石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

今回は、栃木県佐野市の旧田沼町に限定した、また個人頌徳碑の石碑調査報告書です

2024年10月17日 | Weblog

栃木県の平成合併前の行政区分で言っても、今は佐野市と合併しました田沼町は、それらの行政区分で最大数の石碑所在地です。今回も何とか一冊でまとめられないかと、明治後半から昭和に入っての建立石碑は削除してしまおうかと考えましたが、そこがまた、田沼町石碑の最大の魅力なので、仕方なしに今回の頌徳碑を上巻として報告書を作成しました。目次も掲載しておきましたので参考にして下さい。また、私が選んだ栃木県三名石碑として、田沼町で二基を選びましたので、特別に図版として掲載しました。もっとも、この報告書は自分用の一冊しか作成していませんので、誰も見られませんが。
それでは今回も、表紙画像と目次画像です。
そうそう、それと「赤尾思敬先生」の墓碑は、この田沼町石碑調査書の次の下巻に取り上げていますのでご心配なく。この下巻も、年内中には製本まで終わると思います。そしたら、またその報告をここへ掲載しましょう。



 

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今回は、栃木県田沼町・密蔵院の宝篋印塔の銘文調査報告です。

2024年10月08日 | Weblog

この宝篋印塔を手拓したのは昨年の八月下旬。その後は余りにも文字起こしするだけでも大変なのに、その銘文の概略だけでも訳すだけでも「こりゃ~大変だわ」と放置したまま県内東北部の地域の石碑調査に取り組んで早くも1年以上が過ぎてしまいました。いい加減に、もうそろそろ調査報告書をお寺さんに提出しなければと、一大決心をして今月2日から開始して何とか昨日に完成して提出用のA3用紙に印刷して終了しました。そして今日は、朝から自分用に保存しようと眺めていたら、各所に訂正やらが沢山出てきて「ああ、こりゃ~まいった」と嘆くが既に出来上がっているのでもう一度やり直す気力はなく、そのまま訂正する気力はなくなったので、持参したときに言い訳して許してもらおうと思っている。
そんな、中途半端な調査報告書となってしまったが、これをご覧の皆様も笑いながら見てください。なお、銘文中に「私には不読。意味不明」とある場所の一つでも良いですから分かるところを教えて頂きたいと思っています。なお、読み部分は、仏教の意味が正しく理解できぬまま訳しましたので、お許しください。
それでは、画像が8画像も続きますが、面白半分に最後までご覧いただけましたら幸いです。

以上です。こんなつまらぬものを最後までご覧になりました方に拍手喝采です。

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今回は「栃木県佐野市の石碑」調査報告書のご紹介です

2024年10月03日 | Weblog

今回も、前回の掲載から60日以上も過ぎての掲載です。別に、石碑調査等をサボっていたからではなく、その逆でここへ掲載する手間暇もなくあちこちと動き回っていたからです。加えて、横浜から先輩・後輩が6人も来て、日光への一泊山旅を楽しんだりと、それはもう忙しい時間を過ごしていました。その結果、前回にご紹介した「佐倉市の石碑調査」報告書も、新たに調査し直したり画像や全体構成を変えたりして新版書を新たに印刷発行することが出来ました。
そして今回は、印刷段階まで終了していながら発行できなかった「佐野市の石碑調査書」が197ページといういつになく厚い報告書が出来上がりました。表紙と目次だけですが画像で掲載しましたのでご報告いたします。
当然のことながら、一冊手作りするのに大変なので、今回も頒価するつもりはありません。

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