石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

今回は、思いっきり難しい異体字羅列の碑文です。この碑文内容も、一種の災害碑と言えるでしょうね。

2018年02月27日 | Weblog


今回の碑文清書には、とてつもない多くの時間を要しました。本心は、こういう碑文文字に出会うと心躍るのですが、上記掲載文字の一文字がどうしても読めなかったので、その一文字を解読したくて馬鹿みたいな時間を要しました。それもこれも、その個所の意味がもうひとつ理解できない自分の浅学さを実感しています。異体字に堪能な方がこれを見ましたら、それがどの文字かを推定できるでしょうから、是非にご教示賜りたいと願っています。なお、これを撰文したのは寺門良です。
明日からは、過去に調査済みの石碑を先日手拓してきたので、今度はその清書に入るのですが、これがまた江戸末期嘉永年間の物なので傷みが酷いうえに小さな文字。しかも変体かな文なので、これもそれなりに清書までには多くの時間がかかりそうです。3月に入れば、さすがの冬寒も去るでしょうから、そうなるといそいそと拓本道具をお供に郊外にも出かけたくなります。嗚呼、また時間が足りなくなる毎日の連続となるでしょう。好きでやっていることとはいえ、本当に時間が足りなく嘆いているばかりです。

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「栃木の石仏百選」から「山中のお釈迦様」を掲載しました

2018年02月03日 | Weblog


今回の「栃木の石仏百選」からの掲載は今日で最終回です。今回は上に掲載したものですが、実際に見に行こうとすると大変な努力が必要です。その第一が道のない山を登った山頂にあり、しかもその場所へ行く道もありませんので、過去に行った人の案内がなければ行けないのです。また、銘文を読むには拓本の上手な人でないと採れません。それでも、これを見ないと栃木県の石仏を見たとは言えない優れものです。これは、都から戦乱に嫌気した人々が日光を安永の場所としてした人たちが建立したものと考えられます。それにしても、そのお釈迦様の表情は何とも穏やかな表情で、関係者以外は滅多に訪ねてこない山頂でゆったりと過ごしています。最後に、数名の方から、この図書が出来れば読みたいというメール等がありましたが、ここへ転載しました「栃木の石仏百選」の纏め本は、私家本ですので頒価していません。お許しください。

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「栃木の石仏百選」から「星宿の護摩壇」を掲載しました

2018年02月02日 | Weblog

先週に引き続き、昨夜から今朝にかけてまた雪が積もりました。前回の雪かきで痛めた腰が治らないというのに‥。さてそれはそれとして、今回の「栃木の石仏百選」から抜粋しました記事も今回で10回目になりましたので、この辺で終了です。と言いつつ、栃木県の石造物としては県の文化財にしてもおかしくない、素晴らしいお釈迦像が山中にあります。そこで明日も、おまけとしてそれを掲載出来たらと思っています。いずれにしましても、これほど毎日このブログに連続して書き込む経験は初めてです。二度とない経験で首相疲れました(笑)。

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「栃木の石仏百選」から「融通念仏塔」を掲載しました

2018年02月01日 | Weblog

今回は、栃木県では数少ない融通念仏像容塔のご紹介です。ここでは、栃木県内で4基しか実見していないと書きましたが、その後に八基新たに確認しています。また、最も古い紀年銘は上三川町にある寛文七年銘の阿弥陀像容塔です。

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