昨日は、陽気は申し分ないものの風が強い。そこで今回は、鹿沼市の南部地区にある碑文未調査3基を一気に調査しに出かけた。もちろん、今回は風があるので手拓は後日にと言うことである。
上記に掲載したのは、その3碑文の中の1基にある篆額?ならぬ題額?、いずれにしても読めない。個人宅にある慶応元年銘の芳躅碑で、ご主人様にも聞いたが無理であった。3文字×4列の12文字と思われるが、読めないことにはどうしようもない。そこでお願い、誰かこれを読める方がいましたら是非ご教示ください。と、記しましたが、改めて碑文内容を清書していて判ったのは、それは「日文(ヒフン)」という神代文字でした。未だ、全文字は解読に至りませんが少しずつ読めるようになってきました。まあ、そのうちに全て読んでみようと思っています。掲載した画像は、手拓からのものです。こういう文字に出会うと、本当に情けない話で自分の無能振りをさらけ出してしまいます。そして、何が碑文調査だ!と。
さて、午後は粟野町の医王寺さんへ個人的用事があって訪問。そのついでにこれまで何回も来ていながら石仏調査をしていなかったので、ついでに今日は当地にある石仏を調査することにした。どこと、どこにあるかは既に知っているので調査は早い。ささっと終わらせて、そういえば隣の天満宮にある狛犬は粟野町の狛犬の中でも面白いものだったことを思い出し、再訪する。それが以下に掲載した阿形の方の狛犬を正面から撮影したものである。紀年銘的にも、寛政八丙辰年二月吉日とある優れもの。嗚呼、早く鹿沼市を終わらせて今度は粟野町の石造物調査に再度入りたいと思う私であった。
と言いつつ、次回も恐らく鹿沼市の石造物を調査しているのだろうと思う。もう少し、碑文調査の続きをしようと!
そうそう、それと2月以来サボっていた鹿沼市の石仏巡りで撮影した写真をHPの方のいつものページの方へ3月16日までの5回分を一気に更新しました。お暇な方は、覗いてください。