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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

寒氷地獄塔について

2011年01月31日 | Weblog
 先日、東京の多田氏より、茨城県守谷町板戸井の路傍にて、「奉供養寒氷第三年二世安楽所」という舟型光背石に聖観音像容塔があったと、写真同封でお便りがありました。当然ながら、栃木県ではまだ見たことがありません。紀年銘は、寛文十年となっているそうです。たぶん、非常に珍しい碑塔の一つと思われます。そこで、もし茨城県の石造物に詳しい方がこのブログをご覧になっていて、この「寒氷」銘文塔が他にもありましたらぜひご教示ください。
 なお、その信仰内容を少しだけ説明しておきましと、「大般涅槃経巻第十一」「現病品」を出展とするもので、経典に説く八種地獄です。それにしても、地獄に落ちるだけでも嫌なのに、氷漬けにされるのだけはご免こうむりたいと、毎日の寒さの中で生活している今は特に思います。いずれにしましても、ご連絡をお待ちしております。
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2011年1月29日も宇都宮市の石仏巡り

2011年01月30日 | Weblog

 今冬最後の寒波が来ている中、今回も宇都宮市の石仏巡りに出かけました。本当に、しつっこいヤツだと自分に半ば呆れながらです。そして今回は、そんな執拗さに石仏たちのほうが根を上げたのか、最初から宝篋印塔と出会ってしまい、霧吹き用に持参した水はまだ融けずに凍りついたままで使用できないので、一文字づつ丁寧に文字を拾っていきました。日光下ろしの冷たい風が吹く中で、です。そのため、どうしても一文字だけが読めず仕舞いでしたが、まあこれは許される範囲だろうと諦めました。その後も訪ねる先々でたくさんの石造物と出会い、いつになく大満足の一日でした。そんな中で、一昨年に多摩石の皆様と栃木県岩船町の大慈寺で見た、如意輪観音像容の「馬頭観音」塔が珍しいと話題になりましたが、「県内にはまだ有るよ」と私が言ったら怪訝そうな顔をしていましたのを思い出したので、その石仏を今回は掲載しました。これは1993年4月29日に確認していたものですが、紀年銘は文政5年で、右上に「馬頭観世音」とある間違いようもない如意輪観音像です。ただ、上部欠損で痛みが酷いのが残念ですが…。今回はいずれにしても一日で51基の石造物を調査出来ました。これで、思い残すことなく一月の石仏巡りを締めくくることが出来ました。
 次回は、春の訪れが聞こえる二月となります。宇都宮市の石仏巡りも、段々と楽しくなりそうです。
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2011年1月22日、宇都宮市の石仏巡り

2011年01月23日 | Weblog

 今回は前回からの続きで、宇都宮市石井町へ入りました。特に今回は、過去に調査していない石井町町内の公民館と神社に共同墓地の探索です。もちろん、道沿いにあるのも含めてですが、加えて医王寺のように既に調査済みながらも写真が未撮影の石仏も写真を撮るため面倒でも再訪問としました。今回は、そのうちの医王寺境内にある七福神像を掲載しました。といっても、このような何のために祀ったかも紀年銘もないような、お飾り的な石造物は私にとっては興味もなく調査対象外なので、単に写真を撮っただけですが…。
 そんな石井町の石仏巡りも終えて、次は竹下町へ入りました。この竹下町ではあまり石仏が見つからず、何人かの地元の方に尋ねましたがすでに調査済みの所ばかり。思うような成果なく、時計を見ると早くも午後1時近くになっていたので、慌てて昼食を取るべく「飛山城址公園」へ行って、その駐車場でのんびりしました。そんな訳で、午後の石仏巡りは一時半過ぎからとなってしまったが、碑塔がたくさんまとまっている場所があるので、先ずはそこへ行くことにする。場所は道場宿町で、昔はこうした場所へ行っても目的とした石幢六地蔵だけを精査しただけで、その他はその存在記録だけは取っても調査まではしていなかったし、写真も気に入った石仏以外はほとんど撮影していなかったからです。そんな訳で、それからは過去に訪ねたところばかりの調査となったが、何しろ数が多い。一気に20数基を精査して車に戻ると、既に午後3時を過ぎていたのと、熱中しすぎたために足と腰が立っているだけでも限界近くに達していたので、そのまま陽はまだ高いが今回も早い終了とする。それでも、帰宅途中で道に迷ってしまい、初めての狭い道を通って帰宅したので意外と時間がかかってしまい、一人苦笑ものでした。多分、次回もこの道場宿町からの石仏巡りとなるでしょう。今回も、拓本が欲しいのが二基ありましたが、寒さで断念しました。早く、暖かくなってもらいたいものです。
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2011年1月15日、宇都宮市の石仏巡り

2011年01月16日 | Weblog

 今回は前回の続きとして、宇都宮市東部地区南端の上籠谷町から氷室町、さらに石井町の一部を訪れました。だが、午前中は上籠谷町で石仏を探すも目新しい石仏とは巡り会えずに、闇雲に時間だけが過ぎていき、少なからず焦りました。何しろ10時半を過ぎても一基も調査できていなかったからです。そこで、この地区を諦めて隣の氷室町へ入りました。この地区は昔に半分ほどは巡っていたのですが、それでも複雑迷路的な農道に悩まされて、何度も道を間違え、その当時の碑塔所在地に到着するまで時間がかかってしまい、ここでも苦笑です。そんなこんなで悩みつつ、その当時来たが調査もせずに立ち去った中組の庚申塚へ行ったところ、ここへ掲載したようなとんでもない庚申塔と出会えました。それは、つい最近の平成十七年に建立された庚申塔なのだが、ご覧のように台座に見える三猿が、誰も目、口、耳を塞いでいず、単なる子連れ夫婦の三猿姿なのだ。ついに、現代の庚申塔はここまで来たか、という思いに唖然とした。もちろん、こんな庚申塔に見る三猿姿は始めてである。(東京の多田さん、後日この写真とその他をお送りしますのでお楽しみに!)
 そうこうしているうちに、時間だけは過ぎるのが早く、既に午後二時。鬼怒川を挟んだ石井町へ移り、初めての場所を訪ね歩く。そして石で出来た大きなダルマさんの丸彫り像を見たり、名前だけの本殿は小さな神社で3組もの狛犬があるのに感心したり、思わぬ場所で光明真言の宝暦年間銘読誦塔に出会ってなぜか新鮮に感じたりと、北風が一層寒く感じてきた三時半まで石仏巡りをしてから帰宅しました。
 いや~あ、それにしても今回も調査した石造物の数は少ないながらも、それなりに面白い碑塔を再確認したり新しく出会ったりと、午前中はどうなるかと不安になったが終わってみればそれなりに満足できた一日だった。ちなみに今回は、前回よりも9基多い39基もの調査が出来ました。次回もこの続きとなるが、やはり過去に訪問済みの神社仏閣があるのでそれほど驚くような碑塔には出会えないだろうと思っている。
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1月9日、宇都宮市桑島町方面の石仏巡りでした

2011年01月10日 | Weblog

 今回も、寒さが残る8時半に家を出て、宇都宮市でも東部の鬼怒川下流に当たる桑島町地区の石仏巡りに出かける。今回も、2000年以降に調査したところは除外し、主に神社と公民館に共同墓地を巡ることにした。もちろん、その途中での道沿いで目に入る碑塔も含めてだが。まずは、桑島地区でも正確には下桑島町となる地区の高おかみ神社へ向かう。ここで延享三年銘の十九夜念仏塔や庚申塔に二十三夜塔等を調査する。それにしても今日は、風もなく暖かい。ジャンパーを脱いでセーターのままでの調査となる。終えてから地図を見ると、同じ下桑島町内なのに、同じ名前の高おかみ神社が瑞穂野北小学校の東側にあるので、早速向かう。小さな神社だが、確かに本殿には高おかみ神社と書いてある。本来、一つの村には同じ名前の神社は一社だけのはずだが、と不思議に思いながらも狭い境内には二十三夜塔が寛政二年と文化六年銘のがある。
 ここで一旦、下桑島町を離れて上桑島町へ入る。ここには、当地方面では珍しい熊野神社があるので行くと、農家の方がいて調査前に雑談となってしまった。しかし、この雑談が後で思いもかけない庚申塔と出会えることになった。さて、この公民館を兼ねた熊野神社には、嘉永元年銘の「満津道山(マツドーサン)」という安産信仰の四角柱がある。現在でも毎年8月18日に四合同で祭りが執り行われるというので、機会があれば見たいものである。
 さて、次は早速農家の方に教わった当四地区合同の庚申塚へ向かう。ところが、その場所は車一台がやっと通れるだけの農道で、対向から車がきたら完全にアウトである。仕方なく、少し元に戻って車を駐車しても大丈夫な場所へ置いて歩いていくことにする。その庚申塚の風景が、ここへ掲載した写真である。そしてその中央に建つのが、栃木県では何としてもこれまで見ず悔しい思いをしていた面六臂の青面金剛像であった。馬頭観音像でないのは、同じ石の下部に三猿姿が見えるから間違いなし。これでやっと、栃木県にも三面六臂の青面金剛様に出会えたと、今日はこれだけの成果で充分な思いである。早速、今度は石文を求めて台座を調べるが、その肝心な紀年銘を含めて一切の文字がない。もしかして本体のどこかに隠れていないかと本気になって調べたがはやりどこにもなかった。これには少なからずガッカリである。気を取り直して写真右側の調査。これも青面金剛像で三猿も確認できた。そして問題なのは、写真左側の舟型光背石に浮き彫りされた像容である。
 その前に、この庚申塚のことについて聞いたことを述べておくと、ここは新宿、小原、谷地下、柿木坂の四組共同の庚申塚で、この庚申塚にお参りするのは四年に一度と決められていて、現在も行われている普通の庚申講開催の時にはここへお参りすることはないという。
 そんな昔通りの古い庚申塚となっているので、この地に庚申信仰以外の碑塔を置くことは考えられないが、最後の碑はどう見ても六臂の斧を持った馬頭観音像である。但し、頭部にそれならあるはずの宝馬が置いていない。そして庚申塔とするには、お猿さんの姿もない。これには困った。馬頭観音像でもなければ青面金剛像でもない。もちろん、石文一切がどこにも刻まれていない。大いに悩み、帰宅してからも悩んだ挙句、それは馬頭観音像を拝借し、青面金剛像とした庚申塔であることにした。
 その後もあちこちと見て歩き、何とか午前中で桑島町を一通り調査することが出来た。あとはこの地区の落穂拾いだけとなる。お昼は、鬼怒川の土手へ行き、開放的な広がりの中で昼食とする。余りにも暖かく、春をも感じる気候に気分が良くなり、一時間もの昼休みをたっぷりと取る。
 さて午後は、次回への予備調査として少しだけ東側の上籠谷町へ入る。この地区は、道路整備が遅れているので、どこへ行っても昔のままの狭い道路が迷路のように走っている。地図もろくに見ず、適当に走っていって薬師堂へ着き、その境内で元禄十一年銘の十九夜念佛塔に出会う。当地方での元禄時代の十九夜塔は古い部類に入るので、これは儲けたと時間をかけて調査し写真撮影をする。その後も、適当に車を走らせているうちに自分のいる場所さえ分からなくなり、気がついたら真岡市へ入っていた。そして結局は元に戻るのが面倒になり、そのまま帰宅してしまった。午後3時半に自宅到着は前回に続いて早い帰還だが、まあ足も腰も痛いし、厳冬期の石仏巡りとしては丁度良いと変な理屈をつぶやきつつ…。
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2011年今年最初の石仏巡り

2011年01月06日 | Weblog

 2011年1月4日、今年最初の石仏巡りに出かけました。地元である宇都宮市の石仏調査を今年の目標としているので、もちろん宇都宮市内です。地元の石仏巡りの最大の良いところは、何しろ近いことです。朝の8時半に家を出ても、9時前には石仏調査に取り掛かれるというお手軽さです。いつもなら、7時半には遅くても家を出なければいけないというのに、この季節に一時間もの朝の時間をのんびり出来るのはありがたいことです。今回は、宇都宮市の東南部に位置する東木代町、東刑部町、西刑部町の三箇所を終わらせることが出来ました。もっとも、昨年暮れにも入っていたからですが…。この地区は、弘法大師信仰が篤く、どの地区へ行っても沢山の弘法大師丸彫り像が覆屋の中に祀られています。それだけにその調査となるとついつい面倒になって1基づつの調査ではなく「合計○体」と、いけないこととは思いつつ数量調査になってしまいます。そんな数量調査を除いても、本日の石仏調査数は40基を超えてしまいました。午後三時過ぎには、三地区の調査が終了したので、少し時間が早いのですがここまでとし、残りの時間を暖かいコヒーを飲んだりして今年最初の石仏巡りの余韻を味わってから帰宅しました。次回は、今週末を予定しているが、天気予報では寒さがやってくる様子。それでなくても四六時中うずいている足腰の大事を取って、その時は家でおとなしくしていようと思っています。何しろ、12月の石仏月報さえ最終校正が終わっていない有様なのだから…。
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昨年1年間の成果

2011年01月03日 | Weblog
 今日は、のんびりと昨年1年間の石仏巡りの成果を振り返りましょう。その結果は、昨年1年間で調査した碑塔は総数で1,402基。一ヶ月で100基余。月に四度の石仏巡りで計算すると、一回で25基。まあ、私の調査方法ではそんなものだろうと思っている。その中で、昨年初めて実見した碑頭数は359基。つまり、総数の25%しか新たな碑塔は確認できず、残りの1,043基は以前に確認した碑塔の再調査と言う結果でした。その再調査した碑塔は1980年代に調査したものがほとんどなので、それから既に20年以上も経っていたので仕方がないとはいえ、何となく忸怩たる思いもします。今年も多分、そんな過去に調べた碑塔の再調査が多くなるだろうと思っているが、それでもそんな再調査したい碑塔も残り564基を行えば、再度20,000基の栃木県内石造物の調査が完了することになる。栃木県の石仏巡りを始めた頃、自分なりの栃木県の石造物総数は、35,000基と何の根拠もなく思っていたので、その半分は達成したことになる。そしてこれから先、自分の歳を考えるとさらに調べることが出来るのはあと5.000基ほどだろうと思っている。
 さて、今年の目標としては、まず第一に旧日光市の庚申塔を徹底的に調査終了すること。これは間違いなく今年中に達成できそうである。次いで、栃木市と藤岡町、野木町の数箇所の調査で終了する宝篋印陀羅尼経のある石塔を完了し、纏めること。これも多分、今年中には大丈夫だろうと思っている。また、足利市の災害碑も、何とか今年中に全て調査を終了させたいと思っているが、そこまで手が回るか心配なところである、同様に、足利市の石幢六地蔵塔も完了させたいと思っているが、これも同様に不安がある。そして今年最大の目標が、地元である宇都宮市の本格的な石造物調査開始である。特に宇都宮市には手拓の欲しい石造物が多数あるだけにどこまで一年で出来るか分からないが、せめてもの宇都宮市の半分くらいは終了させたいと思っている。その他、焦りにも似た気持ちで色々と夢はあるが、とりあえずはこれくらいを本気になって今年の目標として頑張りたいと思っている。
 さあ、今年も楽しく石仏巡りをしよう!。と、そろそろ今月の作戦を練ろうと思っている。
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新年明けましておめでとうございます

2011年01月02日 | Weblog

 2011卯年、明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、清々しい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。今年も、昨年同様に、よろしくご指導賜れますようお願い申し上げます。
さて、毎年恒例としていました暮れも押し詰まってからの石仏巡りは、腰が痛いことを理由に中止しました。同様に、新年最初の石仏巡りも、今年は遅くなりそうです。
その分、別の趣味で頑張っています。何しろ腰が痛いので、前かがみになっての石文解読や寒さで手拓をしようにも出来ない悔しさを、今年は別の形で楽しんでいます。それと言うのも、歩く分には腰の痛さと足の痺れを我慢するだけで、非日常的な自然を味わえますので、カメラ道具一式で20キロになるのも我慢して、ヨロヨロ歩きで楽しんでいます。もう、歳なのだから独りでの入山は控えたらと言う忠告も馬耳東風として…。それでも、知人などは暮れからスキー場へ行ったきり未だに一度も帰宅することなく楽しんでいるのに比べれば、毎夕方には帰宅する私のほうがまっとうな生活をしていると、変に自負している始末です。
 それでも、今日はいつになく足腰が痛いです。明日はおとなしくしていようと思います。そして本来なら、この年末年始は部屋に閉じこもり、昨年一年間の石仏整理をしようと決めていたのですが、今となってはその気はなくなり、またまた新年早々計画が頓挫したことになります。
 そうそう、それと毎年のことなのですが、今年も年賀状を書くのが遅くなってしまいました。多分、まだ着かずに、「無理に、出してあげたのに!」と、お叱りの皆様には数日中に間違いなく届くと思いますのでご容赦ください。
 それにしても、今年は雪が多いです。毎年、日光の積雪は1月中ごろから本格的に積もるのですが、今年の夏の異常な暑さの反動で、その分早く訪れたのでしょう。山屋には、何とも嬉しい話です。このまま、暫くは寒さが続くと嬉しいのだが、と叱られそうなことを願っています。ここへ掲載した写真の場所へは、片道六時間ほどかけて入りました。この時期に、誰も入らない山へ暗いうちから入る方が異常なのでしょうね。それでも帰路は、トレースがついているので大汗をかきつつ2時間半ほどで車を置いた場所まで戻れました。やはり、雪山は良いですね!!
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