石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2月15日の庚申塔調査記です

2020年02月17日 | Weblog

 



今回は、四月の陽気という暖かさの中での調査でした。行うことは前回と全く同じ。登山道沿いにある庚申塔を見つけては(その殆どは倒壊そして埋没しているのを=特に背景に写っている大きな庚申塔等はうつ伏せに倒れているのを本気になって抱き起して下部に穴を掘り、建て直すので時間が掛かります)、スコップで掘り起こしては道路沿いに設置し直し、そして掃除後は基本台帳に記入と写真撮影の繰り返し。午前中の3時間は何とか気分良く進んだが、昼食後は毎度のことながら足と腰が疲れてきてヨレヨレ。それでも根気よく同じ繰り返しで午後の三時半まで続け、64基を調査しました。尤も、帰宅して調べたら写真だけで記録を取っていないものと、その逆で、記録を取っていながら写真撮影を忘れた庚申塔が3基出てきました。相変わらずチョンボの連続ですが、独りでの調査の為に写真を撮っただけで満足、記録用紙に書き込んだだけで満足してしまうことの繰り返しです(笑)。それでも今回での調査総数は239基になりました。次回で、何とか300基の調査を完了し、自分なりの予想している全体の三分一の調査を完了したいと思っています。いずれにせよ、先の事は余り甘く見ないで淡々と調査回数を繰り返していくことと心に決めていますが、嗚呼、先が遠いです。

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先週に続いて今週も佐野市田沼地区の千躰庚申山の調査に行きました

2020年02月13日 | Weblog

今回は、合計で52基しか調査が出来なかった! それは前回調査の折に写真は撮影しながら台帳記入忘れが2基と、掘り起こして上記のように並べただけで記録も写真も撮らない庚申塔が4基もあったからだ。それらを調査済みとした庚申塔の中から選定する作業等に一時間もの無駄な時間を浪費してしまったからだ。従って、本日の庚申塔出現順の新たな調査に入ったのは10時を過ぎてしまったが、前回の轍を踏まないよう、そこで今回は上記写真のように二~三歩以内に散乱或いは埋没している庚申塔を一群として先に集め、泥を落として水洗いし綺麗にしてから並べて調査用紙に記入し、それを順次撮影することにした。その効果抜群で、一群に9基集まろうとも今回は一基もミスなく調査することが出来た。それと前回は、移植用スコップを持参したが、これでは殆どの埋もれた庚申塔を掘り起こすのは不可と分かり、もう少し大きめなスコップを持ってきたので、うつ伏せに倒れている1メートルを超える庚申塔も意外と簡単に反転することが出来た。それでも残る難題は体力の衰えである。地面に膝をついて掘り起こし、それを抱え持ち上げて綺麗にしてから山道沿いに並べる作業。続いてその記録記入と撮影に酷使している足と腰はどうにもならないほど疲労が蓄積する。午後も2時を過ぎると、もう今日は終わりにしようかと弱音気分になるが、それでも調査した庚申塔を数えてみれば40基前後。このままでは家に帰ってから後悔するのが判っているので、その足腰に自分で良く言い聞かせて3時半頃まで調査をしてしまう。為に、翌日の足腰の痛さは、何をするのもおっくうになる程である。しかし、独りで単純な庚申塔調査はそれなりに楽しいものである。石碑調査とはまた違った楽しみ方を何年ぶりに味わっていることかと、散乱倒れている庚申塔に腰かけて一休みの時間は、何とも言えぬ心が満たされる時間。それが至福の時間となる。そんな愚かなことを、この先も淡々と楽しみながら調査していこうと思っている。なお、現時点で調査の終えた庚申塔は173基である。とにかく先が見えない楽しさがこれからも待っているわけである。一か所に173基もの庚申塔が他県等の地区に有ったなら、庚申塔好きな人は大騒ぎするだろうが、ここではまだまだそれがホンの入り口なのである。何しろ、庚申山の山頂までまだ辿り着けない山道の、片側調査に過ぎないのだから。

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栃木県佐野市田沼地区の千躰庚申山の全塔調査に入りました。

2020年02月05日 | Weblog

遂に意を決し、恐らく私にとっては人生最後の栃木県内にある庚申塔群調査となる、気の遠くなるような行為に取り掛かりました。何しろ昭和55年前後に田沼町で調査した目録によると、その総数は1200基。これを独りで調査しようというバカげた行為です。ただそれだけなら日数を重ねればよいだけなのだが、何しろ当地の庚申塔の99%は倒壊、しかもその殆どは半ば土に埋もれています。更に、それらの多くは大小さまざまな川原石であるうえに、単に「庚申」と刻まれているものばかりなので、庚申塔に興味を持っている人でも無視するような状態です。それを黙々と周囲に生えている笹や小枝を切り取ってから掘り起こし、今度は抱きかかえて泥を落として1基ごとに銘文清書と写真撮影と、所在配置図記入を繰り返しては、以前よりもましな場所へ据えなおす作業。1時間をかけても成果は10基に満たない有様。腰は痛くなり足はつってくるはで、老体の身には悲鳴を上げるだけでした。それでも朝の9時から3時半まで、昼食を取っただけで作業をしたので63基を調べ上げることが出来ました。が、その夜から今日の朝まで足はコチコチに固まってしまい歩くのがやっと!
 そこで気づきました。老人には一日で50基が限度であること。次回からは、それを厳守して原則毎週通い続けることにしました。上記の写真は、そんな庚申塔の調査が終えた一部を桜の大木の下に並べた姿です。
内心では、「誰か助けて!」と叫びたいところを我慢して、自分が好きで始めたのだから仕方がないだろうと、そんな馬鹿なことをやり遂げるつもりでいます。しかし、出かけた当日の現地が無風状態であれば、躊躇無く足利市や旧佐野市地区の石碑拓本採りにも出かけようという、あさましい考えでいる。いずれにしましても、ここ当分は、これまでの石碑調査から軸足を変えて、この庚申塔群の調査に入ります。何しろ、今まで誰も1基ごとの写真入りで調査した人がいない、また私以後の人でそれを為そうとする人も絶対に現れないと思うので、後世に残せるような作業と考えている。これを見て、私も現場を訪れたいと思う人がいましたら、原則として土曜、或いは日曜日には山の中で奮闘している私のため、差し入れ持参でお出かけください。(笑)

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