先週で、宇都宮と合併された上河内町の石仏巡りは終了としたつもりだが、どうにも落ち着かない。それは、いつも行う最後の落穂拾いを実施していなかったからだ。そこで意を決し、石仏巡りには最高の条件となった秋日和ながらも、その石仏巡りとしては苦労多くして実りの少ない石仏落穂広いへと上河内町へ入ることにした。
最初に訪れたのは、中里地区の道路沿いにあるという聖徳太子碑である。しかしこれまでに何度か探している碑なのでそう簡単に出てくるはずも無く、出会う地元の方たちを捕まえては聞き込み調査をしたが、一向にらちがあかない。困り果てていると、そういえば公民館の敷地端に石祠を移動した時に何かを持っていったことがるというので、その公民館へ行ってみると、そこには確かにさんざん探しあぐねた聖徳太子碑があった。
これは幸先良いと、今度は冬室地区へ入る。それは、山の中に庚申塔があるというが、いつものように山中にある庚申塔探しはそう簡単に見つかるものではない。見つけるには、地元のご老人、しかも庚申講に加わっていた人を探し出すことが先決。そこで、田んぼで働いている中でもご老人を見つけて尋ねる作戦開始。その結果、偶然にも今でも年に一度の庚申講を開いているという方に巡り会えた。詳細な山の中の所在地を教わり、先ずは独りで探して、どうしても見つからない場合は案内してくれる約束を取り付ける。山林中の余り使われない林道へ車を乗り捨て、あとは徒歩での山中散策開始。行ったり来たりを繰り返していて、山の中に途中で折れた樹のような形を見つけたので走りよってみれば、それが何度も探して一度は諦めた青面金剛像であった。ただ、石文のありそうな基段石は深く土中に没していて諦めざるを得なかった。それでも、これで上河内町の庚申塔はほぼ完璧なまでに探し終えたと大満足し、山の中でしばし余韻に浸った。もちろん帰路は、教えてくれた方に車を止めてお礼に行ったことは当然である。
その他、今回は地図などにも載っていない小さな神社(しかもそれは急な階段を登って行く)を訪ねる事にした。そこで何と予想だにしなかった狛犬ならぬ丸彫りの猪像に出会って大喜び。当然そこは愛宕山となるので、かぎの掛かっている小さな祠の中を覗いてみたら、そこには猪騎乗の将軍地蔵丸彫り像まで祀られていた。その他、あちこちで予想外の碑塔を見つけ出し、最後の落穂拾い石仏巡りとしては大なる成果が得られた。
そうそう、ここへ掲載した写真は、暫くぶりに登った関白神社の山頂に祀られている、拝侍型二猿姿が浮き彫りされた石祠である。もちろん、その三面にはそれぞれに日輪、月輪に加えて三星も浮き彫りされている優れものだが、残念ながら現時点で肝心な紀年銘が見つからずにいる。
来週は、秋に相応しい場所でふらりと出かけることにしよう!