不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2013年3月23日は鹿沼市の碑文調査と粟野町の石仏巡りでした

2013年03月24日 | Weblog

 昨日は、陽気は申し分ないものの風が強い。そこで今回は、鹿沼市の南部地区にある碑文未調査3基を一気に調査しに出かけた。もちろん、今回は風があるので手拓は後日にと言うことである。
 上記に掲載したのは、その3碑文の中の1基にある篆額?ならぬ題額?、いずれにしても読めない。個人宅にある慶応元年銘の芳躅碑で、ご主人様にも聞いたが無理であった。3文字×4列の12文字と思われるが、読めないことにはどうしようもない。そこでお願い、誰かこれを読める方がいましたら是非ご教示ください。と、記しましたが、改めて碑文内容を清書していて判ったのは、それは「日文(ヒフン)」という神代文字でした。未だ、全文字は解読に至りませんが少しずつ読めるようになってきました。まあ、そのうちに全て読んでみようと思っています。掲載した画像は、手拓からのものです。こういう文字に出会うと、本当に情けない話で自分の無能振りをさらけ出してしまいます。そして、何が碑文調査だ!と。
 さて、午後は粟野町の医王寺さんへ個人的用事があって訪問。そのついでにこれまで何回も来ていながら石仏調査をしていなかったので、ついでに今日は当地にある石仏を調査することにした。どこと、どこにあるかは既に知っているので調査は早い。ささっと終わらせて、そういえば隣の天満宮にある狛犬は粟野町の狛犬の中でも面白いものだったことを思い出し、再訪する。それが以下に掲載した阿形の方の狛犬を正面から撮影したものである。紀年銘的にも、寛政八丙辰年二月吉日とある優れもの。嗚呼、早く鹿沼市を終わらせて今度は粟野町の石造物調査に再度入りたいと思う私であった。

と言いつつ、次回も恐らく鹿沼市の石造物を調査しているのだろうと思う。もう少し、碑文調査の続きをしようと!
そうそう、それと2月以来サボっていた鹿沼市の石仏巡りで撮影した写真をHPの方のいつものページの方へ3月16日までの5回分を一気に更新しました。お暇な方は、覗いてください。

コメント

2013年3月16日も鹿沼市の石仏巡りでした。

2013年03月20日 | Weblog

 今回も、昨年に訪ねながら天候と時間の関係で手拓が出来なかった鹿沼市上大久保地区へ行きました。今回は、風もなくシメシメと思いながら手拓作業に入ったが、画仙紙を水張りしている途中で南風が吹き出して上記写真に見える右側の拝待二猿塔は、途中で断念せざるを得ない。このまま撤退するのは悔しいので、今度は画仙紙を半分にして左側にある四角柱文字塔の手拓に挑戦。画仙紙を半分に切れば、あまり苦労することも無く水張りが出来て長年何としても確信が持てなかった種子に銘文がはっきり解読できた。しかし、そこに出てきたのは、私には読めない田舎種子であり、読めないことが判っただけ。また銘文にしても、奉造立巳午待供養諸願成就之攸とあり、その巳午とある信仰内容が理解できない。困ったことだが、この程度の知識しかない自分に苦笑するしかなかった。いずれにせよ、これでこの場所もようやく一区切りが付いたことだけは確かなのでよしとしよう。その後は、周辺をうろついてから南下し、先週に訪れながら時間切れで訪ねられなかった上久我地区の初鹿沢の不動堂へ行く。この地にある拝待二猿庚申塔も拓本が欲しくて行くが、結局は手拓は諦めてしまう。主銘文が、奉信礼青面金剛供養處とある享保三年銘だが、何となくけだるい陽気のせいで億劫になっただけで!
 その後も、あちこちとうろついたが思うような成果は挙げられぬまま、念願だった手拓一基が入手出来ただけで今回は満足しよう。嗚呼、それにしても帰宅してから巳午供養には悩まされそうである。

コメント

2013年3月9日も鹿沼市の石仏巡りでした

2013年03月11日 | Weblog

3月9日の土曜日は、異常な暑さにフウフウ言いながら鹿沼市の石仏巡りでした。加えて風は台風のように強く、最初に手拓のために訪れたお寺さんの碑文拓本採りには前回に増してまたしても苦労しました。画仙紙を途中で風に飛ばされて2倍使用する羽目になり、それでも挑戦するも途中で風に引き切られてずたずたの拓本となりました。家に帰ってから、それらの修復に二度苦労しました。そこで拓本を取り終えた段階で、平地にいては石仏巡りも出来ないと考え、山地となる鹿沼市上久我地区へ移動しました。するとどうだろう、流石は山々に囲まれたの風はそよ風程度でしたので、喜びは大なるものがありご覧のような庚申塔を写真に取ることが出来ました。本当は、これは手拓しようと思っている庚申塔の一つなのだが、流石に今日は遠慮した。猿等の像容は彫りこまれてないが、その分ご覧のように見事な蓮が浮き彫りされている。銘文共々に正徳期の栃木県内でも数少ない秀作庚申塔です。まさに眼福眼福といった思いで、初夏のような中でその素晴らしさを味わってきました。
この周辺の山際には、その他にも沢山の石造物があり、残り少なくなった時間をどう有効に使おうかと悩みながら、その後は個人の顕彰碑の手拓採りに決めて、風も吹き込まない場所でルンルン気分で本日2基目の拓本を採ることにしました。時計は既に午後4時になるので、もう一箇所へも行く予定だったが、そう欲をかいてもいけないと次回に繰越として帰宅した。今の3・4月は、山地の石仏巡りの絶好機。何しろ下草は無くて見通しは良く、熊さや猪等の獣達も出没しないので、安心して山の中に入れるし、加えて手拓するにも最高の季節、それだけに行きたい所は鹿沼市と限らず県内全域に及ぶ。それでも多分、次回も鹿沼市のどこかで石仏とにらめっこしていることになるだろう。

コメント

2013年3月3日も鹿沼市内の石仏調査でした。

2013年03月05日 | Weblog

 今回も、絶好の手拓日和となったので、午前中は何度か行って拓本を採ろうとしていた鹿沼市野沢町の共同墓地へ行き、念願の個人顕彰碑手拓から開始です。ただ、朝一番のために風は無いとは言え、野原の中に立つ碑とあり画仙紙を取り出してみると結構風があるが、そんな事を言っていたのではいつまでたっても埒が明かないので、一気に勝負。相変わらず、用紙止めのテープを使わずに一気に水張りして直ちに墨入れ。半切で二枚半ほどだったが結構順調に作業は進み、まあまあ満足のいく拓本が採れた。とは言え、最期の最後の段階で、石工の名前まで来たときに風に煽られ、その石工の名前のところの墨入れが薄くなってしまったが、まあご愛嬌と言ったところです。もちろん、最期にその石工名だけ別に採り直しましたが‥。問題はその後の、篆額の手拓です。気温が上がるに平行して風は強くなり、画仙紙を持ち出しただけで、バタバタと風に煽られる。エイ、ままよ!と、一気に水張りしたがやはり大きな皺がよってしまったが、これも一気に墨入れして何とか見られる拓本が採れた。そんな手拓作業をしている脇の休耕田では、いつのまにかこの季節ならのセリ採りの人たちが少しでも多くと夢中になっている。いつもなら、私もそんな一人に加わるところだが、今日は午前中にもう一箇所行きたい所があるのでその場を離れる。その途中、農家の敷地内に碑が立っているのが目に入る。幸い、庭に家人がいたので見せてもらうと、それは明治始めに当初の川が氾濫したときにその川に流されて死亡した家人の災害碑であった。石工の腕が悪いが、それを撰文したのが当地の教育者として知られた青木幸躬である。その意味では、記録に残しておきたい気持ちもするが、次回に考えることにする。
さて、次に向かったのは今回で4度目の楡木町共同墓地にある上野麗一郎墓碑。拓本を2度採るも、まだ5文字が読めない。そこで今回はその5文字だけを何としても解読したいとした。相変わらず、金属ブラシで墓碑面についた石苔と水垢を掃除し、そして1文字ずつ丁寧に手拓する。その成果は抜群で、これまで三度悩んでいた文字が今度ははっきり読めた。これで今日は、二基の碑文調査を終了することが出来たので、大満足。昼食は少し遅くなってしまったが、場所を日吉町の雷電神社へ移して取る。食後の一休みをしてから、この地にある自然石の解読に取り組むが、どうあがいても私には解読不能。手拓しても用紙がもったいないと考えて、その地にある石仏を調べてから、やはり何度も来ている日吉神社へ行く。だが、日吉神社は日陰となっていて寒く、早々に立ち退き、帰路に楡木町の成就院へ立ち寄る。この成就院も過去に調査済みだが、その時に調査した碑塔の幾つかが見つからない。仕方なく、残りの碑塔を再調査してから今日の石仏巡りに飽きてそのまま帰宅する。その成就院の十九夜塔上部に見える如意輪観音像、珍しくその足が踏み下げ形になっている。建立されたのが昭和三十一年と新しいので、既に如意輪観音像の像容が石工には判断できなかったのだろうと思うが、それも時代の流れと見て、楽しく拝見した。それがここへ掲載した写真である。

コメント

「東京都23区の庚申塔 3」 書籍のご案内

2013年03月01日 | Weblog

上記掲載の書籍は、「多摩石仏の会」の鈴木俊夫様と犬飼康祐氏二名による合作です。東京都内の庚申塔を追いかけて30余年、鈴木大先輩の完璧なまでの調査内容を、さらに犬飼庚祐氏が念には念をと校正して、印刷や製本などを同じ犬養氏が担当して初めて出来た書籍です。今回は、そんな東京都内全域の内の3冊目で、残るはあと一冊分。犬養氏の後書きに、年内には完成させたいとあります。その4冊で、東京都内の庚申塔は全容を現すわけで、本当に素晴らしい資料です。しかも、前回も述べたかもしれませんが、良くある無用な解説や分析などが一切なされておらず、淡々と資料だけの網羅に、近頃の書籍には無い「本当の資料集」として非常に好感が持てます。
 そうそう、サイズはB5判で今回のページ数は557頁から882頁までとなっています。庚申塔に興味のある方なら是非とも欲しい書籍ですが、一冊ずつの手作り本なので多分余分にはあっても数冊でしょうから入手するのは難しいでしょうね。頂いてからまもなく1週間、毎夜眺めていて礼状もまだ出していない有様。今夜には、その礼状書きをしましょう。

さて、先週の週末は凄い大荒れの天気でしたね。流石の私も、完全にお手上げでどこへも出かけずに部屋でおとなしくしていました。そして早くも明日は土曜日。どこへ行こうか未計画状態ですが、明日になってから出かけるか否かを決めようと思っています。

コメント