宇都宮市の碑(いしぶみ)を公開しましたが、早速にリンク間違いを起こしていたようですので、只今修正しました。今度は確認しましたから大丈夫だとは思いますが、誤りがありましたら遠慮なくご教示ください。なお、ついでに「勅旌 蒲生君平里」を新たに掲載しました。実はこれ、まだ手拓がしていなかったので、昨日の悪天候を利用して採択に行ってきました。行ってみると、誰がしたのか、拓本を取るのに碑面の方へ墨を塗って行った罰当たりがいまして、特に「勅旌」の箇所は真っ黒に石面が汚れていました。当然ながら、水拭きしてもその跡は取れません。こういう輩が時々いるから本当に困ります。特にこれは、宇都宮市の指定文化財です。しかも、本体はかつて放置されていただけに痛みが酷いので、尚更こういうことをされると本心から憤慨します。それにしても、今年は早くも入梅。土曜、日曜が石造物調査の稼ぎ時だけに、後の5日間は悪天候でもどちらか1日だけは晴れてもらいたいものです。いずれにしても、次回からは二荒山神社の碑に取り掛かります。何とか、雨だけは欲しくないですがこれも自然が相手ではどうしようもありません。困ったものです。
宇都宮市の石造物調査の一環として、宇都宮市の碑(いしぶみ)も調査しています。それが約30基ほどになりましたので、下記のアドレスに掲載しました。画像とPDF(銘文)で出来ています。石仏にしか興味のない方には面白くもないのですが、このような宇都宮市の碑(いしぶみ)をインターネット上で探すことが出来なかっただけに、その意味では興味ある方には美味しい内容かと自負しています。但し、銘文の方は今回も印刷等が出来ませんことご了解ください。
なお、明らかな間違い等がありましたらご教示くださいましたら幸甚です。
明日は、雨のようですので部屋にて資料整理でもしようと考えています。
今回も、宇都宮の碑(いしぶみ)調査でした。しかも、午前中に1基と午後に1基だけで一日が終わってしまいました。本当に、碑(いしぶみ)調査の時間がかかるのには参っています。特に手拓をするとなると、その水洗いから始まる一連の作業で、最後に墨入れするときだけは用紙が乾かぬうちにと焦りまくる作業。本当に、俺は何をしているのだッ!と、自問自答ばかりしているこの頃です。それでもこの二ヶ月で、約30基程の数を調査することが出来ました。毎夜、その校正に追われていますが、見るたびにどこかしか訂正が生じてくる有様に、こちらも食傷気味です。
そして気がつけば、いつのまにか五年程前から始めた2000年以前の調査した碑塔の再調査が進んで、その栃木県内石造物調査数が再び20,000基を超えていました。最初に20,000基の栃木県内石造物の調査が終えたのは、今から6~7年前。そして今、新たな再調査によってその数に再び復帰した。これからも地道に、1基ずつの石造物調査に向かって再出発の気分です。その最終目的は、やはり25,000基でしょうか。新たな5,000基もの石造物をどう見つけて調査するか、非常に悩ましい問題だが、まあここまで来たからには焦らずに進んで行きましょう。
それにしても、私にとって記念となる20,000基目の石造物調査は、自宅庭先にある庚申塔にしようと前々から決めていただけに、知らぬ間にその数に達していたことを知り愕然としている。仕方が無いのでその庚申塔、今度は22,222基目の調査対象にしようとしている。
そして気がつけば、いつのまにか五年程前から始めた2000年以前の調査した碑塔の再調査が進んで、その栃木県内石造物調査数が再び20,000基を超えていました。最初に20,000基の栃木県内石造物の調査が終えたのは、今から6~7年前。そして今、新たな再調査によってその数に再び復帰した。これからも地道に、1基ずつの石造物調査に向かって再出発の気分です。その最終目的は、やはり25,000基でしょうか。新たな5,000基もの石造物をどう見つけて調査するか、非常に悩ましい問題だが、まあここまで来たからには焦らずに進んで行きましょう。
それにしても、私にとって記念となる20,000基目の石造物調査は、自宅庭先にある庚申塔にしようと前々から決めていただけに、知らぬ間にその数に達していたことを知り愕然としている。仕方が無いのでその庚申塔、今度は22,222基目の調査対象にしようとしている。
相変わらず、宇都宮市内の碑(いしぶみ)調査を主体とした石仏調査ですが、今回も少しもはかどらず訪れた場所はたったの4箇所のみでした。特に今回は、個人宅が二箇所だったので、お茶をご馳走になりながらの調査につきはかどらないことこの上なしでした。特にその内の一箇所は、碑そのものが別のお宅に移転されていてそれを探すのにとてつもない時間を費やしてしまいました。途中で、捜査を断念しかけただけにようやく見つけたときは抱きつきたいほどの思いでしたし、その見事な碑にも執念で探した甲斐があったものだと嬉しくなってしまいました。そしてここへ掲載した碑は、今年初めに当初を訪ねた時に確認していたもので、この時代に大砲を発射実験した砲術士が宇都宮にもいたことを知り、驚いたものです。
その概要を下記に記すと、
「戸田宇都宮家臣鳥居流砲術加藤免遊義重行年七十於此野發壹貫目鉛九至三十六町時 天明二壬寅年四月廾四日」
「免遊加藤郷右衛門義重門人 嗣子同郷右衛茂英門人」「享和元年鳥年七月廾3日建之」
とあります。
今回は、またしても途中で腰が痛くなり、加えて風がビュウンビュウンと強く吹いていたので、どの碑も手拓をしたかったのだが断念です。機会をみて、再度訪問するつもりです。
現時点で、宇都宮市の碑(いしぶみ)として調査できたのは丁度30基。あと、10基位は調査できたら一応の区切りにしようと思っているが、それにはあと二ヶ月程を要するのではないかと思っています。それにしても、改めて碑調査の難しさを実感していますし、その調査清書には莫大な時間を必要とすることも再認識しています。漢文の読み下し、これに取り掛かるとまたまた更なる膨大な時間が必要なので、今回はそれを省略しようと思っています。嗚呼、浅学の身を嘆くばかりで困ったものです。
今年の大型連休中は、4月29日・30日・5月4日に8日と4日間の石仏調査が出来ました。数は少ないながらも、宇都宮市街地のいしぶみ調査にほとんどを費やしました。それだけに、神経を集中して調査しましたので、いや~や疲れました。帰宅するとすぐに清書に入り、それが終わるとまた同じ所へ行って再校正。そしてまた校正して仕上げる作業の連続で、クタクタに神経を使ってしまい、とてもとても自分のブログさえ覗くことさえ出来ませんでした。特に最後の8日は、朝から夕方5時までみっちり調査をしたので、今日になるもその疲れが取れずにいます。ここへ掲載したいしぶみ。宇都宮市内での新たな廣群鶴の刻字なるものですが、表面が剥離直前のために今のうちに手拓しておかなければならないと、変な責任感を感じて朝一番に乗り込んで手拓しましたが、三分の二程が墨入れ終わった時に一陣の強風で煽られ、めくれ上がってしまい、嗚呼残念。そのまま諦めるわけにもいかず、再度取り残した部分を手拓したりして、これだけで2時間も費やしてしまいました。その他、見上げるような大きな近世宝篋印塔には梵字での陀羅尼真言が2面に渡ってびっしりと刻まれていた。これには流石の私も降参で、これからの宿題に残してしまった。その他諸々、とにかく今度の連休中は呆れるほど手拓を取りました。それにしても、今回の4日間での石造物調査数は総数で50基ほど。普段なら一日で消化してしまいそうな数ですが、その中身が違います。いずれ、「宇都宮市の碑(いしぶみ)」として、どこに出しても恥ずかしくない内容の冊子に仕上げようと奮闘中です。特に今回は文字にこだわり、刻字されたままの文字を作字しながら時間をかけて清書しています。もちろん、宇都宮の碑として完全に近いものはこれが初めてのものとなります。乞う、ご期待!というところですが、相変わらず自分だけで喜ぶだけの冊子です。
いずれにせよ、このまま個々暫くは宇都宮市石造物調査の仕上げとして、もうしばらく今の状態が続きます。それでも、二荒山神社にある碑(いしぶみ)にはまだ腰を上げる勇気がありません。今回最後の調査として残しておこうと思っていますが、今月下旬には取り掛かれるかなと思っています。
そんな訳で、HPの方への掲載は当分致しません。その分の力を、今の碑の校正に使うことにしています。そうそう、それと宇都宮市の近世宝篋印塔はどうにか足利市の46基を抜いて栃木県では最も多い数になりました。こちらもおいおい一冊に纏めなければと思っていますが、今はその余裕なし、といった所です。
嗚呼、それにしても疲れた連休でしたが充実した連休でもありました。そうそう、それと8日の最後の碑調査で、その台石に几号水準点が刻まれているのに遭遇しまた。嬉しい限りで、今年の大型連休を思わぬ出会いで締めくくることが出来ました。バンザ~イ!。