石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年10月25日も栃木県大平町の石仏巡りでした

2008年10月27日 | Weblog
 2008年10月最後の土曜日、25日も予定通りに栃木県大平町の石仏巡りに行きました。今回から、大平町の見逃し碑塔の落ち穂拾いということで、先週に近くに行きながら訪ねなかった下皆川地区の大平山登山口から開始です。登り口の少し上にある碑塔群から始まり、更にその少し上にある庚申塚の青面金剛像を調べ終えた時は、既に10時近くになっていました。性分的に、山の中に入るとついついノンビリしてしまう私の悪い癖。
 その後は、下皆川地区を一巡して碑塔を総ざらい。尤も、つい気を抜いて日枝神社へ行くのを忘れてしまったが…。
 その後は少し移動し、西野田地区の報恩寺さんを訪問。ここで、今まで報告の無かった日光型庚申塔に遭遇。しかし、岩舟石を使用しているために何としても石文が判読できない。クヤシ〜イ現実を前にして考え、これを江戸前期造立の庚申塔と推定することにした。その他、墓地内や境内の石造物を見ていると、住職さんにお茶に誘われ、本堂へ上がって世間話に花が咲く。そんなこんなで、報恩寺さんを辞したのは12時半を過ぎていた。とにかく、どこかで昼食にしようと西水代地区の無住寺、長福寺に行って何とか遅い食事にありつけた。
 今日の予定では、下高島の宝蔵寺さんの宝篋印塔調査にあったが、どうも時間的には無理なようなので、近くの延命寺を訪ねてここの宝篋印陀羅尼経塔を収録する。そしてついでだからと、墓地へ行くとその入口に立派な半跏地蔵像が建っている。また、その道沿いには点々と六体六地蔵らしきものが置いてある。気になり銘文を読むと、それは間違いなく六体六地蔵であり、しかも紀年銘を見ると寛文十三年(延宝元年)とあり、本日最大の成果となる。その後は、この西水代地区の落ち穂拾いをして、その総数も区切りの良い40基となり、今日はここまでと午後3時半に帰路に付く。
 それでも今回も、宝篋印陀羅尼経塔は2基を記録したので、これで大平町の当該碑は丁度20基になった。落ち穂拾いとしては、バンバンザイの一日であった。そして次回、11月最初の石仏巡りでもって、この大平町の石仏巡りは一応の終了としよう!
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2008年10月18日も栃木県大平町の石仏巡りです

2008年10月19日 | Weblog
 午前9時半に、岩舟町の岩舟地蔵(高勝寺)さんで佐野市の高橋氏と集合。しかし、それまでには時間があるので、大平町西山田の片岡地区山の中にある不動院を一人で訪ねて石仏調査を行う。高橋氏を出し抜いての石仏調査のためか、やけにヤブ蚊が多く感じる。特に、腕を何カ所も喰われてしまう。その最大の目的は、当地にあるどう見ても江戸前期と思われる庚申塔の精査にあったが、やはり岩舟石で造られているので文字一つ読めぬままで終わる。その代わり、ここで玄奘三蔵法師訳の「十一面神咒心經」に見える「南無頂上佛面除疫病」「南無最上佛面願満足」の偈頌塔に出会う。もちろんこれは、そうそうお目にかかれる偈頌ではなく、当然ながら栃木県では初めてである。
 さて、丁度9時半に高勝寺さんへ着くと、当然ながら高橋氏の車が置いてある、が高橋氏の姿はなし。そして境内を掃除していた住職さんが、いち早く私を認めて階段を下りてきてくれて挨拶してくれる。今日の目的は、この高勝寺の住職さんが、この2年間(昨年は訪問を失礼してしまっていたので)の間に、広大な境内で探してくれていた板碑調査にある。そして毎回の事ながら、高橋氏にはその助力を願ってのことである。その板碑調査の前に、住職さんを交えて雑談となり、その中で現在(10月4日〜11月9日迄)、鳥取県立博物館において「はじまりの物語」企画展を開催しているが、そこに高勝寺さん所蔵の絵巻物を出典しているという。もし、これをご覧で興味のある方はぜひお出かけ下さい。高勝寺さんの岩舟地蔵絵巻が見られますので、岩船地蔵に興味ある方には参考になると思います。その一部が、立派な報告書の中に掲載されています。私達は、行かずしてその報告書を住職様から頂いてしまう。感謝感謝である。
 さて、問題の板碑であるが、今回出土したのは破片ばかりである。水道を借りて、一つずつ水洗いして乾燥させてから、二人で調査するに相応しい破片を選び出すことにする。しかし、そのどれもが種子の断片やら紀年銘の断片で、どうにもならない。結局、二人して導き出した答えが、今回は全て調査をパスすることにしていつもの保管場所である縁の下へ納める。そして住職さんの所へ行き、結果報告をしながら又しても雑談。その中に、正面階段脇にある木造小屋の台石に、かなりの数の板碑が使用されていることを教えられる。この1〜2年という訳にはいかないだろうが、10年以内には間違いなく撤去される小屋であるので、その時が最大の楽しみとして高勝寺さんを辞する。
 時間が有り余っているので、それからは高橋氏と一緒に大平町の石仏調査とする。まずは、何としても延寶の文字の次の年数が読めない庚申塔調査。二人して水洗いと手拓を併用して精読に掛かるが、難しい。それでも最後には「延寶五丁巳天・九月吉日」と確定する。それを終えてから、今回の大平町調査で私が足を踏み入れていない下皆川地区へ入る。勿論最大の目的は、宝篋印陀羅尼経n刻まれたもので、それは安養院跡地にあるとの高橋氏の案内で最初に訪れる。見れば、なかなかの出来栄えである。文字数が多いので、まずは境内で昼食時間とする。私流のグダラグダラした食後時間を過ごしてから、ようやく二人で銘文の手書き。何しろ、1基に二人して向かって書き写すのだから作業は早い。その後は、周囲の碑塔を調査したり本日の最後は野墓地同然の共同墓地へ行って終わりとなる。
 暫くぶりでの、高橋氏との石仏巡り。いつのも独りでの調査とはまた違った味の楽しい時間を共有することが出来ました。
※鳥取県立博物館のURL http://site5.z-tic.or.jp/~museum/
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2008年10月12日、またしても栃木県大平町です

2008年10月14日 | Weblog
2008年10月12日は大平町の石仏巡り
 今回もまたまた、大平町の石仏巡りに行きました。が何しろ、三連休の中日なので遊びモードのスイッチは昨日に続いて入ったまま。
 そこで今回は、かつて家内と一緒に登った大平山が、青空の下に一望に広がる西山田地区へ入りました。そして大中寺から清水寺を中心に、石仏巡りというよりはハイキング気分での石仏巡りとなりました。それにしても、流石は連休中です。どこを歩いても、ハイキングの観光客で溢れていました。そんな訳で、石仏調査よりは景色の良いところではボォ〜と休んでばかりいて、少しも調査は進みません。
 挙げ句の果て、清水寺での宝篋印塔調査では手こずり、結局さんざん文字を眺め尽くしてから手拓しない限り無理だとなって、観音堂境内にあるたった2基の調査に二時間も掛けてしまう間抜けさです。それでも、長年放って置いた大中寺とこの清水寺の計3基の宝篋印塔調査が終了し、ホッと一安心しました。今日の目的は、この3基の宝篋印塔調査にあったので後は益々遊び半分となり、早朝から午後4時近くまで西山田地区に入り浸っていたわりには、総数で40基に満たない調査でした。夜に、その調査用紙を整理していて、やはりもう少し本気になって石仏巡りに集中すべきだったと後悔する。
 そんなこんなで、今回の石仏巡り報告のHPへの掲載はありません。
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本日、栃木県の一部石造物データを公開

2008年10月08日 | Weblog
 栃木県には、私しか栃木県全域に特化して石造物を調査している人がいないので、これまで栃木県の碑塔はベールに包まれていました。それは、私自身が趣味で石仏巡りをしている関係からも、余り自分の調べたデータを公開してこなかった事にも起因していました。
 そこで、私の手元にある栃木県内の石造物データベースも、前回の調査を含めて23,000基を越えましたのでもうそろそろ公開しても良い頃かなと思いました。まだまだ、ほんの一部ですが御笑覧下さいましたら幸甚です。そしてこれからも1基でも多くの碑塔を実見しまして、それらのデータの信頼性を高められていけたらと思っています。何しろ、23,000基の内の約7,000基は昔に適当に調査したもので再調査の必要性や所在ご教示を頂ながら未確認の碑塔に加えて、一部には発行されている資料から抜粋した碑塔類が含まれているからです。
 特に、今回無理して掲載しました佐野市の石造物資料データは、これまで本格的なものがありませんでしたので、佐野市の石造物を知りたい方には朗報かと自画自賛しています。見るのは大変ですが…。また、公開しておきながら申し訳ないのですが、全てPDFで作成してあり、印刷は出来ないようになっています。
 ご感想や、要望等ご一報頂けましたら幸甚です。最後に、このコーナーは私の気分によって突然掲載を取りやめることがありあすので、皆様の常識あるご利用を願っています。
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2008年10月4日も栃木県大平町の石仏巡りです

2008年10月04日 | Weblog
 2008年10月4日、朝から快晴の中を栃木県大平町の石仏巡りに出かけました。気分が良すぎて、午前中だけで40基も調べてしまいました。と言っても、特記するような碑塔には出会えませんでしたが…。そこで午後は作戦を変え、あることが分かっているお寺さんの寶篋印塔を調べることにしました。そして3基の銘文を筆記。この辺で少々疲れたので、気になる庚申塔の銘文精読に向かう。それは、駒型の下部に三猿のみが浮き彫りされた庚申塔だが、今まで何としても紀年銘が読めない代物。今回は本気になって石面と向かい合い、磨いては眺めることを繰り返していって、やっと■寶[ ]九月吉日と読めた!。
 ■寶に該当する紀年銘は?。誰か教えてと言うまでもなく、これは延寶!。しかし、像容がそのサイズと共にチンケ?なため、困ったものです。もう一度、今月中に中山氏と一緒に精読することにしましょう。
 そんなこんなで、今日はまだ3時にならないが成果としては全部で59基も調査したので文句なし。まだまだ陽は高いが、秋空の気分良いドライブとしゃれ込んでのんびり帰宅する。
 タブン、次回も大平町へ入るつもりですが、それとも岩舟高勝寺の住職さんに見限られない内に行こうか!行きたいところがありすぎて、ホントッ困ったものです。
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