前回は、石仏巡りに出かけながらも少しばかりサボってしまいましたので、今回は本気モードでの石仏巡りとして前回の続き、古賀志町から入りました。そして、朝からの快晴に気を良くして、ついついいつもの時間通りに家を出たために、八時前には既に石仏の前に立っているという有様で、自分でも可笑しくなってしまいました。そんな私の気持ちを察してか、今回は石仏の方から私の前に現れてくれるような始末で、色々な場所で沢山の碑塔と出会うことになりました。おかげで、お昼時間も忘れる有様で石仏調査に没頭し、午後1時になってようやくお腹が空いたことに気づいた次第です。
最初に掲載した画像は、新里町の山王地区にある薬師堂風景です。もちろん、私にとっては興味ある碑塔があり興味津々と調査しましたが、その他にも境内には沢山の江戸中期紀年銘を持つ灯篭は、ついつい疲れてきたのでパスしてしまいました。本当は、調査しなければならないのを重々認識していながらです。それでも、この薬師堂には鰐口が珍しくあったので濡縁に登って見たら天明三年銘の物でした。佐野市の高橋氏も、まさかここまでは調査に来ていないだろうと思い、メモをとったが肝心な天命鋳物かは記してありませんでした。それでも念のため、高橋氏には後で連絡を入れておくことにしましょう。それにしても、踏み台が泣ければ到底精査は出来ない代物だけに、こうした金工品を中心に調査している高橋氏には尊敬するのみです。何しろ、写真さえろくに撮影出来ないのだから。
さて、
この画像の狛犬、共に阿形の方だけを掲載しましたが、良いでしょう。暫くぶりに、宇都宮の狛犬で満足できる狛犬に出会えました。左側の方は、完全に爬虫類姿ですし右側は、その入れ歯を入れているような口に大満足です。紀年銘が欲しくて探しましたが、共に石文は全く分からない。もちろん、江戸時代に間違いなかろうと思っているが。狛犬調査隊長の山口さん、好い加減に平野部の狛犬調査を中断し、また仕事はそれ相応にして山地の方へ入って下さい。そうしないと、山口さんが訪ねる頃にはどこかへ逃げ出してしまうかも知れませんよ。何しろ、それらの狛犬は半分以上役目を終えて地上に降ろされているものばかりですから。
いや~あ、それにしても今回は中身の濃い碑塔に沢山出会えました。それらの整理と清書だけで今週平日の夜はたっぷりと浸れそうです。次回もまた、この地区周辺からの石仏巡りとなりそうです。今度は、どんな石造物と出会えるかと、今から楽しみです。