相変わらず2009年1月24日も、小山市の淡々とした石仏巡りに終始しました。そのほとんどが、過去に一度ならず訪れている場所なので、その時に調べなかった十九夜塔や家畜塔に念佛塔と、単調な作業の記録用紙記入に終始しました。それでも、この飽きてしまいそうな実見調査作業の繰り返しを経なければ、小山市石造物の全体像が自分として実感できないので仕方がないと思っている。それに加えて、今回は天気予報がものの見事に外れ、途中では氷雨が落ちてくる有様で、訪れた寺院で対応に出られた方に、「この寒い中、ご苦労様です」と、向こうは真面目に言ってくれているのですが、私としては皮肉に聞こえてしまう有様だ。多分、手が凍えるような中での石仏巡りをしているのは、私ぐらいだろうと思うと、寒さで根性が少なからずねじ曲がってしまったようだ(^o^);。
そんな訳で、午後二時半くらいに調査台帳が50枚になったことを良いことに、今日は早めに終了して帰宅しようと国道四号線へ出たが、途中の神鳥谷・光明寺さん前で渋滞待ちとなる。そういえば、この光明寺さんも目新しい庚申塔等の碑塔がなかったので、以前に来たときは文字庚申塔調査もパスして何も調べていないことを思い出し、急遽左折して乗り込む。特に、入口にある碑塔群は写真を撮るのもはばかれるような汚さとボロボロ。それでも記録用紙を取り出して淡々と記録を取り、どうでも良い写真を撮影して予定外の調査を完了。そのため、本日の碑塔調査数は60基と暫くぶりに数だけは多かった。そして帰宅し、撮影してきた写真を整理していると、その60基の中でただ1基だけ撮影忘れをしている。それは、乙女地区泉龍寺さんにある宝永年間の青面金剛塔で、その写真はこれまで2度来ていながらいつもその像容ばかりに気を取られていて写真撮影を忘れてしまっていた庚申塔である。従って、今度で三度目の訪問ながら又しても撮影忘れを起こしてしまったことになる。思うに、多分その庚申塔に嫌われているのだろう。鬼さんが正面向きで面白いので、そればかり眺めているのも原因だが…。今回は、今まで眺めていた宝篋印陀羅尼経塔の銘文もしっかり読んできたというのに、である。
それでも諦めず、多分次回も小山市へ向かうだろうと思う。早く、この小山市から離れたい一心で!。