石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

4月24日は佐野市と足利市の石仏調査でした

2010年04月25日 | Weblog

 今回は、栃木県佐野市高橋町の雀神社へ私にしては珍しく、早朝に着きました。目的は、ここにある渡良瀬川氾濫の災害碑を手拓するためです。しかし、その記念碑は余りに汚れと文字を覆い隠す苔が酷く、先ずは水洗いしましたが大きいゆえに予備に持参した水まで使い切る有様でした。それから、文字を覆い隠しているいやらしい苔を金属ブラシで磨いて取り除き、何とか手拓できる状態にするまでに一時間以上も費やしてしまいました。実は、この地方は風が強く吹く土地柄なので、その風の吹かない早朝に画仙紙を水張りしようと早朝にやってきたのだが、その目的は完全にはずれ、早くもこの段階で南風が吹き出しました。それでも仕方なく水張りし、急いで墨入れを開始したが所詮は大きな碑、もう少しで終わる頃に風に煽られてしまいました。仕方なく、その後は文字に墨の乗らない箇所や読みにくい文字を部分的に手拓し、裏面の交名を含めて全てが終わるまでに2時間半ばかりが掛かりました。これで、2003年に初めて確認しながら今日まで精査を怠っていた碑の調査が完了しました。
何はともあれ、これで一安堵といったところです。ところでこの高橋町と言えば、いつもお世話になってばかりいる高橋氏と山口氏のお膝元。突然に思いつきでやってきたとはいえ、連絡もしなかったことに「水臭いヤツ」と叱られそうである。ご両人、ご容赦あれ!
 さて、永年の目的が果せたあとはどこへ行こうかと悩む。車に乗り込んで地図帳を広げると、丁度その地図帳は足利市の福厳寺さんの載っているページ。バックの中を覗くと、いつか機会があったら届けようと思っていた庚申塔調査記録冊子が入っている。そこで、次の目的地を福厳寺さんと定めて車を発信する。着けば、丁度住職さんがいたので資料を渡しつつ、雑談をしていて思い出したのは、以前に高橋氏からご教示を受けていた「墓地内に私の知らない庚申塔が1基あるよ」という話。そこで早速、広い墓地内を探すが見つからず、墓地管理をしてる方にも尋ねたがやはり分からないという。そこでずうずうしくも、携帯電話を取り出して高橋氏に連絡を入れたが、少しもその庚申塔所在地が私には分からない。他の人に代わってもらったが、やはり分からない。しつっこく、又も聞きなおしてようやくその場所が分かり、墓地管理者の方と一緒に見に行けば、それは簡単に見つけ出すことが出来た。高橋氏に感謝!感謝!である。そして今更ながらに、高橋氏の調査能力の高さに恐れ入る。
 さて、時間はまだまだ沢山ある。今度はどこへ行こうかと思案する。「そうだ、そこもかつて高橋氏と一緒に行った、鑁阿寺にある廣群鶴刻字「神徳之碑」の銘文筆記とする。これも、その折に確認しただけで調査は諦めたものなので、今回のような時間つぶし相手にはもってこいの碑である。そしてその前に佇むこと1時間以上で、何とか物にすることが出来た。本心は、手拓をしたいのだが、それには承諾を得たりと面倒なので、筆記に切り替えた次第だけに、二度とこの碑の前に立つことのないよう、一字一句を舐めるようにして列の文字数も数えながら写したのは言うまでもない。それでも帰宅するには少し時間が余っているので、その後は帰り道すがらに調査が途中までだった箇所を数箇所訪れてから、今日ばかりは大物を2基も片付けられたと、鼻歌交じりで帰路に着く。次回もこの調子で、思いつくままの石仏巡りとなるだろう。
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4月18日も田沼町方面の石仏巡りでした

2010年04月21日 | Weblog

 前日の17日早朝の降雪には驚きました。それこそ、石仏巡りどころではありませんので部屋でおとなしくしていました。その翌日、つまり18日は打って変わっての石仏巡り絶好日。調子に乗って、前回同様に田沼町の石仏巡りに出かけました。ただし今回は、春爛漫の景色を堪能することも目的にあったので、山里の風景写真を撮るのに忙しく、また、石仏調査は滅多なことでは入り込まない山の中のまだ見ぬ庚申塔探しとしました。掲載した写真は、そんな山里の景色の中での一コマです。雑木林は、いわゆる「山、笑う」新緑の景観となり、そこには散り始めた桜があって農家の方がこれからの田の作業の下準備をしている風景です。こんな風景の中に座って、ただボンヤリと眺めているだけで、至福の時間です。
さて、そんな訳で石仏巡りの成果は余りぱっとしませんでした。総数で15基でした。その最大の要因は、今は猪だけが闊歩する山道の奥に、庚申塔があったような気がするという地元の方の情報を手がかりに入ったものの、その細い山道は行けども行けども猪が暴れまくった形跡だけがあるのみで庚申塔はもちろん、他にも何も見つからず。仕方なく戻って、もう一本の今まで以上に細い山道を入れば、人家へと抜け出た。その三軒だけの細い生活道路沿いに、三基の石塔が猪に倒されたまま放置してある。早速それを起こして銘文を掃除して読めば、庚申塔二基、しかもそのうちの一基は「千庚申塔」であった。いずれにしても、倒れたままにしておけば更なる猪の暴挙によって益々土に埋もれてしまうので、綺麗に立て直すことにして悪戦苦闘。そんなところにおばさんが畑から戻ってきたので話を聞けば、元々は山の奥に住んでいたが余りにも不便なので、この里へ降りてきたとのことである。この話から、地元の方から聞いた話が本当だったことを知る。
 それにしても、猪の被害は年々ひどくなるばかりである。このままでは、野に立つ碑等類は皆、猪の被害に遭ってしまいそうである。今のうちに、そんな山地の碑塔を調査しなければならないと、本気で思う。
さて、そう言いつつ次回からはどこへ行こうかと早くも悩んでいる。埼玉の高瀬氏から、佐野市の災害碑問い合わせも来ているので、そいつも近いうちに片付けなければならにと思っているので、当分(大型連休が終わるまで)は、思いつくままの石仏巡りでもしようかと…。
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4月10日も田沼町の石仏巡りでした

2010年04月11日 | Weblog



 今年の異常に遅かった桜開花も、ようやく当地に到着しました。宇都宮から田沼町までの約1時間の通勤?時間、車中から常に満開の桜を眺めながら気分よく現地に到着しました。
さて今回も、先週に引き続いての田沼町(現。佐野市)閑馬、栗木内地区の庚申塔調査です。始めてみると以外に簡単に終わり、午前11時半には前回の見直しや写真撮影を含めて終了してしまいました。その、今回の調査が終えた庚申塔群のひとつの写真が上段に掲載したものです。埋もれていたものや、倒れていたものを起こしての記念写真です。
 午後からは、閑馬地区のまだ実見していない碑塔調査に入りました。その地区ごとに総当りで、人家を訪ねては聞き込み調査です。おかげで、沢山の思わぬ碑塔が記録できました。下段に掲載した写真はそんな一例で、山の中にある廃寺跡を地元の方の案内で訪れ、正徳2年銘のすばらしい丸彫り大日如来像等にお目にかかれました。そんな山の中にもぐっていたので、里へ出てきたのは4時を過ぎてしまい、もう2箇所を訪ねる予定だった場所は次回へ繰越となってしまいました。特に、千庚申山は桜が満開となって美しい風景となっていたのに、写真に撮れなかったのが残念です。多分来週には、その桜も散ってしまうでしょうね。いずれにしても、次回も今回の田沼町閑馬地区を訪ねて、一通り終了させようと思っています。
 いや~あ、本当にこの季節は楽しいですね。次回が待ちきれない思いです。
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2010年4月3日は田沼町(現。佐野市)の庚申調査でした

2010年04月04日 | Weblog

 やはり、この季節は里山の石仏巡りが最高と、先週から始めた栃木県国分寺町の石仏巡りを止めて、今は佐野市と合併した庚申塔の宝庫、田沼町へ行きました。田沼町も足利同様に一箇所で百基以上の庚申塔が祀られている庚申塔群は各所にあり、すでにそれらの場所へはこれまでに何度となく足を運んでいましたが、それら全部を調査しているかと言われると恥ずかしい限りで、いわゆる「良いところ取り」に終わっていました。そこで今月の新たな目標として、今回は田沼町閑間地区栗木内にある庚申塔群の実見できる全てを調査することになりました。といっても、その作業はひたすら埋もれていたりする庚申塔を掘り起こし、泥落しをしてから記録を取り、続いて写真撮影という単純作業の繰り返しです。そのため、帰宅してから整理してみたら、写真はあるものの記録なしや、記録時にサイズ忘れなど、全くドジな自分に一人で笑ってしまいました。
 それでも、一人で一日に103基を調査したのには自分でも驚いています。それは、余りにも天気が良すぎたので昼飯もそこそこにして庚申塔にへばりついたからだろうと、これまた苦笑です。そして午後も3時半頃には、余りにも多くの庚申塔を掘り起こしたので腰が痛くなり、100基の庚申塔が調査終えた段階で、残りは次回へと繰越にしました。田沼町町史の調べでは160基余りがあるとのことなので、その8割の130基くらいは現存していることとして、残りはあと僅かです。それでも、その後の見落としがないかの確認やら、銘文再確認に調査した碑塔との再確認を含めるとやはりあと一日はかかりそうです。
 ちなみに、上に掲載した写真はそんな庚申塔群の調査しやすい1コマと、下の写真のように地面に頭だけ出している庚申塔を掘り起こせば、こんな庚申塔が出てきますというものです。そんな訳で。次回もこの続きの調査となります。自分でも、馬鹿みたいなことをしていると自覚しているのですが、それでもこのような調査はいつか誰かがしなければならないと思っているので仕方がありません。
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