去る、6月9日に調査した石碑の清書作業にてこずっています、そんな訳で、今回は石仏巡りに行かずその清書作業に打ち込みました。その中の1基、上記に掲載した石碑をいつもの別HPの方へ掲載しました。詳細(但し石碑に興味ある方以外は関係なし)は、以下のアドレスをコピーしてからご笑覧ください。
http://sekibutsu.digiweb.jp/2013%94N%82%CC%8C%8E%95%CA%90%CE%95%A7%8F%84%82%E8%8BL/2013-06/2013-06.html
梅雨に入ったと発表されてから、ようやく昨今はそれらしい天候になってきました。今回は、数ヶ月ぶりの石仏巡りに出かけない週となったが、なぜか石仏巡り以上に忙しい2日間を過ごしました。その一つは、毎年なら晩秋に翌年春に栽培する畑は予定を立てて耕し、元肥などを入れて準備しておくのが常だったが、それをサボってしまいました。結果的にはそれが大失敗の元で、今年の春先にジャガイモを植えつける土地に元肥を入れて耕し、一ヵ月後に種芋を植えたところ、今頃まで元肥にした中の窒素系が多量に土の中に残ってしまいました。その結果、ジャガイモの生育は思いもかけない増長振りとなり、今や背丈は80cmと私の腰の高さまでになってしまいました。これは完全に窒素系肥料の多すぎた悪影響です。従って、今年のジャガイモは、栄養が茎葉ばかりに行ってしまい、多分その実はピンポン玉位までにしか育っていないだろうと思われる。試し堀をすれば良いのだが、今はその結果が判っているだけに恐ろしくて出来ない始末。今更、窒素分を減らすために燐酸やカリ系肥料を追肥しても間に合うわけがないので諦め、せめてもの茎葉の成長が早く止まるまで倒さずに育てようと、いつもなら地中で倒れる茎に支え用の綱を張り巡らすことにしました。これがなかなかの重労働で、果たしてその努力が開花が終わった後での収穫時に報われるのかを疑いつつです。それと、今年はいつもならスイカは2本、カボチャは3本しか植えないのに、自分で種から発芽させたために余分な苗を捨てるのはもったいないと、スイカは6本、カボチャは7本も植えてしまい、今度はその敷き藁作業に大汗をかく始末。特にスイカは、それが食べ頃となった時にどうしようかと今から悩んでいます。とてもではないが、一日に毎日一人当て4個位い食べないと消化しきれないのが目に見えるからです。いっそうのこと、無人販売所でも設置しましょうか(-_-);
そんなこんなで、今回の土曜・日曜は一度もパソコンを触らずに過ごしてしまいました。そして今日、朝から曇り空に雨模様、早朝に、庭に咲きだしたムラサキ露草を写真に撮りましたので、時には石造物ではなくこんな写真もいかがでしょうか。この季節の私の大好きな花の一つです。それにしても、前回調査した石碑文にはてこずっています。毎夜、少しずつ読みくださしているのですが成果はさっぱりです。それが6基、先が見通せないほど暗いです。それに、所詮は手写作業で得た資料だけに、帰宅してその汚い文字を見ると、原文がどんな書体で記されていたのか不安な所も出てきたりと、今更ながらに手拓の大切さを実感しています。そこで次回は、多分また同じところへ行くことになるだろうと思っています。嗚呼、好きで入った碑文調査だが、この頃になってつくづくとその精査の難しさがわかるようになりました。
さて、6月1日と9日の石仏巡りのデータをいつものHPの方へ掲載しておきました。特に1日に精査した石碑は、鹿沼市では興味ある石造物となっています。
今回は、鹿沼市の私にとって注目すべき石造物の最終精査というのか、要するに拓本採りに出かけた。農作業で痛めた腰をかばいながらの手拓作業だったが、何しろ午前中に1基と午後に1基と言う有様なのでのんびり、どうにか今以上に腰を悪くすること無く、これで鹿沼市の拓本採りは無地に終了しました。そんな空き時間に、周辺の石仏調査も行い、今回は特に栃木県では珍しい(私にとっては、初めて目にした使用例)「十九夜供養」の「供養」の文字「供」にニンベンが抜けて「共」となっていました。これって「珍しい」と騒ぐのは私一人なのでしょうか?念のため、下にその台座だけをアップしましたのでご笑覧ください。なお、本体と台座は別々に置かれていました。
そうそう、場所は鹿沼市上久我 寺畑地区の観音堂境内です。その他、色々あるのですがここでは紹介し切れませんので、別HPの方へ近いうちに掲載しようと思っています。なお、同地片隅に板碑の上部だけが置いてありました。古そうなので、紀年銘が欲しかった板碑でした。