この石碑は、藤岡町部屋の一人の青年が23歳で父が亡くなり、後を追うように兄も亡くなったので、次男であった山中静(号名が耕雲・山中)が隣村の森鴎外の思想を受け入れて、既に妻子がある身ながら母親の許可を得て生活のための仕事全てを弟に譲り、また妻子の面倒を頼んで単身東京へ勉強に行くところから始まる。この時代の新聞社事情の一端を垣間見る思いと、34歳で亡くなるまでの物語は非常に熱くなるものがある。撰文揮号などは、全て川田剛である。小さな石碑ながら、文字数が800字を超える長文で、清書などに意外と日数が掛かってしまった。
相変わらず、石碑全景から読みまでの5頁を掲載しました。ただ、一か所だけ氏名の「三渓」という方の詳細が分かりませんでした。横浜育ちの私には「原三渓」しか知らない不勉強の身が悲しい次第である。ご存じの方は是非のご教示をお願いいたします。
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