実に調査したことになるだろうから、これで都賀町の碑塔調査から脱出しても良かろうと思う。
 そこで、次回は佐野市在住の高橋氏からご教示賜ったまま訪れていない田沼町の六地蔵を見に行こうと思う。もちろんそのついでに、周辺のまだ見ぬ碑塔を含めてのことになる。今から、1石に浮き彫りされた六地蔵に会えるのが楽しみである。
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5月29日は栃木県都賀町の石仏巡りでした

2010年06月01日 | Weblog

 今回も、栃木県栃木市都賀町の石仏巡りに出かけました。天候は、今にも雨が降りそうでしたが何とか一日もちました。おかげで、普段なら逆光で写真が撮れない碑塔までバッチリでした。それにしても記憶と言うのはデタラメで、ここは調べていないだろうと言う碑塔が帰宅してみたら過去に調査済みという箇所が三ヶ所もあり、苦笑せざるを得ませんでした。まあ、それでもその中から前回見落としていた碑塔を数基確認出来たのでそれなりの成果はありましたが…。その一方で、地元の方に教えてもらった神社(名前ばかりの小社ですが)に何としても行き着けず、また戻って地元の方に聞きなおしたりと苦労して探せば、そこに石尊大権現と庚申塔があり、何とか苦労した甲斐がありました。それからも一日中、あちこちさ迷い歩いてまだ見ぬ碑塔探しをしましたが、思うような成果にはならずしまいでした。過去にその70パーセントを調査している地域なので仕方ないかと思いつつも、少なからずガッカリです。そんな途中で、この近くへ来た時には必ずといってよいほど立ち寄る、原宿地区の磐裂神社で、ここへ掲載した碑塔を飽きずに見てきました。特に、青面金剛像容塔は都賀町で最も好きな庚申塔なので、またしても写真を撮ってしまいました。
 さて、都賀町の石造物調査もあと1日入れば大方は終了です。85パーセント以上の碑塔実見となります。出来る限り90%にしようとは思っているのですが、どうなることやらです。
 そんな訳で、次回も懲りずに都賀町の石仏巡りとするつもりです。
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