石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2013年12月29日・栃木県栃木市太平山の「星 髯翁」壽壙碑の紹介

2013年12月29日 | Weblog

これは、栃木県内では珍しい、林述斎の嫡男である林皝撰文によるもので、またその銘文揮毫者も関 研となっています。それだけでも、この前に立つ価値はあります。しかし、その銘文を読むとなると、もうそれは冷や汗タラタラで、この寒さにも関わらず赤面の至りです。そのためか、それとも寒さのためか(11月2日に訪ねたので寒さとは無縁)碑陰にある古梅の絵などは手拓する気分になれませんでした。来春の暖かい時期になったら再訪するつもりです。そして、ここに記されている銘文の読み下しはこの正月中に挑戦です。何しろ素読だけでこの一週間近くを費やしましたが、その意味となると頭を抱える箇所が多すぎます。どうやら、正月は楽しい時間がこの碑文だけでも充分に楽しめそうです。なお、興味のある方は相変わらず別HPの方へ掲載してありますのでご笑覧ください。
ところで、今年最後の石仏巡りが済んでいません。明日あたり、ふらりと思いつくままに車を走らせようかと思っています。

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2013年12月23日、11月02日にここで紹介した石碑の調査報告です

2013年12月23日 | Weblog

 これは、タイトルにも記しましたように今年11月02日に実地調査してきた石碑の最終清書報告として同じ画像を掲載した。
江戸末期からの下野国は、学問として算術が非常に盛んな地域でで、それと言うのも当県には江戸にて最上流算術の創始者であった会田安明氏から指導を受けた間々田宿の上原子盈という大家がおり、その子盈から学んだ多くの門弟達により県内各地へ広まったからです。その子盈高足の一人である、塚田宗川先生の石碑紹介。当県に於ける算術の歴史を見るには欠かせない、一人の人物像が記されているので、この手の内容に興味ある人にとっては見逃せないでしょう。なお、その詳細はいつものように別HPの12月に掲載されています。
※年末での忙しさが一段落した、今回の三連休。そのために昨日から完全に頭の中のカレンダーが一日狂ってしまい、今日がサンタさんの誕生日で、お寺の坊さんまでがクリスマスだと浮かれる日と勘違い。いや~あ、今日が天ちゃんの誕生日で休みで、しかも23日だという。何とも間抜けな私である。その為、今朝は一日得をしたのか損をしたのかと、悩みつつ昨日まで今日やらなければならない予定が明日に変更となってしまった複雑な心境である。そこで、碑文清書も連日続けていたので頭が狂ったのだろうと、今日は何もせずにボ~ォと私らしく過ごすことにした。

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2013年12月20日は、栃木県都賀町の石碑紹介です。

2013年12月20日 | Weblog

上記に掲載した画像の精査が終わりましたので掲載します。その内容は、相変わらず別HPの方に掲載してありますので興味のある方はご笑覧ください。碑文は、田沼町出身の和賀井栄順という修験者が退隠後に当地にて家塾を開いて多くの人々に薫陶を与えた内容で、その壽蔵碑となっている。なお、彼は聖護院にて修行を積み、また二品雄仁法親王(聖護院宮嘉言親王)に従って大峰山にて修行したことも記されています。
次回は、田沼町にて調査した日清戦争に従事した人の従軍記石碑をご紹介すべく鋭意清書中です。

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2013年12月18日、調査石碑のご紹介

2013年12月18日 | Weblog

12月になって最初の書き込みです。何しろ師走、仕事が忙しく又寒くて手拓に出かける気分も凍り付いていて、外出できずに仕事一筋の真面目?な毎日でしたが、それもここへ来て何とか余裕が出てきました。尤も、クライアント様には20日以降の仕事は歳が明けてからということにしました。
さて、今回は栃木県那須烏山市(合併前は烏山町)の石碑調査清書がようやく終わったご案内です。これは、幕末から明治にかけて活躍した一人の医者の記念碑です。烏山周辺で、初めて牛痘による天然痘種痘を行うなど、優れた方の碑文です。詳細は、相変わらず別のホームページの方へ掲載してありますので興味のある方はご笑覧ください。大きな碑なので、写真を撮ったが紅葉していてまだ葉が落ちず、上部は写っていません。悔しいので、年内にもう一度行って写真を取り直してこようと思っています。この碑の隣にも、もう1基の戦役碑があるので、拓本が取れそうだったら調査してこようと思ってのことです。それにしても、自宅から烏山町までは優に車で1時間。私にとっては遠い道程です。それでも、この季節ならではの写真が欲しい一心で出かけましょう。

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2013年12月01日は栃木県都賀町の石碑調査等に行きました

2013年12月04日 | Weblog

 今回も、風もない冬晴れとなったので自宅からは比較的近い栃木県都賀町(今は栃木市に合併されました)に行く。目的は当然、石碑調査である。上記に掲載した画像がそれだが、所在地が富張地区の北辺に建立されているという情報だけを頼りに今回も出かけたが(過去に探索に行ったがその時は空振り)、今回はすんなりと見つけることが出来た。やはり、私の「意地でも、見つけてやる!」と言う意思が通じたのだろうと嬉しくなる。ところが、いざ手拓作業に入ろうとすると、意外と大きい。半切の画仙紙で幅が三枚、しかも下部は篆額を抜かしても丁度一文字分だけ足りない。ヤレヤレ、と思いつつもこの石碑はどうしても拓本が欲しかった1基なので、根性を入れなおして9時頃に碑面磨きから始め、手拓が終わったのは12時半だった。銘文紹介は、いずれ別ホームページの方で行うこととして、ここでは全体画像だけの紹介としよう。
そして昼飯は、少し移動して西片町(ここも栃木市と合併)の真名子へ行き、大宮神社境内で風のない広い境内に座ってノンビリ取る。何しろ今日の主目的はこの石碑にあったので、気分は上々と言った具合である。さて、その大宮神社の下では、この地区の「秋の収穫祭」真っ最中。第二の目的は、その収穫祭の中心メンバーである中村氏に会うこと。そして10月に調査した石碑の調査報告書を差し上げることである。流石に、収穫祭も午後となれば集まっている人数も少なくなったようで、事務所の椅子に座りながら中村氏と文化財等についてのよもや話に花が咲き、序でに金井町にある国指定文化財である薬師如来像の調査願いをすると、あっさりと了解され、その管理者である方を紹介して頂く。これで、金物調査のエキスパートである高橋氏に吉報を報告できると嬉しくなる。中村氏から、帰り際に当地名物の「芋串」を頂戴。そしてその後は、これまでに調査させていただいた石碑の報告書届けに2軒のお宅を訪問してから、まだ秋の陽の暖かいうちに帰宅となる。
さて、次回はおそらく石造物調査には行かないだろうと思う。余りにも溜めてしまった碑文清書があり、このままでは年末年始だけでは処理しきれないと思われるので、その作業のデスクワークをしようと思っている。そこで、今度の週末二日間は、暖かい雨日和となることを期待している。皆さんには叱られそうだが‥。

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