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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

必死になって、7月10日17日、24日の画像紹介をUP!

2010年07月30日 | Weblog
7月3日以来、別HPの方の石仏巡り結果報告をサボっていましたが、昨日の涼しさを幸いと、必死になって掲載しました。いつもの私なら、3回分も溜めてしまった画像を一気に掲載する場合、かなりの数を省いてしまうのですが、今回だけは真面目?に載せました。したがって、今7月号は今までに無い多数の画像紹介となりました。尤も、内容的には相変わらずのものですが…。興味のあります方は、ご笑覧ください。
以上、ご報告まで。
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2010年7月24日は栃木県上河内町の石仏巡りでした

2010年07月25日 | Weblog
この暑さにも関わらず、今週も石仏巡りに出かけてしまいました。但し、今までの栃木県南部地区から北部地区へさすがに移動しましたが…。
さて最初に向かったのは、今市市と東部で接する上河内町宮山田地区の謡辻にある愛宕山神社でしたが、

その場所は、ご覧の写真のように入り口からして夏草に完全に覆われていて、それを見ただけで登るのを断念です。写真中央に、鳥居が写っているのが分かりましか。その鳥居まで完全に夏草の獲物となって覆い尽くされている有様です。ここには、素晴らしい像容塔があるのですが、それが紹介できなくて残念です。それでも、周辺の石仏を数基再確認(既にこの辺の石仏は1990年代に調査済み)してから、更なる山に囲まれた高間木というへ向かいました。内の消防小屋前に車を乗り捨て、それからは内探索です。そして内のあちこちのお宅を訪ねては情報収集し、これまで未調査だった碑塔を10基あまり調査することが出来ました。しかしこの頃から些か夏バテ気味となったので、石仏調査を中断してすぐ近くの鬼怒川へと向かい、その清流にて汗グショグショの身体を拭いたり足を流れに冷やして大休憩としました。あまりの気持ちよさに、まだ11時を少し過ぎたばかりだと言うのに早くもここで昼食時間とする。そして延々と涼んでばかりいて、ようやく石仏調査に動き出したのは、午後も1時近くになってからだった。しかもそこは、今休んでいる場所の隣にある、逆木水神神社という有様だ。しかし、そこには大きな明治の鬼怒川治水碑があり、その全文を記録していなかったので、それに挑戦である。すっかり元気になった身体なのに、わずかばかりの山登りで着いた頃には、又しても全身汗ビッショリ。それでも、銘文内容を知りたさにこの記念碑の前に立って約450文字を書き写す。

まあ、こんな真夏の真っ最中にこんなことをしているのは、全国でも私一人だろうと苦笑しながら、流れ落ちる汗と約1時間戦いながら、何とかものにしました。
終了後は、又しても鬼怒川の清流で一休みし、これからどうしようかと思い悩む。それでも、このまま帰宅せずに次なる場所へと移動した自分に感動ものである。昔に訪ねた、山の中に祀られている男体山碑を訪ねたりして、又しても大汗をかく。そしてどうせならと、その勢いを駆って小室地区の高おかみ神社の碑塔再調査である。ここには、栃木県では見られない享和銘「二十三夜御鎮座」と言うのと文化銘「二十六夜御鎮座」という自然石文字塔が建立されている。写真は、そのうちの「二十三夜御鎮座」塔である。

もちろん、その他にも多数の石仏が並んでいたり、本殿裏には金精神としての立派な丸彫り像も祭られている。ただ、神社前の急斜面に建立されている石塔には、それを調査するにも写真を撮影するにも足元が不安定で危険である。この日も、写真撮影のためだけで二度も急斜面を下まで滑り落ちてしまった。走行しているうちに、早くも時間は過ぎて4時を回っている。今回はここまでとして、後は通いなれた道を通って帰宅し、何よりも先にシャワーを浴びた。
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暑中お見舞い申し上げます

2010年07月23日 | Weblog

暑中お見舞い申し上げます。
今日は「大暑」。この暑さにも関わらず、まだ何とか冷房を使わずに過ごしています。下手に冷房を入れると、老いた体に無理が来てかえって夏バテしてしまうからです。それでも、パソコンの熱には閉口しています。そんな言い訳で、ここのところは別HPの方の石仏巡り記を2週間続けてサボってしまいました。そして暑い暑いとぼやいていて、早くも明日は土曜日です。この暑さの中では、石仏巡りどころではないと分かっているのですが、それでも室内に居るよりは野外ステージにいるほうが私らしいと、へんな屁理屈をつけながら明日の朝になると、どこかへ出かけるのでしょね、多分。そんな時の、私の移動手段としての車にも冷房はなし。窓と言う窓は全て全開し、スピード違反すれすれの速度で全身に夏風?を受けながら運転して目的地(別に定めていない)へ向かいます。もちろん石塔などのある所へ着けば、そのまま車の窓を全開して放置。時には、路肩や公民館等へ止めたまま1時間以上も放置することは日常茶飯事。その余りにも大胆さゆえに、これまで一度も車の被害にあったことはありません。影の声としては、「あんなボロ車に、貴重品などある訳無い」と思われているそうだが…。いずれにしても、そんな思いっきりの汗をかくことが、私にとっての最大の「夏バテ」防止策である。
いずれにしましても、皆様御身体大切に! 掲載しました写真は、自宅隣の雑木林で今朝撮影したカブトムシ君です。毎日何度も、子供達がカブトムシ捕りに来るのですが、それでもいつのまにか毎日どこからか飛んでくる。その自然の偉大さに脱帽です。
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ついに梅雨が明けた17日、しかし同じ西方町です。

2010年07月20日 | Weblog

 今年もついに、梅雨が明けました。猛暑を覚悟で、前回同様に栃木県西方町の石仏巡りとしましたが、本当に暑かったです。それでも、今回は午前中に見逃していた真名子地域の墓地などを探索しましたら、12基も始めてお目にかかる碑塔を調査することが出来ました。本日の成果はこれで充分と、その後はお昼に相応しい場所(山の中の清流のあるところ)へと、一山を越えて行き、そこでたっぷりと体力回復に努めました。もっとも、相変わらずアブの出現には悩まされましたが、清流に足を冷やしながらの熱々ラーメンの味は格別でした。誰も入らない林道ですから当然のこととはいえ、本当に静かな中での休憩についつい午後からの石仏巡りが億劫になりました。そこで、午後からは西方町の石仏巡りを中断し、となりの都賀町の要再調査碑塔を訪ねることに方向を変えました。それらの場所は、共に木陰の中にあるのをしっていたので、今日のこの馬鹿暑さに対抗しして午後は少しでも涼しいところでの石仏調査としたのです。特に、「地蔵菩薩本願経」からの出典である「地蔵名字人若聞 乃至見像瞻禮者 香華衣服飲食奉 供養百千受妙樂」の偈文が入手できたのには満足。また、大橋地区の八幡神社境内にある徴発軍馬碑の漢文銘文もどうしても手拓が欲しかったのですが、今回はそんな暑さ逃れのために訪れ、心行くまでのんびりと手拓することが出来ました。お礼として、薮蚊に少しばかり献血?してあげました。
 そして時間を見ると早くも3時を過ぎていました。この時点で、経の石仏巡りは終了とし、帰り道でまた西方町を通ったのを幸いと元地区のまだ通っていない道を遠回りしながら行けば、会社の敷地内にて、二基の「馬力神」を発見し、これまた大喜びして早めに帰宅となりました。
 いや~あ、それにしても前回に増して今回は日焼けしました。まだ、夏に入ったばかりだと言うのに、腕や顔はすでに赤銅色に輝いています。そこで、次回からは今夏の暑さから少しでも逃れようと、宇都宮以北へ移動することにしました。西方町は、あと少なくも一回の再調査が必要なのですが、まあそれは秋以降に実行することに致しましょう。
 そうそう、ここへ掲載した写真は西方町でも、最も西北になる真名子地区林道沿いにある文字塔です。それでも、その中には「千手観音」とあるのがこの地方では珍しいものです。
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2010年7月10日も栃木県西方町の石仏巡りでした

2010年07月11日 | Weblog

 朝から真夏を思わせる、ギラギラした太陽が輝いている。先週の反省から、替え着を持って本日は西方町の中の本城地区を終わらせようと意気込んで乗り込む。本城地区の主だった場所は探索済みにつき、今回は最初から聞き込み調査から開始である。そして大沢田地区に廃寺跡があり、そこには沢山の碑塔があることが判明。喜び勇んで行けば、そこが大沢田地区の集会所となっている場所だった。そう、うかつにもこの地区の集落センターを見逃していたのである。そこには享保年間の庚申塔を始めとして十九夜塔が何基も並んでいる。朝一番からの大ヒットに大喜びで調査に専念したのは言うまでもない。今日は、ここ暫くぶりの快晴なので、それらの碑塔写真撮影もバッチリである。さらに、その燐家に住むご主人から、仲宿坪の墓地内にも私の見ていない十九夜塔があるという情報を頂く。ここの調査を終えて、その場所へ行ってみればそこは小さな墓地なので所在を確認しながら面倒で立ち入らなかった墓地。そこにも、6基もの十九夜塔が並んで建立されていた。早朝から、いきなり合計で19基もの新しい碑塔を調査できた嬉しさで、その後は過去に調査済み碑塔の再調査へと切り替え、まずは長徳寺さんへ向かう。ここも古くは1995年に調査済みなので、見落としや記録間違いが無いかを確認して行く。そんな時、地元のご婦人が本堂の掃除が終えたから一緒に一休みしましょうとなり、冷たい飲み物や茶菓子をご馳走になりながら世間話となり、時計は早くも12時となる。
この次の訪問予定は、すぐ近くにある同じ曹洞宗の寒露寺さんなので、その隣の運動公園へ行き、木陰でのんびりした昼食時間となる。
そんな昼食時間も12時45分には飽きれ、早速午後の最初の訪問地として寒露寺さんへ乗り込む。当然ながら、ここも既に調査済みなので、することは写真撮影と銘文確認だけである。そんな折り、住職さんが出てこられて、何としても読めない碑があるので、それを教えてもらいたいと言うことになり、それからは住職さんのいう碑の石文解読となる。その後は親しくなって風通しのよい境内でやはり冷たい飲み物をご馳走になりながら石仏等の話となり、道路沿い入り口にある碑塔を一緒に見たりして長居をしすぎて、時間は又田夢魔に過ぎて早くも3時半を回ろうとしている。予定では、もう少し本城地区を巡る予定だったのだが、寒露寺さんを辞してからは今日の思わぬ新しい収穫に加えて、訪ねた二ヶ寺さんでの心温まる接待にも嬉しくて、そのまま今日は終わりにして早めの帰宅となる。それにしても、今日一日で顔も腕も赤銅色になってしまった。家内に言わせると、皮膚癌の元だと脅迫されてしまう。
掲載した写真は、最初に訪れた大沢田地区の碑塔風景一部である。地元の方の話では、ここに「ショウトク院」とうお寺があったそうです。さて、次回も飽きずに西方町を訪ねる予定です。
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2010年7月3日も西方町の石仏巡りでした

2010年07月05日 | Weblog

前回に引き続き、今回も執拗に栃木県西方町の石仏巡りに出かけました。いや~あ、それにしても蒸し暑かったです。今年初めての、汗が流れ落ちるままの石仏巡りとなりました。そして日向で大汗をかき、次の場所はカブトムシがいる森の中の冷風に当たるという石仏巡りのため、午前中で早くも鼻風邪気味となり鼻水とクシャミが止まらなくなる。これはヤバイと、途中で裸になり小川の水で全身をふき取るもその症状は止まず、どうやら午後には完全に夏風邪状態。それからは汗を拭いているのか、鼻水を拭いているのか分からぬままの石仏巡りとなる。
 さて、今回の石仏巡りも前回同様、昔に調査した碑塔の再確認とあわよくば新規の碑塔実見と言うことで、その数だけは沢山見て歩いたが肝心な未調査碑塔発見は僅かな数で10基に満たない有様。それも、冬場でも逃げてしまうような廃寺跡の無縁墓塔中。誰も手をいれないので、この季節は夏草に完全に覆われている中、それらの夏草を足で踏み倒しながらの中で、数基の新たなる碑塔を見つけました。また、真名子地区の大宮神社では1995年以来と言う、念願の石文を手拓することが出来ました。もっとも、その場所はやぶ蚊の大群が住んでいるところ。おまけに、大気中の湿度がありすぎて水張りした用紙は少しも墨入れ出来る状態にならない。そこで、神社の本殿に腰掛けて野鳥の声を聴きながらの待ち時間として気長に待つこととした。そんなこんなで、手拓が完了したのは、汚い碑面の水洗い開始から一時間以上も経過していた。もちろん、手と顔はやぶ蚊の執拗な襲撃から逃れられずに被害甚大となったのは言うまでもない。
 多分、次回も懲りずに西方町の石仏巡りに出かけるのだろうが、今度は替えのシャツを持っていくことと、虫刺され用の薬持参としよう。そうそう、帰宅してからも鼻水とクシャミは止まらず、完全に夏風邪にやられたようだ。幸いにも頭痛等はしないのでシャワーを浴びてさっぱりしてから買い置きの風邪薬を服用する。そして朝起きてみれば、昨日の寝るまでのクシャミは何だったのだというくらい、夏風邪はどこかに去っていた。まだまだ、体力に自信ありというところか。
さて、ここへ掲載した写真は、そんな石仏巡りの途中に立ち寄った真名子地区の曹洞宗 洞雲寺さんの参道沿いにある碑塔風景の一部です。ちなみに、ここにも沢山のやぶ蚊がいましたが、ここを訪れるのは三度目につき、余裕の写真撮影でした。
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