石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年11月最後の石仏巡りも鹿沼市でした。

2012年11月25日 | Weblog



 念願の、碑文手拓を今回はしてきました。風もなく穏やかな天候に恵まれてルンルン気分の手拓作業でした。2基の碑を手拓しましたが、特に写真にある碑の正面の一箇所は、それこそ触れただけで剥がれ落ちそうになっていたので、残念ながら正面は手拓しませんでした。間違いなく、今年の寒さで剥がれ落ちてしまうと、その部分だけを拡大写真を撮って記録としては残せました。来春になってからでも遅くはないとしていたら、悔しがること百倍だろうと本日の訪問を喜びました。ついでに、隣にある碑も手拓しましたが、こちらは浅い文字に加えて石質が悪く手拓したところで全文を解読できないだろうと諦めながら作業を進めました。特に私は、こうした碑文の深読みをしない主義なので余計に読めない、虫食いだらけの碑文解読に苦しむことになるでしょう。そして終わったのが、ちょうどお昼時間。校庭の片隅で相変わらずラーメンを食べました。本日の目的はこれだけだったので、さあ午後の部が困った。とりあえず、昔に訪ねた場所なら苦労することなく行けると、周辺の石仏等を訪ね歩き、過去のデータを見直すことが出来ました。それでも、午後3時過ぎには本日の石仏巡りを終了。本日は、大物の手拓をしたので、帰宅してからその銘文解読をすることにしましょう。
 そうそう、それと昨日は先週に何度目かの探索でも見つけられなかった千渡地区にあるという宝篋印塔を探したが見つからず、その足で図書館へ行って係りの人に相談した件の場所が分かったので、行ってきました。自宅から近いこともあり、往復一時間の時間で調査を終了し帰宅しました。これで、鹿沼市の近世宝篋印塔調査は無事に終了しました。後は、相変わらずのそれを一冊に纏めるだけです。図書館の係りの方の親切さに感激し、何はさておいても鹿沼市立図書館だけには製本できたら一冊を贈呈することにしました。
 さて、次回からはいよいよ12月。鹿沼市の石仏巡りも、これからはのんびりした調査未了の領域に入ります。年内にあとどれだけ調べられるか分かりませんが、まあ焦る事もないと悠長に構えています。特に、鹿沼市街地はそのほとんどが調査していないので、一日位は街中からザックを担いで歩き回ろうと思っています。本当は、ママチャリで鹿沼市街地まで行きたいのですが、この季節だと鼻水を垂らしながら自転車に乗るのも…と、躊躇しています。また、まだまだ手拓したい大型の碑があるのですが、まあそれらは来春に持ち越そうと思っています。いずれにしても、今年の目標であった鹿沼市の宝篋印塔調査が終了したことだけで大満足です。後は、12月が暖かく穏やかな週末になってくれることを祈るだけです。


栃木県初見の「諸佛光明真言灌頂陀羅尼」塔をご紹介いたします。

2012年11月20日 | Weblog

栃木県初見の「諸佛光明真言灌頂光明真言陀羅尼」塔を掲載致しました。これは、いわゆる光明真言の漢字陀羅尼で、一般には梵字で表すのですが、それが梵字読みの「オンアボキャベイローシャーノウ…」以下、結字の「ダ」までの梵時を漢字で書き表したものです。従って、文字の一部に異なる漢字を当てはめていますが、それだけに滅多にお目にかかれない掲文です。
それでは、興味のあります方は右記をクリック「諸佛光明真言灌頂陀羅尼」塔してご笑覧ください。


2012年11月18日も鹿沼市の石仏巡りでした

2012年11月20日 | Weblog



 栃木県の男体山碑締めくくりの写真を撮るのが主目的で、今回は古峰ヶ原街道沿いとなる鹿沼市上大久保地区へ行きました。暫くぶりに行きましたが、ここは昔とまったく変わらない風景が広がり、その中に上記掲載の男体山常夜灯がありました。ただ、この場所にはその他の碑塔もあるのですが、この男体山灯篭を写真に撮るには午後でないとご覧のような「男體山」という文字が見える写真は取れません。そして他の碑塔は、その逆に午前中でないと写真どころか、碑文を読むのに難儀するという相反する所です。したがって、今回はこの男体山の写真を撮っただけでこの場所を離れました。せっかくここまで来たのだからと、通り沿いにある大芦神社へ立ち寄り、浅間山噴火災害碑を訪ね、碑文の再確認をしてきました。それは、どうにも一箇所だけ、読み下していて意味が納得出来ない所があり、もしかしたら自分の文字手拓時に間違ったのではないかという思いがあったからです。そしてその推理はずばり的中。「不虞」とすべきところを「不慮」としていたのです。これでは納得できる読み下し文になるはずもなく、自分の手拓作業のまだまだ至らない事を大いに反省しつつも、これで納得できる読み下し文になりました。先月にご案内した当該碑の銘文ご紹介内容を新しくしたのに加えて、その読み下し文も新たに追加して置きましたのでご笑覧方々、意味的におかしな箇所は小生の漢文に対する知識不足とお笑いください。また今回は石仏巡りに目的地が少ないので、これもついでに古峰ヶ原街道沿いにある長安寺さんへ立ち寄って住職様と楽しいお話しをしてきました。
 今回はまた、下沢地区にある宝光寺さんへも立ち寄り、10数年ぶりに住職さんに会ってきましたが、ずいぶんとお年を召した様子でした。そしてこれもついでと、同寺にある宝篋印塔の軸部に見る「諸佛光明真言灌頂陀羅尼」を手拓させて頂きました。何しろ、この漢字での光明真言陀羅尼は栃木県で初めてなので、後世のために拓本として残しておきたいと考えたからです。それでも今日は、まだまだ時間がある。そこで、鹿沼市千渡・新田地区の地蔵堂にあるという、宝篋印塔の場所が何としても分からないので鹿沼市立図書館へ立ち寄り、カウンセラーの方にお願いしてその場所を探すことにしましたが、何としても係員にも分からない。困った係りの方が、後日にご連絡しますということでj名前、電話番号などを教えてから帰宅しました。それでも今回は午後3時半に帰宅。今回は運動不足気味なので、それからいつもの散歩に小一時間してきました。
 次回は多分、その所在地が分かるであろう鹿沼市千渡の宝篋印塔調査と、後は残してある碑文数基の手拓作業となるでしょう。それだけに願うは、北風の吹かない冬晴れを期待しているのですが…。これだけは神頼りですネ。


2012年11月日 今回も絶好の秋日和で鹿沼市の石仏巡りでした

2012年11月11日 | Weblog



 近世宝篋印塔を探しに出かけたが、その目的は完敗だった。個人墓地探しもいささか疲れたので、今回も20年以上前に訪れた碑塔を再訪しました。ダムが出来るやらで立派な道路が出来ていて道に迷うやら、新設された道路沿いになど石仏があろうはずもなく無駄な時間を浪費。元に戻って、旧道に入れば懐かしい石仏たちがあちこちに散在していました。そして午後は、ここも「たおやかにのんのさま」の写真撮りに訪れた上南摩町の曹洞宗広厳寺へ暫くぶりに行きました。境内に入れば、懐かしい石仏たちが勢ぞろいして出迎えてくれ、嬉しさの余りに全碑塔の再調査と、以前にはその全部を撮影していなかったので(何しろ、今と違ってフィルム写真の世界でしたから)、その全てを撮影することにしました。その中の数基は、その当時は台座や下部が埋没していて石文があると分かっていながら未読だったもの。やはり、年月を過ぎてから再訪すると良いことがあります。そして早くも午後3時。ここまでで29基の石造物を調査したので、今日の石仏巡りはこのくらいで充分とし、帰路に着きました。次回こそは、既に訪問済みのお寺さんにある宝篋印塔の調査に行く予定です。それと、鹿沼市の男体山碑写真をまとめていたら、1基どうしても写真が見つからないのが出てきてしまった。それは、上大久保(たぶん?)あたりの古峰ヶ原街道沿いにある常夜灯に記されているもの。まあ、場所は車で行けば後はその場の景色で思い出すでしょう。それと、引田地区の長安寺さんへも暫く行っていないので、別に用事があるわけではないが遊びついでに立ち寄ってみようと思っている。そうそう、上部の写真は、広厳寺さん境内にある延享4年銘の十九夜念仏塔です。背景の紅葉の色はもっと美しかったのですが、石仏に調子を合わせたので色が濁ってしまいました。自分の写真技量はこんなものと、自嘲気味です。


2012年11月03日も、栃木県鹿沼市の石仏巡りに行きました

2012年11月05日 | Weblog


 普通なら、とうの昔に鹿沼市だけの石仏巡りは飽きているところだが、今回ばかりは本気になって鹿沼市の石仏巡りをしている自分に可笑しさをこらえている。それもこれも、年を取るに従い一日に調べる碑塔の数がめっきり少なくなっているからだろう。以前なら、一日で40基前後は夢中になって調べられたものを、この頃では20基前後とガタ減りになっている。それと共に、同じところの石仏を再訪問しては既に調査済だと言うのにバカ丁寧に同じ碑塔を再記録し写真を撮っているからだろう。
 さて、今回ここに掲載した写真にしても、この前に来てしまうとその表情が私好みとあって、またしても写真撮影に無駄な時間を過ごして楽しんでいる。他に、未調査の碑塔があるというのに…。
 ところで、現在進行中の鹿沼市の近世宝篋印塔の調査。9割方終了したが、残るお寺さんへはどうしても運ぶ足取りが重くなって残ってしまっている。中には既に3度も行きながら、法事の真っ最中だったりして調査出来ずにいる。お寺さん訪問は、午後に行くようにしているので、どうしても山地へ午前中に入ってしまうとそこから場所の離れたお寺さんへ行くに時間が惜しくなってしまうのも一因となっている。かといって、午後だけのお寺さん巡りは味気のない石仏巡りとなって、私には出来ない悲しさがある。本来なら、お寺さん巡りは楽しいはずだと思うのだが、なぜか私にとってお寺さんは苦手である。特に鹿沼市のお寺さんは。本当にこれには私自身、自分の性格にあきれている。田舎へ行って、地元の方々と接しているほうが何倍も楽しいのだから、これも仕方がないことだろうが…。嗚呼、私は、困った人である。と嘆きつつも、ここまできたら年内には何とか近世宝篋印塔調査だけは終了したいと、もう一度気合を入れて次回からは本気になってお寺さん巡りをしようと思っている。
 ※10月20日以降の石仏巡り報告を掲載を別HPに掲載するのをサボっていましたが、昨日の日曜日を利用して一気に三回分を更新しました。興味のある方はご笑覧ください。