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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年3月29日も栃木市の石仏巡りでした

2008年03月30日 | Weblog
 2008年3月29日も栃木市の石仏巡りに出かけました。先週に予想した桜はまだ咲いていませんでしたが、カタクリは満開でした。やはり、私には町中の石仏巡りよりは里山に囲まれた所での石仏巡りが似合っているようで、本当にノンビリできた一日でした。お陰で、カタクリ祭りを行っていたおばさんに呼び止められて、手作りの草餅を購入する羽目になりましたが…。でも、帰宅してから食べたらおいしかったです。
 今回は、一日で三基の宝篋印陀羅尼経塔調査には流石に疲れました。特に、先週さぼった梅沢町大日堂にある宝篋印塔の解読には手こずり、四面を手拓するだけで1時間以上もかかってしまいましたが、お陰で滅多に出会えない偈文が読めて苦労のかいがあったと大満足しました。出流山満願寺へも、本当に暫くぶりに行きましたが時間がもったいなくて入口周辺の碑塔を調査しただけでした。いずれ、暇が出来たときにでも山遊びを兼ねて再訪することにしましょう。最後に星野町へ入り、むかし見た碑塔群を訪ねましたがあった所になくて少なからず慌てました。地元の方に聞いたら、少し先の所へ移動したとのことで行ってみれば、昔はのびのびした風景の中に立っていたものが狭い場所に集められていて、少なからずガッカリです。
 それでも、朝8時20分から夕方4時20分まで一日をみっちり有効活用し、恐らく本格的な栃木市の碑塔調査はこれで終了になるだろうと言う思いで調査できました。もっとも、そう言いながら今回もご紹介するような石仏画像は少ないので、またHPの方は適当にごまかしてしまおうと思っています。
 いよいよ、次回からは四月。次回からは目的地を定めず、あちこちと栃木県内を彷徨うつもりです。このような石仏巡りは、結果として虫食い地域の調査となってしまうのですが、何しろ季節がよいので栃木県北部の山地へ入りたくなったからです。もちろん山遊びを兼ねますから、この2〜3月のような数多くの碑塔調査は出来ませんが、その分を精査に当てようと思っています。いずれにせよ、来週はお花見の石仏巡りです。早くも、どこが良いか思案中です。以上
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2008年3月22日も栃木県栃木市の石仏巡りです

2008年03月24日 | Weblog
 2008年3月22日も栃木市の石仏巡りに出かけました。ただし、今回から市街地から離れて栃木市北部の山間部へ移動です。春の息吹を感じる里山を中心とした所なので気分は爽快。また、市街地と違っての人々は親切で、碑塔の場所を尋ねれば喜んで案内やら知っている人にまで聞いて教えてくれました。お陰様で、今回は石仏巡りと共に土地の人々との楽しい会話も弾みました。そんな楽しい一日の石仏巡りで、栃木市の実見した碑塔の数もついに1,039基となりました。ただ、梅沢町の大日堂隣にあった宝篋印陀羅尼経塔は、浅い彫りに加えて一面に11文字×11行という文字数4面に恐れをなして、解読は次回へと繰り越しました。これも手拓しない限り、全文解読は無理だからです。
 お彼岸中とあり、墓地では沢山の人々と出会い会話も楽しみましたが、そのお陰で今まで見逃していた宝永年間の合掌型六臂青面金剛像塔をお墓の中で新たに見いだすことが出来ました。
 さて、来週も今回の地区から更に山地へと足を伸ばす予定です。出流山や星野の里などで、幾つ見つけられるかが早くも楽しみにしています。桜も咲き出す頃ですので、お花見気分となって碑塔調査どころではないかも知れませんが…。
 そうそう、今回もHPの方へ掲載するような画像はあまりありません。期待しないで下さい。なにしろ、十九夜塔の密集地帯だからです。
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2008年3月15日・栃木県栃木市の石仏巡り

2008年03月16日 | Weblog
2008年3月15日も、栃木県栃木市の石仏巡りに出かけました。今回は、栃木市内の総集編として市街地を歩き回りました。いやあ、春を通り過ぎて初夏のような陽気も加わって、流石に終わって、市役所の駐車場へ着いたときにはどっと疲れが出ました。ちなみに歩いた町名は、平柳1丁目、同二丁目、城内町、入舟町、万町、泉町、大町、嘉右衛門町、旭町、河合町、湊町、室町に樋ノ口町です。そして調査碑塔数は、総数で45基でした。特に今回は、過去に訪れている場所も多かったので、再調査をサボったり、写真撮影もしなかったから訪れた場所が多いにもかかわらず数が少なかったのかもしれません。また、一日で3基の宝篋印陀羅尼経塔調査となったり、住職さんとの会話が弾んだので思わぬ時間がかかったことも一因です。
 さて前回のこのブログで、栃木市のお寺との相性の悪さを記しましたが、今回はその反対に大変気持ちよく接してくれましたお寺さんをご紹介しましょう。ぜひ、栃木市の石造物調査の折りには安心してこの2寺院をお訪ね下さい。
 その第一は、万町の浄土宗近龍寺さんで、宝篋印塔を眺めているだけで境内にいた住職さんが話しかけてくれまして、その宝篋印塔の塔身の中には宝篋印陀羅尼経が記された円筒が納まっていることを教えてくれました。また、教えられなければ分からない墓地内にある徳本上人の六字名号塔までご案内してくれました。本堂には、徳本上人像もあるとのことでしたが、それまで拝見させていただくのは申し訳ないと遠慮しましたが、文化10年代に当地へ徳本上人が巡錫された事実に基づいての事であるとのことで、非常に興味を持ちました。
 第二は、城内町二丁目にある天台宗円通寺さんです。石塔調査の許可を頂きたく庫裡へ挨拶に行けば、住職さんが先導して案内してくれました。また、境内には2基の宝篋印塔があり、こちらも気持ちよく調査させていただくことが出来ました。さらに、境内にある「高慶大師定堀之碑」も見せていただき、それが「窪世祥」の物であることが分かりました。あとで、拓本を取らせてくださるか尋ねたところ、快諾を頂戴しました。それどころか、石造物には詳しくないので内容などを教えて下さいとのこと。私のような一介の者に頭を下げられますと、何とも面はゆいものです。それにしても、宝篋印塔の塔身に九品佛が浮き彫りされているのは初めて見ました。他の場所から移設したものなので、或いはその時に塔身が新しく作られた可能性もありますが、何とも興味津々物でした。

 今回は、本当に暫くぶりに泉町雲竜寺の丸彫青面金剛像も見てきました。写真も撮ってきましたので、今さらの感がなきにしもあらずですが、HPの方へ掲載いたします。また、あきる野市在住の多田氏が興味を持っている庚申堂、「塩庚申」の写真も撮ってきましたので、ご紹介しようと思っています。
 そして遂に、栃木市の国道293号線から南地区は一通りの調査が今回で終了しました。現時点で、栃木市の実見碑塔数は960基余。次回からは、国道293号線から北の山地へ入ります。調査目標数は120基位と見ていますので、あと3回程で栃木市は終了となる予定です。そうすれば、栃木市にある全碑塔の90%は実見調査したことになるので満足出来る数となります。それでも、以前に作成した「栃木市の江戸前期迄の庚申塔」調査報告書は、今年になってから新たに寛文塔と貞享塔が見つかりましたので改訂版を作らなければなりません。春本番になったら、春日部市在住の中山氏とそれらの庚申塔巡りに行く約束が早くも出来ているので、それまでに作らなければと思っているところです。
 それでは、次回まで!
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2008年3月8日も栃木市の石仏巡りに行きました

2008年03月09日 | Weblog
2008年3月8日も栃木県栃木市の石仏巡りに出かけました。相変わらずの、単純な石仏調査に終始した一日でしたが、それでも再調査を含めて合計70基を記録することが出来ました。そして今回も、あまり皆様にご紹介したいような碑塔には出会えませんでしたので、HPの方で悩むことになるでしょう。期待しないでください。

 ところで今日は、暫くぶりに面白いことに出会いましたので、ご紹介しましょう。それは、私の栃木市寺院との相性の悪さは以前に書いた覚えがあるのですが、その事例に又しても出会ったことです。

 それは、栃木市大宮町の真言宗○○寺を訪れた時のことです。境内に車を止め、居合わせたおばさん(50歳前後?)に、個人的趣味で石仏巡りをしている者なのですが石仏を見させてくださるよう、相変わらずのご挨拶に伺ったところ、何か言いたそうな顔をしながらも、渋々承諾してくれました。
 そして境内にある碑塔に向かって銘文などを書き写し出すや、そこへやって来て、「住職の許可を得ていないのだから、見るだけにして調査はしないで下さい」。「調査するなら、事前に電話なりして住職の許可を得てからにして下さい」。「何か悪いことに使用されては困るからです」と言い、挙げ句の果てに「住職によっては、こうしたものを見せたくない人もいますから…」という。私としては、先ほど見させてくださいと、当のおばさんに許可を取ってのことなのだが、確かに「調べさせてください」とは言わなかったのはうかつで、そう言われるとグウの音もない。親族の目の前で行う、石仏調査を拒否されるとは…。
 それでも釈然としないまま、おばさんはこの寺の方ではなかったのですか?と尋ねると、「このお寺で生まれた娘ではあるが、住職は歴史について全く興味を持っていないので留守の時に調査されては困る」という。そして言うに、「私は、小山市の史談会に所属しているが、史談会ではそのような決まりになっている」とも言う。これには参った。小山市の方々は、石仏を見て歩く(いや、調査する)にも、寺院住職に事前に電話なりで承諾を得なくてはならないのか!と。私の今までの経験からすれば、小山市で当日突然に伺って住職さんに挨拶すれば、皆さん快く見せてくれるし調査もさせてくれている。栃木市のように、寺の住職や身内から石仏調査を拒否された寺院など一ヶ寺もこれまでになかった。それでも、そう言われると建前ではその通りなので、やはり小山史談会という立派な会に所属している、賢夫人の理屈に降参する。アッパレッ、小山史談会、である。
 ここで、大人げない口げんかをするのも嫌な気分になるので快諾し、即座に調査を止めたのは言うまでもない。それにしても、これで栃木市でのいなや寺院は三ヶ寺になった。たかが石仏(されど石仏か)、それも寺の住職さえ興味を示さない石仏調査を拒否できる器量に驚きを禁じ得なかった。昔の記憶では、栃木市内にはこのような寺院がもう一ヶ寺あった。それがどこだかは忘れてしまったが、やはり門構えの大きな寺院だったことだけは覚えている。かようになぜ栃木市だけ、寺院住職の中には仏の身に使えていることを自覚していない者がいるのだろうと思う。それとも、私の人相が栃木市へ入ると悪くなり、泥棒の事前偵察に思われてしまうのだろうか?
 そしてその後、栃木市内の二箇所の寺院を訪ねたが、幸か不幸かどちらも家人不在で庫裡に鍵が掛かっている。こうなるともうこっちのもの、拒否されることもなく留守を幸いと境内にある石仏を調査するやさっさと立ち去って、車の中でニンマリである。それでも、まだ栃木市街地の寺院はあと数ヶ寺残っている。訪れるに気が重いが、まあこれも社会勉強と、次回以降も栃木市のいやな寺院が幾つ増えるかを楽しみに代えて訪問することにしよう。いずれにしても結論としては、私にとって栃木市は栃木県内で最も嫌な地域である。それだけに、早く栃木市を終了して離れ、暖かく迎え入れてくれる地域に行きたいものである。ナヌッ、その他の二ヶ寺の名前を教えてくれ!。それは、ノーコメント!。自分で、どれくらい嫌な気分になるか、宝くじに当たるような思いで栃木市内のお寺を訪ねてのお楽しみに。
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2008年3月1日も栃木市の石仏巡りです

2008年03月01日 | Weblog
 2008年3月1日も、栃木県栃木市の石仏巡りに出かけました。暖かい一日で、終日ジャンパーを用いることなく過ごすことが出来ました。
 それにしても、今回も2月同様に目の前に出てくる碑塔を淡々と記録し続けた一日でした。当然、十九夜塔が圧倒的な数で、次いで馬頭観音塔という有様ですので、写真撮影の意欲がわかずにほとんど撮りませんでした。HPへ掲載する写真に悩む始末です。そんな栃木市の石仏巡りですが、午後になってとんでもない碑塔にぶつかりました。それは何と「日記念佛塔」です。もちろん、栃木市では初見参ですから、本日の石仏巡り成果はこれ1基で大満足です。栃木市に「日記念佛塔」があるなんて、今まで全く情報として入手していなかっただけに驚きました。もっとも、一般の方の石仏調査では日記念佛塔なんて判るはずもないから、見てても理解できなかっただけなのかも知れません。享保年間で摩耗が進んでいるので、これだけは銘文と紀年銘を手拓しました。
 本日の碑塔調査は、最大で50基迄と決めていたので午後2時半には既に目標を達していたので止め、暫くぶりに沼和田の広泉寺へ立ち寄りました。そして墓碑としてながら、個人墓地にある十三佛像と弥陀三尊像容塔を撮影しに行きました。これらは、今回の石仏巡りとしてHPへ掲載するためだけの撮影です。同様に、大平町牛久の雷電神社の前を通りましたので、三月号石佛月報の表紙に使用しようと、立ち並ぶ庚申塔風景を写真に撮りました。こちらもHPの方へ掲載しようと思っています。
 さて来週も、恐らく栃木市へ通うつもりです。一回行く毎に、栃木市の石造物調査の先が見えてきますので、今はそれを淡々と消化していって、とにかく栃木市内全碑塔の80%実見に向けて張り切っています。と言いつつ、同じ碑塔を今回も幾つも再調査するという暢気な事をしていますので、少しも先へ進みませんが…。それにしても出かける度に春が確実に来ていることを感じられ、そんな中でのんびり一人で石仏調査、いや〜あ楽しくて楽しくて、最高の趣味ですね〜。
                     2008年3月1日 午後5時10分
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