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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

6月24日の石仏巡り記

2006年06月25日 | Weblog
昨日6月24日は、栃木県栃木市の江戸前期までの庚申塔調査最終日として、一日中あちこちと飛び回りました。といいましても、距離的な話しでして、実際に行った地域は4箇所だけですが…。
早朝は、唯一残っていた寛文二年塔の二猿です。さんざん、所在場所に悩んだだけに場所的に直感はピタリと当たったが、それがその場所の何処にあるかまでは分からずに民家へ飛び込んで教えを受けると、若い方が「口で言っても分からないから案内します」となり、無事に今日最大の目的が達成できてしまう。
後は、その場に座り込んでの調査である。泥落としから始まって水拭き、そして読めない箇所の拓本取りに写真撮影と、栃木市の最後の寛文庚申塔だけに時間を掛けてのんびり過ごす。
しかし、その場所は山の中。私が佇むほどにヤブ蚊が集まりだして、身体中にヤブ蚊がとまっている。タオルで時々追い払いながら、何とか蚊に刺されないで、寛文2年塔は気が済むまで眺めることが出来た。
次は墓地の傍ら、笹の生い茂っている中の碑塔調査である。まずは、その笹を写真撮影に為に取り払うことから始める。そして笹の中へ首を入れたとたん、ヤブ蚊の群の中へ顔が入ってしまう。もちろん急いで目を閉じたが間に合わず、その目を閉じた瞬間に目蓋でヤブ蚊の一匹を捕まえて(正確には挟んで)しまう。これまで、流石の私もヤブ蚊を目で捕まえたことなどあるはずもなく、最初は何が目に起きたか分からずにビックリ!。急いで目を開けたが、今度はその為に目にヤブ蚊は張り付いてしまった。目の中に蚊が入ったのだけは確かで、それも大きい。指で、目からはみ出している蚊の部分をつまみ出して、まずは一安心。しかし、何となく目の中がゴロゴロしているので、そこに寝ころんで持参した水筒を目にかけて洗い流す。目をこすらぬよう、慎重に洗い流して無事に私の目は元通りになった。そしてそこには、これまでの読誦塔として、1石に刻まれた読誦塔銘文としては最も長い銘文を書き写す。その文字数、主銘文一行で28文字もあった。また、当地には笹に囲まれた享保10年銘の宝篋印塔もある。それらを、綺麗に洗い流した目で読んで調査する。笹藪の中には、まだ幾つかの碑塔があるが、それらは次回への置きみやげにしても、結局はこの場所に2時間半以上もいたことになる。
次は、春日部市のN氏と約束した、大塚町にあるとされている延宝5年銘の庚申塔探しに行く。現地で、主だった農家の家を次から次へと訪ねては聞き取り調査をし、最後に「あのおばあさんが知らないと云えば、この地区にはないから訪ねて行きなさい」と、教えられた家に行く。生憎と、おばあさんは田植えに出かけているが、「そこへ行って話しを聞くと良いですよ」と、家人に教えられた田圃へ行って、あぜ道に腰を掛けて話しを伺う。その結果、つまりは該当碑塔はないことが分かった。それでも念のために、碑塔所在地の庚申塔群を再訪して1基ごとに紀年銘を照合していくと、その中の1基の紀年銘が合致しない。つまり、その延宝5年塔があるとした調査者の紀年銘読み違いと決定する。帰宅後、N氏に電話連絡して、その延宝5年塔は栃木市の江戸前期庚申塔リストから削除する事にする。
今回は、暫くぶりに一つの内の聞き込み調査を行ったので、その結果として個人宅屋敷内に祀られていた元禄7年銘の合掌型六臂青面金剛像を新たに見つけることが出来た。しかも、一猿塔で、その猿は2つの桃を両手に持っている珍しい1猿姿というおまけまでついた発見である。詳細な所在地は、家人が望まないということで公表できないが、いづれ画像だけはお見せいたします。
この2基の庚申塔調査で、一日の半分以上は過ごしてしまいました。残った時間で、写真の取り忘れや、探し出すのが面倒な庚申塔の再撮影に数ヶ所の寺院を訪ね、それでも帰宅までに余った時間を大平町の庚申塔を訪ねた。
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6月17日の石仏巡り、その他

2006年06月18日 | Weblog
 いや~あ、昨日17日は暑かったです。両腕と顔は早くも真っ赤に日焼けして、特に顔は流れ出る汗を汚い手拭いになってしまったままでゴシゴシ拭いたので、帰宅したら真っ赤に腫れ上げっていました。どうしたの、その顔!。と家内の驚かれように、それは自分でも鏡を見たらお岩さんのような顔になっていました。
 それでもめげずに、根性で51基もの碑塔を調査してきました。これで、栃木市の江戸前期までの紀年銘のある庚申塔は一通り実見しました。
 後は、自分なりに見つけて置いた疑念庚申塔の再確認だけです。しかし、この作業は思いの外に大変で、またこのクソ暑くなった中で、地面に這いつくばっての銘文確認と水洗い、そして拓本取りと1基調べるだけでも大汗ダクダクといったことを繰り返さなければなりません。その結果が、ほとんどの場合は期待はずれに終わるだけに、本当にご苦労なことだと自分でも思いますが、ここまで来たからにはやはり最後まで行わなければならないでしょう!。江戸前期までの庚申塔に興味のある方は、又いつものようにその纏めを冊子にしますので、乞うご期待と言ったところです。(冊子ご希望の方は、早めにご連絡下さい。発行部数がいつものように限定少部数ですので…)

昨日の天気予報と違って、今日18日は曇りで雨が降りません。石仏巡りには、今日のような曇天の方が良かったのですが、これも天気予報を信じたがために”残念”と言ったところです。そこで早朝の涼しいうちにと、畑仕事をしました。今年の遅れた農作業で、やっとキュウリと茄子の初収穫です。生でかじって、今年の夏を実感しました。ジャガイモに、テントウムシダマシが発生の恐れあり。早くつぶさないと、その他の夏野菜に被害を及ぼすので、ジャガイモ畑に入りましたが、曇っているとはいえ蒸し暑さで途中断念。まあ、出たところ勝負といきましょう。次に、食べきれずに残っているエシャレット(ラッキョウの子供ではありません)が大きくなりすぎ、これも早めに彫り上げて塩漬けにしなければならないのだが、もう少し涼しい日もあろうと断念。結局は、畑仕事と言いながら夏野菜の手入れだけして引き上げてしまう体たらくである。せめてもの、昨日のような石仏巡りの情熱が、畑仕事にもあったならと一人苦笑。それでも、スイカの花が咲き始めたのを見て、本物の夏が近いことを実感する。

 午後から、昨日撮影した数少ない石仏画像の整理に入ろうと思っている。が、今日は既に何となく疲れているので、恐らく昼食後は長い昼寝をしてしまうだろうと、そんな気がしているので、HPに掲載までは今日一日では行かないだろう。
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6月11日の雨中石仏巡り記

2006年06月12日 | Weblog
昨日11日は、何年ぶりかの雨中の石仏巡りである。しかも、道のない山を登った山頂にある石仏巡りだから、尚のこと全身びしょぬれでの石仏巡りとなる。負け惜しみ的に、この様な雨の中で眺める仏様も良いものだと感想を語った人もいたが、とにもかくにも一生忘れられない思い出深い石仏巡りとなった。
さて、本日のメンバーは佐野市の高橋氏と栃木市の北口氏に私の三人である。9時半に拙宅集合として、雨の中を一路最初の訪問地である今市市小百へ向かう。今回は、運転を高橋氏に任せて私は後部座席を一人で占領。それは思い出せないほど遙かな昔の、自分で運転をしないで向かう石仏巡りだった。
目的の、山の持ち主である福田氏宅へ着いて、まずはご挨拶。そして農機具小屋の前へ駐車して、いよいよここから歩くことになるが、雨は弱くなるところか山地へ来たので益々強くなってきた感さえある。その中を、雨具も着けずに出発。道のない山は一面下草に覆われていて、たちまちのうちに下半身はびしょ濡れ。山頂へ至る本道の崖道は無理なので、大きく回り込んでからそれでも急な斜面に取り付く。生えている樹木に捕まりながら悪戦苦闘しつつそれでも何とか山頂へ到着。仏像鑑定専門家の北口氏は、想像していた以上に素晴らしい釈迦像に感嘆の声をあげる。容赦なく降り続ける雨の中で、写真を撮ったり採寸作業を熱心に行っている北口氏と高橋氏を後目に、私はこれで5度目の訪問だけに今日の天候に写真さえ撮る気がせずに、傘を差しての手助けだけに従事する。そして山を下りる頃には全身びしょ濡れとなって、さらに下山途中では滑って転んでズボンの足元は泥だらけとなる。この全身びしょ濡れ、泥だらけの体で綺麗な高橋氏の車に乗るのは申し訳ないような気分である。
本来なら、その山頂で昼食にしたかったがどうしようもない。下山後は、同じ小百地区の天正年間の重制石幢六地蔵を二基見学がてら、雨音を聞きながら車中での昼食となる。
帰るにはまだ時間があるので、さらに私の薦めで今市市長畑地区にある観音堂を訪ねることにする。その観音堂内には、延宝年間の「観心寺型如意輪観音像」があるので、それを二人に見せるためである。雨は相変わらず降り続く中で、まずは同敷地に建つ中世紀年銘の重制石幢六地蔵等を見ながら、の方に了解を取って観音堂内へ入る。そして、滅多に見られぬ観心寺型如意輪像の素晴らしさに二人とも夢中になる。そういう私も、この如意輪像の写真は良いものがないだけに三脚を構えて今度こそはと撮影する。
これでどうにか、今日の目的であった石仏巡りはプラスアルファーを加えて無事に終了。それにしても、一日中雨にたたられた石仏巡りはその思い出がないくらいに暫くぶりだった。今回ばかりは、晴れ男の私もダメだったようで、来週の週末天気が今から気になるところである。
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6月10日の石仏巡り

2006年06月10日 | Weblog
本日6月10日は、栃木市の大塚町大日堂の石造物調査に早朝から行きました。覚悟していたとはいえ、その場所の碑塔類は酷い状態で乱立していました。そのほとんどが、三分の一近くは地面に埋没している状態で、1基毎にスコップで掘り起こさなければ銘文どころか写真さえ撮れない状態。庚申塔だけで、13基を掘り起こしました。特に庚申塔は寛文からの物が数基あるので、今度はその銘文解読に難儀しました。拓本を取らなければならない碑塔があるので、その水洗いがこれまた大変で、持参した予備のポリ容器に入れてきた水もほとんど使用してしまいました。数基は、今度だれかがここへ来たときに難儀しないよう、埋め戻さずにしたものがありありますが、大きな庚申塔は倒壊しては大変なので仕方なく埋め戻しました。
そんなこんなで、現地へ着いたのは8時前でしたが、終了したのは1時近くになっていました。それでも数基、未調査の碑塔を残してしまいました。とにかく今日は重労働を強いられたので、腹がペッコペコ。そんな今日に限って、昼食を持ってこなかったのでなおさら空腹を覚えました。
他にも、この大塚町の碑塔調査をする予定だったのだが、何はともあれ昼食の買い出しに町の中へ入りました。そしてようよう、コンビニで昼食を調達。そのころには、もう一度大塚町まで戻る勇気はなく、町中の定願寺さんへ目的地変更。昔来たときには、こんなにも綺麗に整備されていなかった気がするのだが…。
取りあえず、庫裡を訪ねて挨拶をしてから、境内にある高い寶篋印陀羅尼塔の銘文を写すことから始める。そして肝心の庚申塔だが、今は墓地入口に綺麗に並べられている。惜しむらくは、写真撮影には不向きな北向きである。個々にある庚申塔を確認作業に入るが、どうにも銘文が読みづらい。それでも、拓本も水ふきもせずに何とか紀年銘だけは読んだが、その他の銘文に多く読み残しをしてしまう。
時間は瞬く間に過ぎ、早3時を回っている。今日は、とにかく疲れたのでこの辺で終了とし、通い慣れた道を通って早めの帰宅となる。

明日は、佐野市の高橋氏と栃木市の北口氏と一緒に、今市市小百の山の上にある天正年間の釈迦如来像を見に行く予定。その為にも、今日は少し休養を取ることにしよう。明日は、のんびり里山の風景を楽しんでくることにしよう。
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6月3日の那須地方馬頭さん巡り

2006年06月04日 | Weblog
昨日6月3日は、今年初めて那須方面の馬頭さん巡りに出かけました。同伴者は、那須行きには必ず一緒の東京在住、橋口氏である。
宇都宮駅で9時に会い、その後は最初の目的地である大田原市へ向かうも、大田原市内で道に迷ってしまう。そもそも、10年以上も前に行った場所、しかも田舎道の田圃のあぜ道にあるネコ像を見に行くのに、事前に道路地図帳さえ見ないで一発で行けるはずがない。コンビニに立ち寄って聞くも、判ったのは自分たちの居る場所だけで、目的地の場所へはどの道路を選べば良いのかが判らない。というのも、当時と違って町中は新しい道路が出来ていて、持ってきた地図(しかもその地図帳は10年以上も前の物)には今居る場所さえ道路が無い始末。それでも何とか、行きつ戻りつしつつも最初の目的地であるネコさんが浮き彫りされた2基が並んでいる場所に到着した。
 次は、黒磯市内へ入った神社の前にある、丸彫ネコ像2体の見物。この場所も、かつては農道だった道が立派な地域の幹線道路になっていたが、流石に所在地が神社だけに問題なく到着できた。ここで、橋口氏がネコの証である首紐について蘊蓄を語ってくれる。この話は、これからのネコ像判別に大いに役立つと一人大喜びする。それにしてもそのネコ像、橋口氏は余りにも像容が良いのと目立つところに置いてあるので、「これは盗まれる!。東京なら、一晩で無くなるだろう。心配だ、心配だ」と、まるで自分の物の様に心配してくれる。確かに、像容的にはかわいい置物のような姿なので盗難を心配する橋口氏の気持ちは分かるが、その手だてが無い以上どうすることも出来ない。また。10数年ぶりに来てみれば、前回とは所在場所が違っていたとはいえ、無事にこうして再会できたのだから、案外とこれから先も無事にここに居てくれるものとポジティブに考えることにしよう。

その後は、いよいよ今日のメインである那須地方の馬頭さん巡り開始である。といいつつ、途中途中の目に入る道路沿いの碑塔を眺めてばかりいて、少しも先へ進まないうちに時計は直ぐに12時を過ぎてしまう。急いで、御幣を背中に乗せた馬頭観音様を訪ねに白河の関への道へ行くつもりが間違って通り過ぎ、またしてもそこで見た馬頭観音様の写真撮り。道をUターンして、ようやく今日の目的の一つである御幣馬頭観音様に辿り着いた。

遅くなってしまった昼食は、更に白河の関へと走った途中の山の中の広場で取る。今日は、橋口氏の持参した高級料亭作、一個ウン千円の超豪華弁当。これには参った。このような豪華な昼食など、以前に食べたことを思い出せないほどの有様で、感謝感激しながらご馳走になる。そして食後は、新鮮な山の空気を味わいながら四方山話しに花が咲き、小時間ばかりをのんびり過ごしてしまう。

美味しい昼食をたらふく食べ、のんびり休んで休養たっぷりの午後の石仏巡りは順調に進み、いつもの橋口氏の馬頭さんに接する優しい眼差しとその慈しみの態度に、案内役の私の方はもうそれだけで嬉しくて、次から次ぎへとそんな橋口氏の喜びそうな馬頭さんを選んでは巡り歩く。そんな今日の最後の訪問地は、長久寺さん境内にある馬頭さん。ご挨拶に行くと、若住職さんが対応に出られて本堂へ招き入れてくださり一休み。そして境内の馬頭さんなどを見、厚くお礼を述べて帰路につく事になった。が、時計はまだ3時半。このままではもったいないと、急遽もう一箇所追加見学と称して自称「馬頭観音街道」へ行こうと国道4号線をはずれる。来てみると、草丈が少し伸びてしまったが何とか写真は撮れそう。手で草を掻きむしりつつ、二人でこの季節ならではの馬頭さんの佇まいを撮影する。そんな私達の姿を見ていた農家の方が、「私の家はあそこだから、お茶でも飲みにきたら」と誘ってくださる。
ところで、調子に乗りすぎ私はここでカメラがゲームアウト。橋口氏も、持参したフィルムは使い切り、残るはたった一コマだけとなる。そんな次第で、写真がこれ以上撮れないことに諦めがつき、ようやく今日の那須の地の馬頭さん巡りを終了する。
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