土曜・日曜日に石仏巡りに出かけれられなかったので、2007年に原稿が出来上がっていた旧日光市の所在する江戸前期まで(貞享年間まで)の庚申塔の製本にかかりました。「はじめに」を書いたり、日光の庚申塔に関する記事を再校正したりとけっこう手間隙が掛かってしまいました。今回は、B5判サイズで総ページ数171。特に、庚申塔の画像は手元にあった作成済みのものを利用したので、ほとんどがカラーで印刷されています。そして今回も、印刷製本したのはこれ一冊だけです。ゆくゆくは、モノクロ画像を使用し数冊は追加製本するつもりでいます。栃木県立図書館と日光市立図書館に、庚申塔ではお世話になっている多田治昭氏にも差し上げたいからです。特に栃木県立図書館には、調査のために手拓した拓本もゆくゆくは納め置く予定です。後悔するのは、仕方がないとは言え、これを纏めるに大変お世話になった中山正義氏に届けることが出来なかったこと。
さて今度は、何を製本しようかと思案中です。途中までまとめてある原稿が多すぎて、それらをもう一度見直す作業が面倒でついついサボっています。特に「栃木県の石仏百選」は、そろそろ製本して纏めなければと思っている一冊です。
庭にあるマンサクが咲きだした頃には、決まって雪が降ると家内と話していたら、案の定25日土曜日の朝には雪がご覧のように被っていました。特に今年は例年にない寒さのために、マンサクの開花が遅いと話していたところなのに…。
私の車は、昨年に冬用タイヤが一度に二本パンクしたので破棄し、今もノーマルタイヤで我慢しているので、もちろんどこへも出かけないことして、今日も朝からパソコンと向かい合っています。つまらぬスリップで事故を起こしてからでは取り返しがつきません!
それでも次週からは三月となって、少しは春の息吹きが感じられるようになるでしょうから、それからが私にとっては今年の石仏巡りの本番です。嗚呼、それにしてもこれまでの石仏巡りで得た資料の整理が山積している。早く、それらを片付けなければと思いつつも、一向にはかどらない。本当に困っているところです。もちろん、行きたいところは日に日に増すばかりで、こちらももうどうしようもなく行き先の計画ばかりが増えている。これにも本当に困っている。嗚呼、どうしよう!といった、今日の心境です。それにしても今日も寒い。これから出かける散歩が面倒になってくるばかりなので、この辺でパソコンを閉じて散歩へ出かけることにしよう。
これは上に掲載した画像にあるように、今年の正月に八王子の道祖神祭り三箇所の見聞記です。今年の正月は特別に寒くて、私などはコタツから出られなかったのに、犬養氏は1月7日から9日の三日間連続で出かけられたのだから、もうそれだけで尊敬してしまいます。それに加えて、14日には昨年も出かけられました上川森町へも出かけられたので、もう完全に降参です。
それにしても、こうして地元のセイノカミ等の祭りを何年にもかけて連続して参加し、しかもその様子をこのような冊子に丁寧に纏められているのを拝見すると、こちらも寒いからといって出かけずにいるのが恥ずかしい思いがする。そんな貴重な資料を当方までご恵送いただけるのだから、本当に嬉しいものです。それに比べ、当方は昨年末に調査しに行った、足利市にある小さな自然石に刻まれている石文解読が未だに出来ずにいる情けなさである。しかもその内容は、渡良瀬川水害に関するものだけに、何としても精査したいと思っているだけで少しも先へ進まないでいる。それでもまもなく3月、そろそろ本気モードにならねばと思っている。
昨年3月5日に、ここ宇都宮市宝木町にある寶国神社を訪れてこの碑を確認したが、その時は銘文手写に時間がかかるのであきらめ、後日にこの碑の調査だけを目的に再訪しようとこの場を離れた。そして、あの3月11日の東日本大震災となってしまった。その二日後、どうにもこの碑が気になって13日に見に来てみると案の定、それは見事なまでに倒れていて、碑文の調査どころではなかった。境内に集まっていた人に、その倒れた石碑について尋ねたところ、今のところは直すことが出来ないがゆくゆくは立て直しますとのことで、その日はその場を離れた。それから11ヶ月後。来てみると、前回以上に良い場所に建て直されていた。しかも境内の大木も切り倒されていて太陽が燦燦と輝く場所に!。
さてこの碑は、宇都宮城最後の殿様となった戸田忠友による撰文で、「合祀記念」碑である。おそらく、忠友最後の撰文となるものであろう。碑文内容以上に、その撰文者名だけで私にとっては嬉しいもの。これでまた、私にとっては新たな碑が追加できたとほくそえむ。
それにしても今年は毎日が寒い。本来なら、あちこちと手拓取りに行きたいところだが、もう少しの間だけ辛抱しようと思っている。
石仏巡りに出かけるのは、本当に暫くぶり。今回は、前回に探して見つからなかった栃木県南河内町へ向かう。まずは、そして墓碑探しから開始とした。まず最初に訪れたのは、前回もお訪ねしたその墓地の本家です。前回は留守だったご主人がいて、墓地の所在地はもちろんのこと手拓の了解に加えて様々な話を聞くことが出来ました。
さて、そうして目指す墓地へ行ったのですが(上に掲載した墓碑のある風景写真)、いざ手拓を開始する段階で車の中にあった霧吹きの中の水が凍っていてどうにも霧が出てこない。これには困り果てました。そこで、近くの農家へ飛び込んで事情を話し、ペットボトル一本分のお湯を頂き何とか急場をしのぎました。
さて、次なる難関は強風。高さが120cm幅が18cmという細長い石柱なので、用紙を取り出して上部へテープで貼り付けたとたん、その用紙は凧の足のように大空へ浮き上がり、そのまま切れて田んぼの中へ飛んでいってしまいました。しかし、そんなことではへこたれない私のこと、今度は台風の中での手拓作業を思い出し、用紙を30cmずつの短さに切って強引に貼り付けました。もちろん、貼り付けと同時にそのまま墨入れ、それを4回繰り返して何とか手拓しましたが、通りがかりの人にこの風の中、長時間何をしているのですかと怪訝に思われたのは言うまでもありません。ホントッ、自分でも寒空の下で宇都宮から来て馬鹿なことをしていると苦笑です。
いや~あ、それにしても寒かった。
その後は、同じ南河内町でも少し離れた上川島地区まで移動。そこの薬師堂のある墓地内にも、目指す墓碑が建立されているのでそれを手拓したくて行きました。周囲を林やら隣家の建物に風がさえぎられていて、前回ほどの苦労をすることなく手拓することが出来ました。但し、碑面に生えた硬い苔剥がしには、毎度のことながら少なからず苦労しましたが…。なお、この薬師堂にある石仏類は2007年に調査済みにつき、今回はパスです。
ここまでで、本日の午前の部は終わり。車の中でのんびり昼食をとり、午後の部の目的地を選定。その結果、当地から少し北部に位置する成田地区へ入ることにする。そして昼食後に早速移動したが、この頃から天候は曇りとなりますます寒風が吹き出してくる。内に入ると、人家の入り口や道の傍に家畜塔やら文字塔が点在する。しかし、何しろ風が強い上に寒い!。どう見ても今日は石仏巡りには適さないと、潔く本日の石仏巡りを終了する。そして今年の一月にお邪魔した、上三川町の森田氏宅を突然再訪し、ご主人とお茶を飲みつつ楽しい時間を過ごしてから帰宅する。
嗚呼、それにしても今年は異常な寒さである。今回の2枚の手拓を相手に、来週は外出を控えてそれらの清書等をして暖かくすごそうと思っている。