2011年最後の石仏巡りとして、足利市へ行きました。参加者は、佐野市在住の高橋氏と山口氏と私の三名で、集合場所は鑁阿寺近くの太平記念館駐車場。道路は、年末と言うこともあってガラガラ、従って宇都宮を8時に出たのに9時少し過ぎには集合場所へ着いてしまいました。さて、今日の目的は第一に今年一年のお互いの活動を語りつつ旧交を温めるためと、相変わらず私の希望による石仏調査。特に今回は、私にとっては今年初めてで最後の足利訪問につき、ぜひ実物確認とその手拓にあった。三人が集まったところで、早速近くの水神宮へ向い、そこにある寛政九年銘の水害碑を見ること。しかし、それは自然石に陰刻されていて碑文は手拓しない限り読めそうもない。風が強く、しかも寒い日陰での手拓は否応なしに強引な作業となる。とにかく文字が読めれば良いと強引に手拓してそれを確認するのも面倒となって仕舞い込み、元の駐車場へ戻る。
ここからが、本日の私のたっての希望で三寶院へ向かう。何しろそこには、私がどうしても欲しかった大橋訥庵撰文で大竹培が揮毫した石碑があるのだから。それがここへ掲載した画像である。
お寺さんの、懇切な対応とご理解の元に無事手拓を終える。多分、大橋訥庵について調査している人も、まさか足利市にその撰文が、しかも訥庵と親しかった巻菱湖四天王の一人である大竹培(号は石舟など)による行書体揮毫碑があるのは知らないだろうと思う。もちろん、訥庵撰文石碑で、行書体は初めて出会っただけに、嬉しさ倍増。ご住職御内儀によると、これを目的に調べに来た人は初めてのことだという。ただ、石材が根府川石となっているので早くも表面が浮き出し始めている。やがて表面が剥がれ落ちてしまうだろう。その前に、今日はこうして手拓で来た悦びは大きい。そんな、私が手拓している間に、高橋氏と山口氏は墓地内・外を探索して新たな石碑を二基、そして宝篋印陀羅尼経塔を一基見つけてくる。嬉しいが、それ以上に本日はこの訥庵撰文の碑文を手拓出来ただけで大満足。後の調査は後日の課題とする。その後は、近くの神社や足利公園へ歩いていき、石碑の石工名確認へと向かう。そしてその中の一基は見つからず(多分、倒壊によって処分されたのだろうという推定)、足利公園のは井亀泉であることをしっかりと確認してから昼食へと近くの長林寺駐車場へ移動。風が強く、外での食事は不可となり、それぞれが車中でのさびしい昼食。それでも食べ終わったあとは外へ出て、コーヒーや差し入れのお菓子などを食しながら今年一年の雑談に、来年の抱負を述べながら楽しい時間を過ごした。本日はここまでとし、少し早いが帰宅となり来年の再会を約して車に乗り込んだ。
高橋氏に山口氏、自分一人が大満足の収穫を得てしまい、それにこの暮れの忙しいなかと寒い中をお付き合いくださいまして本当にありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。そして最後に、昨夜は帰宅してからまず真っ先に年賀状書きをしました。尤も出そうとしている半分くらいですが、後は正月になってからのんびり書こうと思っています。