石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2013年07月28日は石造物調査報告書の案内です

2013年07月28日 | Weblog

 ついに7月は、目的を持った石造物調査へは一回も行く事無く終わってしまいました。7月前半は、猛暑で出かける気分にもなれず、後半は毎週末は天候が安定せず午後になると必ずと言って良いほど雷様の出番。そして、集中豪雨並みの雷雨となるので、せっかく遠くまで出かけようと計画していながら、それでは時間がもったいなくて出かけられずに終わってしまいました。今週にしても石仏巡りが諦めて、昨日から今日にかけてデスクワークに専念し、今回は上記掲載のような鹿沼市石造巡り報告書としては最後の書を纏めることが出来ました。これで完全に栃木県鹿沼市の石仏調査から逃れられることが出来ます。既刊の「近世宝篋印塔」や「教育関係芳躅碑とその他の石碑」等と比べると、一般的な石仏に関心のある方にとっては面白い石仏や石塔などがたくさん掲載されています。ただ、現時点では2冊だけの作成。それもこれもひとえに面倒だからです。
 さて、次回からは8月。そろそろ今年の暑さにも慣れてきたので、来月からは少しだけ石仏巡りに出かけようかと思っています。ただ、今年後半の石仏巡りの目的地やらが決まっていません。何を目的とするか、或いは特定の地域の石仏巡りにするか、これからゆっくりと考えることにします。それにしても今年の夏は異常な天候です。畑は、秋野菜の季節になってきたのだが、特にキュウリは雨が多くて生育途中でダメになったり、せっかく実り始めたカボチャやスイカも油断していると水びたしとなっていたりして腐らせてしまう有様。早く、夏本来のカ~ッとする太陽が続いてもらいたいものです。そしてこんな日がこれ以上続くと、まだまだ鈴なりになっているトマトもいつダメになるかと心配で仕方がありません。本当に、天候不順には困ったものです。


2013年07月20日は、日光の御嶽山信仰を訪ねて、大真名子山を登りました

2013年07月25日 | Weblog

 今回は、栃木県佐野市在住の高橋様と一緒に、日光の大真名子山を登って来ました。暫く振りの登山なので、足腰の弱った老人二人では果たして山頂に立てるか心配でしたが、実際に登ってみると意外とすんなり9時前に山頂へ立つことが出来ました。上記写真は、その山頂より女峰山方面を撮影したものです。マルバシモツケの花がとても綺麗でした。
 私は花より団子の口で、三神の銅像より暫く振りに味わう山の魅力に酔いしれていました。しかし高橋氏は、それら御嶽講が建立した銅像を3基とも真剣に調査。その姿勢に敬服でした。以下に、簡単に御嶽信仰が当山に勘定された経緯を記して置きましょう。
[日光・大真名子山への御嶽山勧請]
 嘉永四年(1851)に始まり、足利市小俣村の御嶽講、真精講先達の大川繁衛門と日光の御家来であった高野将藍が姻戚関係から生じたもので、日光山では学頭修学院慈観が関与して大真名子山に勧請されることになる。そして文久三年(1863)に、御嶽山座王大権現・三笠山神・八海山神の銅像三体を志津口から山頂までの道に祀った。また、志津口には四基の霊神石碑を建立した。
※、私は石造物調査をしているが、これまでにここへは何度となく訪れているが、今回もその霊神碑を調査することなく、遊び半分に写真を撮っただけに終わっている。ホントッ、その姿勢は高橋氏に比べてなんと言う情けなさなのだろうと思う。
※今週は梅雨が戻った天候で、今度の日曜日まで続くという。この調子では、また石仏巡りへは出かける気にならないだろうと思っている。


ようやく、鹿沼市の石碑調査報告書がまとまりました

2013年07月16日 | Weblog

 今年5月に、栃木県鹿沼市の石碑調査が一応終了したので、ここに掲載したようなタイトルでようやく今回の連休中に製本まで進んで何とか一冊になりました。内容は、鹿沼市の教育関係石碑が26基にその他の石碑が5基の合計31基を纏めたものです。ただ、鹿沼市に於いては重要な石碑未調査が2基+アルファ2基(これは今日まで存在が知られていないもの)があります。まあ、市井の人間が趣味的に調査しているので調査出来ない石碑があって当然と思っているので仕方がありません。体裁は、B5判で71頁。碑文内容と前傾写真に、手拓した拓本の内の15基について、その拓影をB4版で綴ってあるので、実際の頁数はその分が増えます。今回も、読み下し文は掲載していませんので、漢文が読めないとその碑文内容を理解するには苦労するかと、自分を含めて苦笑しています。
 ここのところ、天候が安定せずに石仏巡りに出かけられずにいます。今回の3連休にして、一日を通して気ままな時間に雨が降る変な天候。出かけられない分、デスクワークが進んでの今回の成果。これで、鹿沼市の背k贓物調査報告書は「鹿沼市の気になる石造物調査報告書」を作成するだけです。原稿は出来上がっているので、あとはどう編集して印刷・製本するかですが、これが面倒でまたまたパソコンのハードデスク内フォルダに放置しておく事になるのでしょうね。
 嗚呼、それにしても今回の3連休中には栃木県西那須野町(現・那須塩原市)の石碑調査に行く予定で、準備は万端整えていたのだが残念!次回の石仏巡りは、たぶんその西那須野町になるだろう。


2013年07月11日の暇つぶし

2013年07月11日 | Weblog

 毎日が、35度前後という猛暑日が続いています。朝からグッタリの毎日です。そんな訳で、ということでもないのですが、今年は暑さ厳しき折は石仏巡りに出かけないことにしました。何しろ、歳ですから!と、急に弱音を吐いて老人ぶりをアピール。
 それにしても暑い。我が家で元気なのは、庭に咲くマツバボタンと百日草とスイカにトマトくらいなもの。後は、我が家のネコちゃんに見るまでもなく、み~んなグッタリしています。さて話は一ヶ月くらい前に戻って、6月9日の葛生町と田沼町での石碑調査のこと。その清書にとまどること約一ヶ月。ようやく昨日に、全6基の石碑整理にけりがつきました。特に最後の「訓導磯野協君之碑」にはてこずりました。書体が篆額と隷書の中間文字で記されているため、いつものようにそれに近づけた作字文字では清書が出来ず、仕方なしに手拓した画像を修正してそれを銘文として採用することにしました。その手拓画像修正に手間取り、それだけで勇に一週間を要してしまいました。そして読むにも、篆書体と隷書体の両方の知識が必要で、幾つかの文字では大いに悩まされる結果となり、今更ながらに勉強をサボったことを後悔です。そんな、こだわりの石碑内容をいつものように別のHPの方へ掲載しておきました。よほど暇な方がいらっしゃいましたらご笑覧あれ。それ以外の方は、つまらぬ内容なので無視してください。
 さて、そんなこんなで、次回の石仏巡りはいつのことやら不明です。今は、それよりもたまりに溜まってしまった石仏資料の整理が先のようです。特に、鹿沼市の石碑関係の纏めと同じく鹿沼市の石造物の纏めを作成しなければ先へ進めない状態です。原稿はすでに出来ているので、あとはページ編集を考えて印刷・製本するだけなのですが、それがなかなか出来ずに困っています。
 いずれにしましても、今年も何とかこの暑さを無事に乗り越えていきましょう。