石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

多分、今年最後の調査として、12月20日に山口氏と庚申山へまたしても行きました。そして…

2020年12月23日 | Weblog

前回12月13日の高橋氏との庚申山の帰りに、次回は休んで、年末に忘年会というか慰労会を兼ねて集まろうとしていたのですが、11月後半から12月にかけて、山口氏が参加できなかったので、20日には是非とも行きたいということになり、またしても庚申山の鶉坂の方へ行きました。それには、私も少し訳アリで、13日で今回の庚申山調査は終わりにするつもりだったのですが、今までの調査したファイルを眺めていて、どうしても再調査したくなった庚申塔が出てきたのです。それは、表口から登った山頂直下の西側にある、深く埋もれていて掘る努力さえ萎えるような庚申塔なのだが、どうしてもそれを掘って紀年銘の有無を確認したくなったのです。そして早速に、本日の最初の調査として掘ることにしたのですが、何とも厄介な代物で、山口氏があれこれと奮闘努力した結果、何とか掘り出すことに成功。そして裏面を見てみると、そこには碑面一杯に大きな文字で「万延元庚申祀十一月日立」「石井龍太郎」とありました。勿論、旧田沼町史でも見逃している庚申塔銘文でした。やはり、気になる庚申塔は最後まで調査の努力を怠ってはならない見本のようなありさまで、今日はこれ1基だけで満足でしたが、山口氏が、さらに頂上にはもう一度精査したい庚申塔があるというので行き、やはりそこでも庚申塔の側面に見逃しの銘文を見つけたり、拓本を採っていながら文字の存在に気付かなかった庚申塔ありと嬉しい悲鳴を上げました。そんな中で、今回はその掘り出した庚申塔をご紹介いたします。掘り出す前の頭だけが前に傾いでいる姿からは想像もできない姿です。ちなみにサイズは高さが87.0、幅が48.0㎝もありました。その後は、鶉坂参道の銘文再確認やら、庚申塔周辺の伸びた竹などを刈って、午後2時半に今年最後の庚申山調査を終えて岐路に着きました。

コメント

今年2月から始めた庚申山の庚申塔群調査が、935基を以て明日で終了です。

2020年12月19日 | Weblog

ここのところ、佐野市閑馬の千躰庚申山に於ける庚申塔群の最終段階調査で忙しく、全くブログまでに手が回らずにいました。しかしそれも、いよいよ明日で終了する予定です。本当は、今週の庚申山通いは休みにするつもりだったのですが、山口氏の強い要望もあり、また私的にもどうしても最終的に確認したい庚申塔銘文が2基出てきたので、それを確認するために行くことにしました。その中の1基は、四角柱で地面に1メートルほど埋没していて、しかも前に大きく傾いている庚申塔です。今から、どうやってそれを掘り出そうかと思案中です。勿論、一人ではビクともしない大きさなので、十分に注意しながら、くれぐれも自分の身の方へ倒れてこないことを願いつつです。
さて、そんな庚申山の最終的な確認数ですが、それは全域で何と、935基という数です。一か所に935基ですよ!。しかもその三分の一以上は、地中に埋もれていたのを地面を探索しながら1基づつ掘り起こしたものです。我らながら、よくも飽きずに2月から今日まで毎週一度の調査とはいえ、飽きずに続けられたものと感心しています。
今回は、そんな中での私好みの自然石庚申塔を1基だけですがご紹介しましょう。本当は、拓本が欲しいのですが、どう画仙紙を張り付ければ良くとれるか思案中の庚申塔です。それにしても、ユニークな自然石を探してきたものと感心しきりです。建立は天保10年です。

 

コメント