石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2013年02月17日も栃木県鹿沼市の石仏巡りでした

2013年02月18日 | Weblog

 今回も懲りず、栃木県鹿沼市の石仏巡りに出かけました。特に17日の朝は宇都宮市で-7度という冷え込みでしたので、朝早くから行っても寒いだけだと9時過ぎになっての出発でした。何しろ自宅から鹿沼市は近いので、車で20分も走れば、早くも今日最初の目的地である上殿町の押原神社へ到着。境内に奉納されている狛犬が余りにも風化が進んでいるので、今回は珍しくその狛犬の姿を写真に収めておくことにした。それから境内にある自然石白雲山碑や甲子塔を調べただけで、早くも10時になったのでコーヒーを入れて一休み。まあ今日はこんなのんびりペースでの石仏巡りにしようと思う。今回の目的は、上殿町と村井町の石仏巡りを終了させれば良いと考えているのだから‥。そこで午前中にささッと調べて終了とし、今度は街中の府所本町にある共同墓地へ行く。しかしその道路は狭く一方通行なので考え、その隣にある葬儀社へ行きその駐車場へ車を止めさせていただくことにする。了解を得たからには、のんびり調査が出来ると、墓地内にある汚れで汚くなっている碑を綺麗に水洗いしてあげる。墓参に見えられたご婦人やら一族揃っての法事墓参の方々に声を掛けられながら、見違えるほど綺麗になった碑塔を調査。度が過ぎて写真撮影に最適な時間を過ぎてしまい、1基だけはまったくの逆光となって写らない失敗に苦笑い。府所本町は、ここだけで終了。次は、隣町の下武子町へ行く。ここも共同墓地周辺にある石仏を調査すれば終わりとなるので、まずはその前に黒川の河川敷に車を置いて昼食とする。窓を閉めた車の中では暑いくらいだが、外ではやはり寒いので、窓を開けて温度調節をしながらののんびり食事タイム。川原では若者達が沢山遊んでいるのを眺めながら‥。さて食事後は、車の止める場所の無い共同墓地を含め二箇所を巡ることになるので車をどうしようかと考えた挙句、ここへ置いてのんびり歩いていくことにした。調査道具一式を入れたカバンを持ち、まずは団地の東側にある共同墓地から開始。やはり歩いて来た甲斐があり、今回ばかりは丁寧に墓域内を見て歩けたので、家畜等を中心にして収穫大なり。そして次の共同墓地は、少し離れているがまあ鼻歌でも歌いながら散策気分で行こうと歩き出す。その墓地内で、といっても竹林の中の昔の墓のイメージにピッタリの暗いイメージの墓息だが、そこで天明2年銘の「地蔵和讃供養塔(但し台座のみで上部に乗っていたであろうお地蔵様の姿はなし)に出会う。これはもうけものと、丁寧に水洗いしてから記録と写真を撮る。もちろんその他にもある十九夜塔等の碑塔を収録したのは言うまでも無い。どうせ歩いてきたのだから、帰りも同じ道を歩くのは面白みが無いと途中の山の中にある二荒山神社を訪ねたり、そこから少し北へ行った道路沿いにある道標付念仏供養塔を見たりして遠回りの道を選んでもとの黒川河川敷へ戻る。今日の石仏巡りは、既に3時になていたのでこの辺で終了とする。が、帰宅するには朝に比べると春のような暖かさなので293号線を選んで遠回りの道を走る。そしていつもその場所は午前中になってしまう酒野谷の馬頭観音自然石(安永5年銘)の写真を撮るためにさらに遠回りすることにした。そして念願の写真を手に入れてニコニコ。まだ時間があるので、また欲を出して今度は塩山町の星宮神社へ行くことにする。その場所は狭い山道を入った山中にある神社。ここへも無理して車で行くこともないと、途中に車を放置して歩いていく。もちろん、地元の方を含めてそこはまったくの無人地帯。これから芽吹くであろう木々に止まっている野鳥を観察しながらその本殿入り口に到着。その風景が、上記に掲載した写真で、そこにはご覧のように3体の石仏が並んでいる。もっとも、左端に見える地蔵尊の台座は別物で、石仏内容としては4基の石仏となる。また、右端に見える舟型光背石に見える如意輪観音像の上部には「アーンク」種子が刻まれているのが珍しい。紀年銘は享保十九年とある。西へ傾きだした太陽光線が、写真に撮るに最適な状態。嬉しくなって、ついつい何枚も写真を撮ってしまう。ちなみに他の台座を含めた3基は、光明真言念仏塔である。
 そろそろ時計も3時半を過ぎたので、今日の石仏めぐりは本当にここまでとして、後は通いなれた道を通って帰宅する。

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2013年02月10日も鹿沼市の石仏巡りでした

2013年02月12日 | Weblog

 今回は、午前中のみの石仏巡りとなりました。上記写真の鳥居は、鹿沼市村井町の胸形神社にあるものです。ここへは、先月に来ているのですが、今回は午前中のみの石仏巡りだったので、最後の休憩場所として再びここへやってきて広く且つ静かな山の中の駐車場でのんびり食事をすることにしました。その帰りに、前回に真心を計測した段階で写真撮影を忘れてしまったので、そのついでにこれを撮りました。
 さて、そんな訳で今回はこの鳥居について少しだけ解説をいたしましょう。建立紀年銘としては、文政八乙酉如月建之とありますからそれほど古いものではありません。しかし、その柱に刻まれている石工の名前を見ると、これは「信州中伊奈郡野口村 蟹澤文左ェ門  同忠七」とある。つまり、鹿沼市では数少ない信州石工による作品です。特にこの中に見る「蟹澤 忠七」の名は、鹿沼市内では今宮町の今宮神社にある通称「飛び越えの獅子」なる狛犬にその名を見ます。また、野沢町の神明宮にある菊池教中揮毫の「男體山」碑にも、同じく蟹澤忠七の名があります。共に、素晴らしい作品です。そして時代的に見てみると、今回の鳥居に刻まれている「蟹澤文左ェ門」とは、忠七の親ではないかと推測されます。同様に、蟹澤の石工名は明治を以って終わりますので、この信州から来た石工は、今宮宿に住んでいたが忠七を以って後継者が途絶えたのだろうとも推測されます。
 なお、この鳥居に見える為書きがいいです!右柱に「両御領大守御武運長久」。左柱に「五穀豊饒村内安全」とあります。その他に、石工としての名前の最後に「古賀志村 北条平右衛門」ともあります。この石工についても、おいおい調査してみたいと思っています。

 さて、今回は午前中とのことで余り多くは調べられませんでした。それでもいつかは調査しなければと思っていた村井町公民館(薬師堂)に並んでいる碑塔を、写真撮影の難しさ(時間的に光線が合わない)を無視して記録中心に調べてきましたので、今週中にはその内容を別ホームページの方へ掲載しようと考えています。ここの所、仕事と趣味で非常にハードなパソコン作業連続で、特に右の肩と腕が腱鞘炎となりマウスを使うのが非常につらいので、それが直るまではパソコンに出来るだけ触れないようにしています。そして明日は雪とのこと、また雪かきをしなければならないかと、痛みが走る腕をさすりながら「嗚呼、早く春にならないかな」と、嘆いています。

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2013年2月2日も鹿沼市の石仏巡りでした

2013年02月03日 | Weblog

 昨日、2月最初の週末はこの季節にしては暖かすぎる以上の暖かさ。加えて無風に近い状態に心うきうきと、栃木県鹿沼市の石仏巡り、否、拓本採りに一日を使いました。その最初は、先週に鹿沼市楡木町で採択した墓碑拓本が今ひとつだったので8時半から再度の手拓を始めました。尤も、その前に金属ブラシで墓碑にある銘文の嫌らしい苔落としに費やしましたが‥。それでも結果的には読めない箇所が5箇所ありましたが、まあこれも次回以降の再々挑戦としましょう。それでも、先週にこのブログでリンクしました内容を最新のものに書き換えましたので、前回に見た方がいましたら再度確認ください。
 その後も、特に篆額の彫りが酷すぎて手拓する意欲をなくしていた碑文も、今回は絶好の手拓日和という条件に恵まれたのでついでに採ってしまいました。さらに、明治期に活躍した先生の昭和15年建立碑文は大きさもあって手拓せず、一文字ずつ丁寧に2時間ほどかけて手写しました。次回は、今回出来なかった分を含めて本気になって石仏巡りをしたいと思っています。
 さて、昨日はそんな次第で石仏調査は「無」です。一日中、碑塔を前に立ち尽くしましたので最後は足ががくがくするほど疲れました。思えば、ずいぶん鹿沼市の碑塔も拓本を採ったもので、昨年に購入した100枚の画仙紙も後数枚で底が尽きる有様です。そこで今回の画像は、我が家の庭に(冬季に限って開店している野鳥レストランが目当てですが)毎日来ているシジュウカラの姿を掲載しました。

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