12月29日の石仏巡り記
今年最後の最後の石仏巡りは、佐野市在住の高橋氏と一緒に栃木県田沼町(今は佐野市に合併)へ暫くぶりに行きました。その目的は、数庚塔調査です。まず最初に、田沼町本町の愛宕山山頂にある庚申塔群です。相変わらず、厳しい石段登りに息を弾ませ、これまでに確認できずにいた数庚塔探索。あちこちに無造作に散らばっている庚申塔を手分けし、まずは簡単に4基を確認。この時点で、私はこの場所の今日の成果は満足となったが、高橋氏は満足しないようであちこちの石を掘り起こしては探している。本来なら、私が率先して探すのが本筋!。全くもって、高橋氏の熱心な行為には感謝あるのみ。その甲斐があって、今日はこの愛宕山庚申塔群で都合13基もの数庚塔を確認することが出来た。本当に、高橋氏に感謝あるのみである。ついでに、そこにある青面金剛像の邪鬼が仰向けになっている姿を今回も撮影する。これは明日にでもHPの方でご紹介しましょう。
さて、意気揚々と、次は田沼町戸奈良地区にある籠山庚申山へ向かう。ここにも沢山の庚申塔があるのだが、この季節以外には熊さんが出てくる場所なので滅多には登れない。今日は、その山頂にある線刻青面金剛像の拓本取りと、前回に来たときに見つけられないでいた「万庚申塔」の探索にある。籠山山頂に至る道沿いにある庚申塔を眺めながら歩くも、万庚申塔は見つからず。取りあえずは、山頂の線刻青面金剛像を手拓する。私がその手拓している間に、高橋氏は山中に散らばっている庚申塔をひっくり返しては、どこかにあるはずの数庚塔を探している。その姿は、春から秋まで出没する熊さんに取って代わった姿で、軍手をした熊さん宜しく、大きな石をひっくり返してもそこに熊さんにとっては美味しい蟻も蛾もいないのに、一生懸命である。そしてついに、高橋氏のそんな努力が実って「万庚申塔」とある数庚塔を探し出してくれる。その後は、二人揃って石をひっくり返しながらの数庚塔探索となり、ここでも都合4基の数庚塔を確認できた。麓へ降りたときには既に12時を過ぎているが、その籠山登り口の民家の所で、思わぬ発見をする。それは、一石百庚申文字塔である。その場所は、これまでに何度も通っていたのに全く気づかなかった。残念なのは、下部半分以上が欠けていることだが、表面に「百庚申」とあり、三面に「庚申」の文字が沢山刻まれている。残欠ながら、今日の「万庚申塔」にも勝る発見である。高橋氏と一緒に巡る石仏調査は、いつも何かしらの大きな発見があるが、この今年最後の最後の石仏巡りで、大きな収穫を又しても得たことになる。
次は、本来なら閑馬の千庚申山へ登って、その山頂の庚申塔の拓本を取る予定だったが、何しろ今日は今年最大の寒波が来襲中で、ビュンビュンと北風が吹いているので、その千庚申山へ登っても拓本は取れないだろうからと、断念。
その断念の理由の一つには、高橋氏と同じく佐野市在住の正田氏から、高橋氏が田沼町寺沢地区に私のまだ見ぬ数庚塔があるとご教示戴いていたので、そちらを先に見たい気持ちがあったからである。何しろ千庚申山へはいつでも来られるのだから…。
高橋氏の先導で現地へ着いてみてば、その場所も過去に何度か通っている場所だったが、所在地が山の中の崖地下ということで、私には見つからなかった物。ここでも、正田氏に感謝、感謝である。天明六年銘の「百庚申供養」塔に始まり、同地には3基もの数庚塔があったからである。特に、天明年間の数庚塔は、これまでその所在が判らなかった物だけに、嬉しさは言葉にならないほどである。
気が付けば、どこか風のないところで昼食にしようという話しを忘れてしまっていて、調査が終えたのは午後1時半を過ぎていた。その、風の来ない場所など今日はどこにもなく、それどころか雪さえ吹きかけてくる有様に、「よりもよってこの年末のそれも最も寒い時に石仏巡りとは」と、二人であきれ返る。それでもどこかで空腹を満たさなければと言うことで、根本山公園へ向かう。そして石段の窪んだ所を見つけ、そこで遅い昼食とする。雑談を交わしながらの昼食を終えてみれば、既に時刻は午後2時を過ぎていた。高橋氏曰く。「次はどこへ行く」。この寒風吹きすさぶ中、高橋氏はまだまだやる気十分。それに引き替え、私は今日の石仏巡り成果はもう、大々満足!。風さえ吹いていなければ、まだまだ数庚塔探索を継続したい気持ちはあるが、今日の所はここまでとして、ここで終了とする。
本当に今年一年も、高橋氏には大変お世話になってしまった。厚く御礼と感謝の言葉を繰り返しながら、また来年も飽きずにおつき合いの程を願って別れる。
そんなわけで、今年最後の石仏巡りは大成果の内に終了しました。皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
今年最後の最後の石仏巡りは、佐野市在住の高橋氏と一緒に栃木県田沼町(今は佐野市に合併)へ暫くぶりに行きました。その目的は、数庚塔調査です。まず最初に、田沼町本町の愛宕山山頂にある庚申塔群です。相変わらず、厳しい石段登りに息を弾ませ、これまでに確認できずにいた数庚塔探索。あちこちに無造作に散らばっている庚申塔を手分けし、まずは簡単に4基を確認。この時点で、私はこの場所の今日の成果は満足となったが、高橋氏は満足しないようであちこちの石を掘り起こしては探している。本来なら、私が率先して探すのが本筋!。全くもって、高橋氏の熱心な行為には感謝あるのみ。その甲斐があって、今日はこの愛宕山庚申塔群で都合13基もの数庚塔を確認することが出来た。本当に、高橋氏に感謝あるのみである。ついでに、そこにある青面金剛像の邪鬼が仰向けになっている姿を今回も撮影する。これは明日にでもHPの方でご紹介しましょう。
さて、意気揚々と、次は田沼町戸奈良地区にある籠山庚申山へ向かう。ここにも沢山の庚申塔があるのだが、この季節以外には熊さんが出てくる場所なので滅多には登れない。今日は、その山頂にある線刻青面金剛像の拓本取りと、前回に来たときに見つけられないでいた「万庚申塔」の探索にある。籠山山頂に至る道沿いにある庚申塔を眺めながら歩くも、万庚申塔は見つからず。取りあえずは、山頂の線刻青面金剛像を手拓する。私がその手拓している間に、高橋氏は山中に散らばっている庚申塔をひっくり返しては、どこかにあるはずの数庚塔を探している。その姿は、春から秋まで出没する熊さんに取って代わった姿で、軍手をした熊さん宜しく、大きな石をひっくり返してもそこに熊さんにとっては美味しい蟻も蛾もいないのに、一生懸命である。そしてついに、高橋氏のそんな努力が実って「万庚申塔」とある数庚塔を探し出してくれる。その後は、二人揃って石をひっくり返しながらの数庚塔探索となり、ここでも都合4基の数庚塔を確認できた。麓へ降りたときには既に12時を過ぎているが、その籠山登り口の民家の所で、思わぬ発見をする。それは、一石百庚申文字塔である。その場所は、これまでに何度も通っていたのに全く気づかなかった。残念なのは、下部半分以上が欠けていることだが、表面に「百庚申」とあり、三面に「庚申」の文字が沢山刻まれている。残欠ながら、今日の「万庚申塔」にも勝る発見である。高橋氏と一緒に巡る石仏調査は、いつも何かしらの大きな発見があるが、この今年最後の最後の石仏巡りで、大きな収穫を又しても得たことになる。
次は、本来なら閑馬の千庚申山へ登って、その山頂の庚申塔の拓本を取る予定だったが、何しろ今日は今年最大の寒波が来襲中で、ビュンビュンと北風が吹いているので、その千庚申山へ登っても拓本は取れないだろうからと、断念。
その断念の理由の一つには、高橋氏と同じく佐野市在住の正田氏から、高橋氏が田沼町寺沢地区に私のまだ見ぬ数庚塔があるとご教示戴いていたので、そちらを先に見たい気持ちがあったからである。何しろ千庚申山へはいつでも来られるのだから…。
高橋氏の先導で現地へ着いてみてば、その場所も過去に何度か通っている場所だったが、所在地が山の中の崖地下ということで、私には見つからなかった物。ここでも、正田氏に感謝、感謝である。天明六年銘の「百庚申供養」塔に始まり、同地には3基もの数庚塔があったからである。特に、天明年間の数庚塔は、これまでその所在が判らなかった物だけに、嬉しさは言葉にならないほどである。
気が付けば、どこか風のないところで昼食にしようという話しを忘れてしまっていて、調査が終えたのは午後1時半を過ぎていた。その、風の来ない場所など今日はどこにもなく、それどころか雪さえ吹きかけてくる有様に、「よりもよってこの年末のそれも最も寒い時に石仏巡りとは」と、二人であきれ返る。それでもどこかで空腹を満たさなければと言うことで、根本山公園へ向かう。そして石段の窪んだ所を見つけ、そこで遅い昼食とする。雑談を交わしながらの昼食を終えてみれば、既に時刻は午後2時を過ぎていた。高橋氏曰く。「次はどこへ行く」。この寒風吹きすさぶ中、高橋氏はまだまだやる気十分。それに引き替え、私は今日の石仏巡り成果はもう、大々満足!。風さえ吹いていなければ、まだまだ数庚塔探索を継続したい気持ちはあるが、今日の所はここまでとして、ここで終了とする。
本当に今年一年も、高橋氏には大変お世話になってしまった。厚く御礼と感謝の言葉を繰り返しながら、また来年も飽きずにおつき合いの程を願って別れる。
そんなわけで、今年最後の石仏巡りは大成果の内に終了しました。皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。