今回は、栃木県では数少ない融通念仏像容塔のご紹介です。ここでは、栃木県内で4基しか実見していないと書きましたが、その後に八基新たに確認しています。また、最も古い紀年銘は上三川町にある寛文七年銘の阿弥陀像容塔です。
最新の画像[もっと見る]
- 「栃木県さくら市喜連川の墓碑の全景から銘文、拓本、読み迄の完全セットでご紹介します。 2週間前
- 「栃木県さくら市喜連川の墓碑の全景から銘文、拓本、読み迄の完全セットでご紹介します。 2週間前
- 「栃木県さくら市喜連川の墓碑の全景から銘文、拓本、読み迄の完全セットでご紹介します。 2週間前
- 「栃木県さくら市喜連川の墓碑の全景から銘文、拓本、読み迄の完全セットでご紹介します。 2週間前
- 「栃木県さくら市喜連川の墓碑の全景から銘文、拓本、読み迄の完全セットでご紹介します。 2週間前
- 今回は、栃木県佐野市の旧田沼町に限定した、また個人頌徳碑の石碑調査報告書です 2ヶ月前
- 今回は、栃木県佐野市の旧田沼町に限定した、また個人頌徳碑の石碑調査報告書です 2ヶ月前
- 今回は、栃木県田沼町・密蔵院の宝篋印塔の銘文調査報告です。 3ヶ月前
- 今回は、栃木県田沼町・密蔵院の宝篋印塔の銘文調査報告です。 3ヶ月前
- 今回は、栃木県田沼町・密蔵院の宝篋印塔の銘文調査報告です。 3ヶ月前
「Weblog」カテゴリの最新記事
- 「栃木県さくら市喜連川の墓碑の全景から銘文、拓本、読み迄の完全セットでご紹介...
- 今回は、栃木県佐野市の旧田沼町に限定した、また個人頌徳碑の石碑調査報告書です
- 今回は、栃木県田沼町・密蔵院の宝篋印塔の銘文調査報告です。
- 今回は「栃木県佐野市の石碑」調査報告書のご紹介です
- 瞬く間に60日が経過してしまい、慌てて今、新規原稿を投稿中です。それにしても、...
- 現時点で、私の最も気に入った栃木県での石碑の篆額文字
- 今回は、2022年暮れに通った道沿いの百番巡礼塔の脇を通ったので、今度こそはと拓...
- 二カ月以上も、無言で過ごしてしまいました。一基だけですが掲載しました。
- 2023年最後の石碑紹介は、佐野市田沼町・一瓶塚神社境内の加藤欽古先生碑です
- 今回は、佐野市田沼町の「林真治郎先生之碑」の再登場です。
融通念仏塔の事で、お尋ねさせて頂きたいのですが、
融通念仏塔の有る所の住所を教えて頂きたいのです。
宜しくお願い致します。
>表紙にも明記しましたように、石仏案内はひとえに面倒くさいので一切お断りしています... への返信
すいません。表紙をよく読んでいませんでした。
滝沢さんの長年の調査を、簡単に教えて頂こうと思ってすいません。私関西に居まして、関西以外の融通念仏について、調べておりまして記事や、ブログ、ホームページ等記述が有ればそれを参考にしております。今回も貴重な情報と思い、表紙を確認せず申し訳ありませんでした。暑い日が続きますので、お身体お大事にお過ごしください。
返信ありがとうございました。
ご丁寧に、書き込みいただきましてありがとうございました。お断りして、その返信を頂ける常識ある方に出会うのは久しぶりで嬉しいです。私は、いい加減なことは大嫌いで、今回のように所在地を教えるのは簡単なのですが、それだけで本当に良いのでしょうか、いいえ、それでは本当に教えたことにはなりません。まして東北大地震のような災害があると、当地でもそれなりに被害は大きく、特に石造物の重製六地蔵塔などは簡単に倒れてしまい、信仰のなくなった今はそれを目にしても立て直すことはせず、良くてその辺にまとめておいてあるくらいです。ですから、今では私が撮影した石塔、石仏が最後となってしまった物がたくさんあります。数年前には、今ではクマなどの生息地の山中に崩れかけた石塔があり、その場所を教えろと、教えるのが当たり前だと強要されましたが、山中の踏み後もない山の中を一人で今はどうなっているのか、地元へ行くにも車で1時間以上もかかるのに、一人で熊の住んでいる地区へ、それが今もあるかを確認に行く気力もありませんので、お断りしましたら怒っった方がいました。ほんと、情けない話です、PCでは簡単に所在地を表示できましが、それまでにどれほどの努力をしているのかを自分でしたことがないので自覚できないのです。
そんな中で、お断りに対します御礼まで頂き、感激しております。以上、とりあえず御礼かたがたまで。※読み返ししてありませんので、誤字脱字等がありましたらご容赦ください。
母方の田舎が小俣の方なので、ついついよく確認もせず、栃木県に対する勝手な親近感からの、書き込みとなってしまいました。 御礼など誠に恐縮でございます。
失礼ご容赦くださいませ。
有難うございます。